第37話 再会②
イリスとユアンは連れ立って長い廊下を歩いていた。ユアンは顔から笑顔を取り去って、肩を回している。
「肩が凝った」
イリスは小さく笑った
「イリスとはじめて会ったときから、もう十年も経つんだな」
ユアンがイリスに出会ったのは七歳のときだった。それ以前からイリスの存在は知っていた。ルーベンス国王の第一子が女の子だったことで、一番に婚約者として名が上がったのが、アルド王国第二王子、ユアン・アルドだった。理由は歳が近いという、ただそれだけだ。
はじめて会ったイリスは六歳。ルーベンスの王妃の足元にぴったりとくっつき、イリスは首を横に傾げるようにしてこちらを見ていて、ユアンはアルド国王に言われるまま手を差し出した。小さな手で握り返してきたイリスの不安げな様子は、今でも忘れない。
今ではユアンを見上げるイリスの顔には、親しみを込めた笑みが浮かんでいる。
庭に出ると、すでに多くの人で賑わっていた。庭の端に置かれた大きなテーブルには、白いテーブルクロスが敷かれ、ご馳走が並んでいる。そして、人々は身分関係なく食事を楽しんでいた。
フィオナはイリスを見つけ、手を振った。
「おおーい!」
もう片方の手には、ご馳走が山盛りの皿を持っている。フィオナはひとりだった。イリスは不思議そうに尋ねた。
「ホセは?」
「知らない人と話しているよ」
フィオナはホセを指差した。少し離れたところで、ホセは少年たちと話していた。まるで昔馴染みの友人と話しているかのように親しげだ。そして、イリスに気づくと、ホセは少年たちになにやら話し、こちらへ駆けてくる。
「遅かったな」
「ホセ、あの人たちは?」
「ああ。クルトの子供らしい。なんでも今年はお茶会の参加者が多いんだと。イリスちゃんを見られるんじゃないかってね」
ホセは小声で言った。それにイリスは困ったような笑みを浮かべる。今ここにイリスがいるとバレたら大騒ぎになりそうだ。
「あら、レイダじゃない」
偽名で呼ばれたイリスは振り返る。そこにいたのはブラウンのお下げ髪をしたダニエラだった。その横には弟であるコニーもいる。
二人はイリスの正体を知ってからも、ずっと『レイダ』と呼んでいた。ダニエラたちにとっても呼びやすく、辺りに気を使う必要がないからだ。
「ダニエラ! 来ていたの?」
「ええ。年に一度のお祭りだもの。まさかレイダに会えるとは思っていなかったけど」
ダニエラは嬉しそうに笑った。
それからイリスたちは木陰の下の芝生に座り、たくさんのことを話した。旅の思い出や旅を終えたあとの話など話題は尽きなかった。
次第に日は傾きはじめ、人々は少しずつ庭を去っていく。人はもう疎らだった。賑やかだったお茶会も、終わりへと近づいている。
ダニエラとコニーは立ち上がった。
「わたしたちもそろそろ帰るわね。暗くなってしまうから」
「またりんごをとりに行こう」
イリスがそう言うと、ダニエラは微笑みながらうなずいた。
二人を見送るように、しばらく城門を見ていたイリスは、小さくため息をついた。やはりカルロスの姿はない。半ば諦めたように視線を戻したときだった。
「あ!」
フィオナが声を上げ、立ち上がった。そして、ホセも立ち上がり、二人は勢いよく駆けていく。イリスは二人が駆けていく先を見た。そこにいたのは、オレンジの髪が印象的な少年カルロス。
イリスはゆっくりと立ち上がり、薄い茶色の瞳を大きくした。
フィオナはカルロスにむっとしたような顔を向ける。
「カルロス、遅いよ!」
カルロスは苦笑を浮かべ、頭をかいた。
「移動の予定が遅れてしまったんだ。今年はお茶会に間に合わないかと思った……」
「よう、カルロス。元気そうでなによりだぜ」
ホセはカルロスの肩を軽く叩いた。
「ああ。お前も生きていてなによりだ」
「話したいことが山ほどあるぜ」
ホセの人懐っこい笑顔は変わっていなくて、カルロスはほっとした。そして、ホセのその先に佇むイリスに視線を向けた。
「イリス」
名を呼ばれたイリスは、若葉色のドレスを翻しながら駆け、カルロスの腕の中へ飛び込んだ。
「カルロス、会いたかった!」
「俺もだ」
カルロスはイリスをぎゅっと抱きしめた。
「遅いから心配した」
「……じいさんが死んだんだ」
イリスは、はっと顔を上げた。カルロスの緑の瞳が悲しげに揺れている。
「エイブラハム様が? うそ……」
「一ヶ月ほど前のことだ。じいさんもイリスに会えることを楽しみにしていた」
イリスはショックのあまり言葉が出なかった。口元に手を当て、その場に立ち尽くす。エイブラハムはイリスにとって、ひとりではないと教えてくれた恩人。瞳からぽろぽろと涙が溢れ、カルロスはその涙を拭った。
「イリス、泣かなくていい。じいさんは言っていた。『死ぬことは、人として生きている証拠』であり『人の未来が進みはじめた証拠』なのだと……」
カルロスはイリスの背を優しく撫でる。イリスはカルロスの胸の中で嗚咽をこぼした。
「エイブラハム様にもう一度、お会いしたかった……」
その時、ひとつの風が吹いた。イリスのココアブラウンの髪を撫でるように揺らし、零れた涙を拭った。優しい風だった。
イリスは空を見上げる。日は傾き、夜空と夕空のコントラストが綺麗な空。いくつか星が煌めいている。
「エイブラハム様……」
イリスはそっと呟いた。
白い瞳でイリスを見つめ、しわがれた手は優しかった。それを思い出し、イリスはまた涙を流す。
人はいずれ老いて死んでいく。違う場所では、新しい命が産声をあげる。そうして、人は命を紡いできた。それは時が流れるということ。
イリスが取り戻した時は、今も流れ続けている。
またひとつ、優しい秋風がイリスの頬を撫でた。




