第34話 旅の終わり⑤
イリスとカルロスは港を離れ、森に向かう。質素な木造の小さな家につき、カルロスが扉をノックすると女の子の声が返ってきた。
「どなた?」
「俺だよ。カルロスだ」
カルロスが言い終わる前に、ダニエラは扉を開けた。カルロスを見て、その横にいるイリスを見た。
イリスは笑みを浮かべた。
「ただいま、ダニエラ」
その顔は旅をはじめた頃のイリスとは違い、しっかりと顔を上げていた。
ダニエラは嬉しそうに微笑んだ。
「おかえりなさい」
「お姉ちゃん、誰かきたの?」
家の中からコニーの声もする。ダニエラが家の中を見て手招きした。コニーは不思議そうに玄関までやってきて、目がこぼれ落ちそうなほど大きく開いた。
「カルロスとイリスだぁ!」
ダニエラは慌ててコニーの口元を押さえ、イリスとカルロスは慌てて辺りを見回した。そばには誰もおらず、ほっと息をつく。コニーはダニエラの手の中でもごもご言っていた。
カルロスはダニエラに尋ねた。
「じいさんたちがどこへ行ったか聞いているか?」
「ええ。カルロスのおじいさんから伝言を頼まれている。おじいさんたちは南へ向かうと言っていた。今年は西へは行かず、南に滞在するって。そう言えば、カルロスには伝わると言っていたけど……」
ダニエラは少し不安そうだったが、カルロスは満足そうにうなずいた。
「助かった。それならすぐに合流できそうだ」
ダニエラが首を横に傾げながら尋ねた。
「すぐに出発するの? それとも、しばらくうちに泊っていく?」
「いや、すぐに出る。じいさんにも早く報告してやりたいからな」
そう言ったカルロスにダニエラは微笑んだ。
「その様子だと、時が止まった原因がわかったのね?」
「ええ。時は戻ったわ」
イリスがそう答えると、ダニエラは胸に手を置いて、ほっとしたように息をついた。
イリスたちはダニエラの家をあとにして、今度は城へと向かう。その間、お互いなにも話さなかった。手をつなぎ、ただ一歩一歩城へと近づいていく。
城門から少し離れたところで立ち止まり、イリスはカルロスの瞳をまっすぐに見つめた。
「カルロス、あなたがいてくれたから、私はこうして無事に旅を終えることができた。本当にありがとう」
草原のように爽やかな緑の瞳が、わずかに揺らいだ。
「イリスがやり遂げたんだ。俺はその手助けをしただけだ」
イリスは首を横に振る。
「ううん。城から逃げるとき、カルロスが私の手を引いてくれた。そうじゃなかったら、きっと旅に出ることはなかったと思う。風の魔女の言う通り、カルロスは私の『導き手』だった」
イリスはカルロスの手をとった。まだ柔らかさを残したこの手が、イリスに旅に出るきっかけをくれた。その手に視線を落とし、ぽつりと言った。
「もう旅立ってしまうのね……」
「ああ、じいさんに会わないと。秋には必ず戻ってくる」
カルロスは力強く言った。イリスはカルロスを見上げる。その薄い茶色の瞳は潤んでいた。瞬けば涙がこぼれてしまいそうだったが、イリスは微笑んだ。
「約束よ。きっと秋には戻ってきて。そして、またお茶会で会うの」
「ああ。約束する」
そう言ってカルロスは、イリスの頭を撫でた。そして、イリスの背を押した。
イリスは城門へと向かって歩いていく。時折、イリスはカルロスを振り返った。その度にカルロスはあごをくいっと動かし、『早く行け』と促した。
城門の前に辿り着いたイリスは、そこを通ろうとして兵士に止められた。
「おい、娘。何用だ?」
イリスは兵士を見上げた。
「わたくしはイリス・ルーベンス。この国の第一王女です。ここを通るのに許可が必要ですか?」
イリスは毅然とした態度で言った。薄汚れた服を着ているが、力強い薄い茶色の瞳で見据えられた兵士は目を大きく開いた。
「イリス王女殿下……! おい、イリス王女殿下が戻られたぞ! 急ぎ陛下に報告しろ!」
兵士は向かいにいる別の兵士に言った。その兵士はうなずき、城へと駆けていく。
「イリス王女殿下が戻られた!」
その声に反応するように、同じように叫ぶ者が次々と増えていく。イリスは兵士と共に城門を潜った。その途中でイリスは再び振り返った。そこにカルロスはいなかった。
城に戻ったあと、イリスは父であるルーベンス国王にこっぴどく叱られた。
一時間ほど経つ頃には、イリスはぐったりとしていた。見兼ねた母である王妃が「おかえりなさい」と言って、イリスを抱きしめる。ルーベンス国王はそれを見て、深いため息をついたが、その表情はどこか安堵した様子だった。
こうしてイリスは、白亜の城へと戻った。
その後、ルーベンス国王はイリスの『時が止まった』という言葉を正式に認めた。
それはルーベンス国内だけでなく、全ての国を震撼させ、それと同時に、イリスの名は世界に馳せることとなる。
『いかれた姫』と呼ばれたイリスが、人類の時を取り戻した英雄として――。




