第43話 風の魔女との再会
ボロドゥリンの谷は思った以上に人が多かった。乗合馬車が行き交い、森の前の通りには、露店や宿屋が立ち並んでいる。
フィオナは苦笑した。
「これのどこが秘境なんだか……」
ホセは特に気にした様子はなく、森を指差した。
「滝はあっちみたいだ。行ってみようぜ」
イリスたちは他の観光客に紛れ、森の中を進んでいく。道は整備され、歩きやすい。だが、一歩逸れれば手入れのなされていない森のようだ。
水音が次第に増し、森を抜けると、大きな滝が姿を現した。水しぶきが小雨の様に降り注いでいる。
イリスは薄い茶色の瞳を輝かせ、崖へと近づいた。底は白く霞み、虹がかかっている。
カルロス、ホセ、フィオナもイリスに並び、滝を眺めていた。
満足したイリスたちは来た道を戻りはじめて、カルロスがはたと気づいた。
「これじゃ、本当にただの観光じゃねぇか!」
フィオナは苦笑し、カルロスに視線を向けた。
「せっかくここまで来たし、あたし、ちょっと木に聞いてみるよ。ちょっと待っていて」
フィオナはそう言って、森の中に消えていった。
しばらくすると、フィオナが戻ってきて、首を横に振った。
「風の魔女はもうここにはいない」
イリスは首を横に傾げた。
「もう?」
フィオナはうなずいた。
「一度は立ち寄ったみたいだ。森の奥に一軒の家がある。そこにいたみたい」
「行ってみよう」
カルロスの言葉に、イリスたちはうなずいて、フィオナの案内で森の中を進んでいく。
日が傾いてきた頃に、一軒の家にたどり着いた。小屋は閑散としていて、ベッド、テーブル、椅子がひとつずつ置かれているだけだ。
イリスは辺りを見回したが、風の魔女の痕跡は見つけられなかった。
「ここに風の魔女がいたの?」
「木が言うにはね。なにか残っていればいいと思ったけど……」
フィオナは残念そうに肩を落としたが、カルロスの表情は明るい。
「風の魔女がこのペトロフ大陸にいるとわかっただけでも大収穫だ」
ホセもうなずいた。
「大きな手がかりじゃないか。風の魔女が去った方角は?」
「北東に向かった。あたしが辿れるのは、今はそこまで」
カルロスは満足そうにうなずいた。
「フィオナが手がかりをつかめたなら、あとは木の情報を辿れるんじゃないか?」
「そうなんだけど……」
フィオナの歯切れは悪い。イリスは不思議に思って尋ねた。
「どうしたの? 木がなにか教えてくれた?」
フィオナは黄金の瞳を揺らした。
「風の魔女は、もう生きてはいないかもしれない」
イリスは薄い茶色の瞳を大きく見開いた。
木の情報を頼りにたどり着いた場所は、小さな村だった。数えるほどしか家はなく、そのうちの一軒のドアをフィオナが叩いた。すると、ひとりのおじさんが顔を出し、訪れたイリスたちを見て顔を強張らせた。
「中へお入り。母さんが君たちを待っていた」
おじさんはイリスたちを招き入れ、奥の部屋のドアを開けた。そこにはベッドがあり、長い白髪の老婆が横たわっていた。イリスたちはそれが風の魔女だとわかっていた。フィオナはほっと息をついた。
「まだ生きていたんだね……」
風の魔女は起き上がる体力もないようで、顔だけでイリスたちを見た。
「まさか間に合うとは思っていなかった……」
その声はしわがれていて、弱々しかった。
イリスたちが室内に入ると、おじさんは部屋を出てから扉を閉めた。
イリスは風の魔女の横に膝をついた。
「時の妖精に願ったのね。自分の時を進めるように……」
風の魔女はうなずいた。
「どの道、魔女から追われ続ける身。主人は先に逝ったわ。わたしもすぐに後を追う」
風の魔女は長く話すと疲れてしまうようで、そこまで言って深く息をついた。
イリスは変わり果てた風の魔女の姿を切なそうに見つめた。それに風の魔女は、小さく笑った。
「これが人を愛した魔女のなれの果てよ」
風の魔女はフィオナに視線を向けた。フィオナは黄金の瞳を細めた。
「それは違う。あんたが自ら選んだ末路だ」
イリスは瞳を閉じた風の魔女に尋ねた。
「時の妖精はどこ?」
「わたしの願いを叶えて、どこかへ行ったわ。もうここにはいない」
その答えに、イリスは小さくため息をついた。もしかしたらまだ風の魔女と一緒にいるかもしれないと思っていたが、その期待は外れたようだ。
「時の妖精はどんな姿をしているの?」
「イリスも会ったじゃない」
風の魔女は紫色の瞳をイリスに向けた。
「黒猫、あれが時の妖精」
風の魔女の言葉を聞いて、薄茶色の瞳を丸くした。風の魔女の塔で会った黒猫の姿を思い出し、イリスは、はっと口元に手を置いた。
フィオナはイリスの横に立ち、風の魔女をじっくりと見下ろした後、きびすを返した。
「用事は済んだ。もう行こう」
フィオナの背に、風の魔女は声をかけた。
「わたしに罰を与えないの?」
フィオナは冷たい黄金の瞳を風の魔女に向けた。
「もう罰は受けているじゃない。せいぜい長生きしなよ」
そう言って部屋を出た。
リビングで座っていたおじさんは、部屋から出てきたイリスたちに相変わらず強張った顔を向けた。
「話は終わったのかい?」
イリスは頭を下げた。
「はい。おじゃましました」
おじさんはイリスたちを見送りに、家の外まで出た。そして、言いづらそうに話し出した。
「母さんは、父さんが病にかかってすぐに家を出て、しばらく帰ってこなかった。そして、帰ってきたと思ったら、あの姿だったんだ。母さんが何をしたのか、わたしは知らない。それでも、わたしの母さんは、あの人だけなんだ……」
フィオナは黄金の瞳をおじさんに向けた。
「あたしに、風の魔女の命乞いをしているの?」
おじさんは肩をびくりと震わせ、小さくうなずいた。
フィオナは赤い髪を気まずそうにかいた。
「あの様子じゃ、もったとしても一か月。もう風の魔女は生を終える。あたしが手を下すまでもない。風の魔女といい、あなたといい、あたしが悪魔にでも見えているのかね……」
フィオナは不機嫌そうに歩き出した。
イリスは小さく笑って、先を行くフィオナの後を追った。




