第22話 死の谷①
「……橋はどこだ?」
カルロスは呆然としている。
「ほら、あれだよ」
ホセが指差す先を三人は見て、フィオナは「はっ」と短く笑い、イリスは困ったように首を横に傾げ、カルロスは頭を抱えた。
「いいか? あれを橋とは言わない」
目の前にあるのは古い吊り橋だった。縄は今にも切れそうで、床板は所々朽ちて陥落している。風に合わせ、ゆらゆらと左右に揺れていた。
ホセはあっけらかんとした様子だ。
「仕方ないだろう。日常では使わないんだから。死の谷の橋は『片道の橋』と呼ばれている。こんな橋をもう一度渡ろうなんて思うやつはいないだろう?」
カルロスは試しに吊り橋へ一歩足を踏み出すと、軋む音がして、慌てて橋から飛び退いた。それから青い顔でイリスを振り返った。
「本当に北の荒野へ行くのか?」
イリスが迷いなくうなずくので、カルロスはまた頭を抱えた。
「……他に死の谷を越える方法はないのか?」
「聞いたことないなぁ。なにより、こんな崖をどうやって降りるんだよ?」
カルロスは重いため息をついた。そして、馬に目を向ける。
「この橋を渡るのなら、馬はここまでだな」
カルロスが手綱を外しはじめたので、イリスはその隣で心配そうに尋ねた。
「この子たちはどうなるの?」
「主人を気に入っていれば戻るだろうし、自由に生きたければ野生に戻るだろう。人間と違って、こいつらは強いからな。――今までありがとう。助かったよ」
カルロスはそう言って馬を放した。一頭はすぐに森へ駆けていき、あとの二頭はその場でイリスたちの様子を窺っているようだ。
イリスは今まで自分を乗せてくれていた馬に近づくと、馬はそっと顔を寄せた。イリスも額を寄せ、「ありがとう」と言った。
フィオナも馬に別れを告げるように首筋を撫でている。
それから、イリスたちはつり橋の前に立ち、お互いの顔を見た。最初に口を開いたのはホセだ。
「……誰から行く?」
カルロスは笑顔を浮かべ、ホセの肩を軽く叩いた。
「俺たちを案内しに来たんだろう?」
「そりゃないぜ……」
嘆きも空しく、一番はホセに決まった。カルロスはイリスとフィオナに顔を向けた。
「次はイリスとフィオナだな」
「え? あたし渡らないよ」
フィオナが首を横に傾げながらそう言った。
イリスが驚いた顔でフィオナの腕を掴むと、フィオナはにっこりと微笑んだ。
「もちろん北の荒野には行くよ。けど、あたしはこれで谷を越える」
フィオナは手のひらをかざし、現れたほうきに乗ると、ふわりと宙に浮いた。
「あたしは空からみんなを応援しているよ」
「ずるいなぁ」
カルロスはフィオナを見上げながら不満そうに言った。それにフィオナは肩をすくめた。
「文句言わないでよね。今まで徒歩の旅につきあってあげたんだから。むしろ感謝して欲しいくらいだよ」
「フィオナ姐さん、本当に魔女だったんだ……」
ホセは唖然とした表情でフィオナを見上げていた。
フィオナは自慢げに微笑み、辺りをくるくると飛んで見せた。
ホセは縄をしっかり掴み、確かめるように一歩を踏み出した。何度か足に力を込めるようにして板を踏んでから、イリスを振り返る。
「意外と大丈夫そうだぜ」
ホセは慎重に前に進んでいく。
橋の下は底が見えない暗闇だ。イリスは目を強くつむり、不安を振り払うように首を横に振った。深呼吸をひとつして、橋の先だけに視線を向け、渡りはじめた。
カルロスは青い顔で強く縄を握り、イリスのあとを追う。
風の呻きとともに、橋が左右に揺れた。
「ぎゃあ」
短い悲鳴を上げたのは、カルロスだった。
先を行くイリスとホセが何事かと振り返り、橋の上を飛ぶフィオナは驚いた様子でカルロスのそばに寄った。
「え? もしかして高いところ苦手?」
「お、俺にだって苦手なもののひとつやふたつ……」
言葉の途中でまた橋が揺れると、カルロスは縄に掴まって耐えるように身を丸めた。
イリスはカルロスのそばまで戻り、心配そうに顔を覗き込んだ。
「カルロス、戻る?」
「大丈夫だ……」
カルロスは額にかいた冷や汗を拭った。フィオナは諭すように言った。
「ねぇ、イリスの前だからって強がんない方がいいよ。橋の真ん中で動けなくなったらどうするのさ?」
先を行くホセもカルロスに声をかける。
「そうだぜ、カルロス。イリスちゃんの前だからってカッコつけんなって」
「お前らな……」
カルロスは真っ赤な顔で縄を掴む手が震えている。しかし、すぐに真顔に戻って橋の先を見た。
「この橋を渡らないと、北の荒野へ行けないんだろう? 足手まといは嫌だ」
フィオナはそれを笑った。
「大丈夫だよ。空を飛べない時点で足手まといなんだから」
「そしたら、お前の中では、みんな足手まといってことか?」
カルロスが呆れたように尋ねると、フィオナは首を横に振った。
「イリスはたぶん一週間くらいあれば覚えられるよ。魔法の使い方の基礎は、わかっているみたいだから」
「なぁ、オレは? オレは?」
ホセは茶色の瞳をきらきらと輝かせながら尋ねた。フィオナはホセのそばまで降り、黄金の瞳でホセの茶色の瞳をじっと見つめた。
「うーん。ホセは五年くらいかな」
それにホセはぽかんとした顔をした。
「へぇー。長いのか、短いのか、よくわかんねぇな」
「カルロスは十年くらいかかりそうだから、短いんじゃない?」
「なんで、俺だけそんなに長いの?」
カルロスが小さい歩幅で歩みを進めながら尋ねた。
「頭が柔らかい方が覚えるのが早いんだよ」
「……それは俺の頭は固いってことか?」
カルロスは口元を引き攣らせた。フィオナは驚いたような顔をしながらカルロスに近寄る。
「え? 気づいてないの?」
「くそ……。あとで覚えていろよ」
縄から手を離せないカルロスは、悔しそうにフィオナを睨みつけた。




