第35話 魔法の真実
フィオナが尋ねてきたのは、旅を終えてから一カ月ほど経った頃、雪の降る寒い日だった。
イリスの部屋で、椅子に座り、向かいあうようにして話していた。テーブルには紅茶とクッキーが置かれ、フィオナは身軽な街娘の格好で、イリスは旅をしていたときとは違い、深紅のドレス姿だ。
フィオナは話を切り出した。
「おばあちゃんに時を止める条件を聞いてきた。時を止める条件は、全部で三つ。ひとつめは、時を封じ込めるための媒体が必要なんだって」
「今回は黄金の懐中時計だったってこと?」
「その通り。だけど、なんでもいいわけじゃない。長く時を刻み続け、時を押さえ込めるだけの力があるもの。すなわち、魔道具と呼ばれるものだ。魔道具は魔力を込めて作ったものと、使われている内に魔力を有したものの二通りある。どちらもそう簡単に手に入るものじゃない。そして、ふたつ目の条件。それは満月の日に魔法を発動すること。それも夜中の十二時ぴったりに。その上、魔法を発動している最中に一度でも月に雲がかかったら失敗」
時が止まった日は綺麗な満月の夜だった。イリスは納得するようにうなずいた。
「それから三つ目の条件。『ルナ』という白い花があるんだ。その花の朝露を『月の涙』と呼ぶ」
「それは前に書物で呼んだことがある。薬を作るのにも必要なのよね?」
「そう。月の涙を媒体に垂らすことで、時を止める魔法が発動をはじめる。ちなみに月の涙を手に入れるのはそう難しくはない。迷いの森にも咲いている」
イリスはあごに手をやり、考える素振りを見せた。
「もし風の魔女が時計の魔道具をいくつも持っているとしたら……」
「さっきも言ったけど、そう簡単に手に入るものではないよ。それに貴重な魔道具ほど、魔女が大切に保管し、どこの誰がなにを持っているのか知ることは難しい。きっと風の魔女も黄金の懐中時計だけしか持っていなかったと思う。これはおばあちゃんも同じ考えだった」
しかし、イリスの胸を過る不安は消えない。風の魔女は、どうやって黄金の懐中時計を手に入れたのだろう。元々持っていたのか、あるいはどこかで手に入れたのか。それに、風の魔女はイリスを旅立たせないために風を使って噂を広めたと言った。ならば、風を使って噂を集めるようなこともできるのではないか。そうすれば時計の魔道具を持っている魔女の居場所を知ることも、そう難しいことではないかもしれない。
黙ったイリスにフィオナは首を横に傾げた。
「イリス?」
「あ、ごめん、考え事をしていて……。風の魔女は魔道具を探すこともできるんじゃないかな。どこにでも自由にいける。それが風の魔女なんでしょう?」
「んー。まぁ、世界を飛び回れば、もうひとつくらい手に入れられるかもしれないけど……。イリス、あたしね、どうしても腑に落ちないことがある」
フィオナはカップを手に取った。
「風の魔女は時を止めるだけの魔力を持っていた。なのに、イリスが来るとわかっていたのに、北の荒野から逃げず、あたしたちが辿りついても戦いを挑んでこなかった」
フィオナの言う通りだ。風の魔女が時を止めた犯人だと知ったとき、イリスは戦うことを覚悟していた。
「もし風の魔女があたしたちに本気で戦いを挑んできたら、あたしたちは無事じゃすまなかった。同じ魔女同士、お互いの力量は目を見ればわかる。風の魔女はあたしなんかより、ずっと強い魔女だった」
「それなのに風の魔女は私たちと戦うことを避けた?」
「そう。ここからは、あたしの推測ね。時を止めるには、膨大な魔力が必要だ。これは北の荒野でも言ったよね?」
イリスはうなずいた。だから、風の魔女がまたすぐに時を止めることはないとフィオナは言っていた。
「風の魔女は時を止め続けるのに魔力を費やし、他に回す余力がなかった。だから、北の荒野から逃げることもせず、あたしたちと戦うこともしなかった」
「でも、風の魔女は私たちの前から姿を消したよ?」
イリスが首を横に傾げると、フィオナはイリスをまっすぐに見つめた。
「イリスが来ることを見越して、最後に逃げるための魔力を残しておいたんだと思う」
「そうか。だから、風の魔女は、戦いではなく、私に魔法が解けるかどうか賭けたんだね」
フィオナはうなずいた。
「そうすれば風の魔女の行動に説明がつく。もしその通りだとしたら、逃げたことで魔力を使い果たしているはずだよ。だとしたら、風の魔女はすぐには動けないはずだ。強い魔力を持つ者ほど、力が尽きてしまったときの回復には時間がかかるから」
イリスは首を横に傾げた。
「そうなの?」
「うん。大きな樽に水を注ぐのと、小さなコップに水を注ぐのとでは、かかる時間が違うでしょ? それと一緒だよ」
イリスは納得したようにうなずいた。
「じゃあ、風の魔女が動き出すとしても、まだ時間はあるということね?」
「うん。あと数年は大丈夫じゃないかな。それに、おばあちゃんも風の魔女の行方を探している。おばあちゃんの手にかかれば、すぐに見つかるんじゃないかな」
フィオナは紅茶を一口飲んで、ぺろりと唇を舐めた。
イリスはフィオナに尋ねた。
「森の魔女が、風の魔女を探しているの?」
「うん。風の魔女も言っていたでしょう? 時を止めることは『禁忌』だって。魔女は強大な魔力を持っている。使い方を間違えれば、世界を揺るがしてしまうことになりかねない。今回の風の魔女のようにね。だから、あたしたち魔女は禁忌というものを重視する。それを犯す者には重い罰が与えられる」
「つまり、風の魔女は他の魔女たちからも追われるということ?」
「うん。そうなるね」
「そこまでして風の魔女は愛した人と一緒にいたかったんだね……」
イリスは瞳を伏せる。今でも風の魔女を鮮やかに思い出せた。藤紫の長い髪に同じ色の感情のない瞳。美しい魔女だった。そして、寂しげな魔女だった。
「イリス、風の魔女に同情してはいけないよ。ホセが言ったように、人の未来を奪う権利は、風の魔女にはない。誰にもないんだ。イリスは自分の使命を果たし、人の未来を守ったんだよ」
フィオナの黄金の瞳がイリスを力強く見据えた。
「イリスも魔法を扱う者として覚えておいてほしい。魔法は人を生かすこともできるけど、命を奪うこともできる。世界を守ることもできるけど、破壊することもできる。それを忘れたとき、全ての魔女が敵に回るよ」
イリスはゆっくりとうなずいた。フィオナの言葉がイリスの胸に重くのしかかる。
遠い昔、人の世界から魔法は消えた。今ではおとぎ話とされているが、たしかに魔法は存在するのだ。人でも扱うことができる。それをイリスは身を持って知っていた。
そこで一つの考えに辿り着いた。
「もしかして、人の世界から魔法が消えたのは……」
「イリス、それは遠い昔の話だよ」
フィオナはにっこりと微笑んだ。




