第23話 死の谷②
イリスはふと思い出したように言った。
「最初に魔法を見せたとき、カルロスは驚いてなかったよね?」
それにフィオナは少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
「へぇ。それが魔法だって気づいていた?」
カルロスは足元から目を離さずに言った。
「まぁな。魔法の話は、じいさんから聞かされていたから。時が止まったって聞いたときも、そうなのかと思った」
「思ったよりも頭は柔らかいのかも。見直したよ」
「そこで見直されてもな……」
カルロスは苦笑した。会話を聞いていたホセは、首を横に傾げながら尋ねた。
「時が止まったってなに?」
イリスはホセに視線を向けた。
「そういえば、ホセにはまだ旅の目的を話していなかったね。私たちは時が止まった理由を探している。北の荒野の魔女がなにか知っているかもしれないと、森の魔女に教えてもらってここまできたの」
「へぇ。時が止まったってどういうことなんだ?」
「わかっているのは、六年前の秋に流れていた時が止まったということだけ」
「でも、季節は変わるよね?」
フィオナがそう尋ねると、イリスはうなずいた。
「止まったのは、たぶん人の時間だけなんだと思う。それに他の人は気づいていないの」
「カルロスのおじいさんは気づいていたんだよね?」
「そう。この異変に気づいているのは、世界でほんの一握りの人だけだと、エイブラハム様は言っていた」
ホセは不思議そうにイリスに視線を向けた。
「どうしてイリスちゃんは気づいたんだ?」
「それを知るために北の荒野へ行くの」
イリスは薄い茶色の瞳を北の荒野へ向けた。そこに広がるのは、草ひとつない荒れ果てた地だ。
ホセはゆっくりと前に進みながら尋ねた。
「そもそも北の荒野に魔女なんているのか? 聞いたことないけどな」
「おばあちゃんが言うんだから、いるんだよ」
そう言ったフィオナを、ホセは見上げた。
「フィオナ姐さんのおばあちゃんも魔女なのか?」
「そうだよ。偉大なる森の魔女なんだから」
胸を張って言ったフィオナに、ホセは感心したような声を上げた。
「じゃあ、フィオナ姐さんも森の魔女なのか?」
「まだ見習いだけど、いずれはおばあちゃんのような偉大な森の魔女になるんだから。そのためには世界を知らなくちゃいけないっておばあちゃんが言うから、あたしもイリスの旅に一緒についてきたの」
「へぇ、じゃあ、カルロスは?」
ホセがカルロスに視線を向けたが、いるはずの場所にカルロスはいない。視線を上げると、カルロスはだいぶ離れたところにいた。小さな歩幅で必死についてきている。カルロスは余裕のない顔を上げた。
「なんだって? よく聞こえなかった」
ホセは声を張って、もう一度尋ねた。
「カルロスはどうしてイリスちゃんについてきたの?」
「俺はじいさんに言われて……」
必死に答えているカルロスの声に被せるようにしてフィオナは言った。
「カルロスはイリスの幼馴染でね、イリスのためについてきたんだよ」
「へぇ。カルロスは本当にイリスちゃんが好きなんだな。オレもだけど」
ホセは感心するように何度もうなずき、フィオナとホセはカルロスを振り返った。
当のカルロスは、橋を渡りきることに必死でこちらの話など聞いていない。
「つまんない」
フィオナはつんと唇を尖らせ、また空高く舞い上がった。
ホセとイリスが橋を渡りきった頃、カルロスはやっと橋の半分を過ぎたところだった。ホセが向こう岸から叫んだ。
「カルロス、早くしないと日が暮れちまうぞ!」
「頑張って!」
イリスも声援を送った。
フィオナはカルロスのそばを飛びながら、カルロスを励ました。
「ほら、イリスとホセが待っているよ。足手まとい」
カルロスは涙目でフィオナを睨みつけた。
「くそっ。お前も、もうあっち行っていろよ」
「本当にいいの? あたしもあっちに行っていて」
カルロスはぐっと言葉に詰まってから、観念したように答えた。
「……ここにいてください」
「素直でよろしい」
フィオナは微笑み、満足そうにそう言った。
カルロスは一度立ち止まり、深呼吸をする。また橋が風で揺れ、耐えていると、背後でなにか切れる音がした。カルロスはおそるおそる振り返ったが特に変化はない。ほっとしていると、頭上にいるフィオナが「あっ!」と短く声を発した。そして、叫んだ。
「走って、カルロス!」
カルロスは目を大きく見開き、駆けだした。また背後で縄の切れる音が聞こえ、次第に傾きはじめ、床板が暗い谷底へと吸い込まれていく。向こう岸では、ホセとイリスが立ち上がり、青い顔でこちらを見ていた。
「もうちょっとだよ!」
フィオナの声に励まされ、カルロスは歯を食いしばって走った。
「カルロス、ジャンプ!」
カルロスはフィオナの声に合わせ、岸に向かって飛んだ。イリスとホセは、カルロスをしっかりと受け止め、うしろに転がった。
イリスはゆっくりと起き上がり、谷を見た。そこにはもう吊り橋はない。
間一髪、助かったカルロスは、両手を地面についてぜいぜいと息をついている。顔色は青から土気色に変わっていた。
ホセが勢いよく起き上がり、その顔は興奮のあまり真っ赤になっている。
「すげぇよ、カルロス!」
「よかった!」
イリスは安堵から涙を浮かべている。カルロスは強張った笑みを浮かべた。
フィオナは地面に降り立ち、頭の背後で手を組んだ。
「なんだ。早く渡れるじゃん」
「……お前は本当に鬼だな」
カルロスがわずかに顔色の良くなった顔を上げてそう言うと、フィオナは笑った。
ホセは死の谷を見て、青い顔をカルロスに向ける。
「なぁ、オレたちどうやって戻るんだ?」
「今はなにも考えたくない……」
カルロスは青い顔を左右に振った。フィオナは荒野へ視線を向けた。
「今は帰ることよりも、こっちでしょう」
そこには果てしなく続く渇いた土地がある。
イリスは薄い茶色の瞳を北の荒野の先に向けた。
「北を目指そう。きっとそこに荒野の魔女はいる」




