第20話 噓つき少年③
ホセは小袋を軽く揺らし、中の音を確かめ、満足そうに微笑んだ。
「待って!」
うしろから少女の声がして、ホセはとっさに振り返った。そこにいたのはイリスで、ホセはぎょっとして走るスピードを上げた。
イリスは何度も転びそうになりながらも必死にあとを追った。
雪が積もらないように傾斜がつけられた屋根を、滑り落ちないように走るのは至難の業だ。二人の顔には、疲れの色が見えはじめている。
ホセは走りながらわずかに振り返った。
「お前、危ないから戻れ!」
イリスは首を横に振った。
「お願いだから返して!」
イリスの必死の叫びが、月明かりが降り注ぐ街に響き渡った。
ホセは舌打ちし、小袋を懐にしまった。背後でイリスの小さな悲鳴が聞こえ、慌てて振り返る。イリスは、転んではいたが、滑り落ちることはなかったようだ。ホセはまた走り出した。
「ま、待って!」
イリスの声が聞こえ、ホセが振り返ったそのとき、足がもつれた。喉から小さな悲鳴が漏れ、打ちつける感覚が全身を走った。滑り落ちる。体が宙に浮いたと同時に、なにかを掴んだ。いつの間にか閉じていた茶色の瞳をおそるおそる開ける。視界に映ったのは、果てしなく遠くにあるように見える地面と、宙に浮く足。顔を上げれば、屋根の縁を掴む手があった。屋根に上がろうとするが、寒さでかじかんだ手では力が入らない。
「オレも相当諦めが悪いようだ……」
そう呟いた。震える手にもう一度力をこめた。最期の悪あがきだった。そのとき、眼前に黄金の光があふれ、手が伸びてきた。
「掴まって!」
その手はホセの手首を掴んだ。
黄金の光がおさまると、そこにいたのは、屋根に刺した黄金のやりに左手で掴まり、ホセの手を掴むイリスだった。それにホセは目を見張る。
「だめだ! 離せ! お前まで落ちるぞ!」
イリスは顔をしかめ、首を横に振っている。
「離さない! 落ちたら死んじゃう!」
「オレが死んだところで、どうせ悲しむやつはいない。でも、お前は違うだろう……?」
イリスは、はっとしたようにホセを見た。薄い茶色の瞳が戸惑いの色を浮かべている。
「そんなことない。あなたを知っている人はいるでしょう? あなたが死んだら、きっと悲しい。私だって、あなたが死んだら悲しい」
「イリスの言う通りだ」
カルロスはイリスの横に膝をつき、ホセの手を掴んだ。
イリスとカルロスでホセをなんとか引き上げ、三人とも肩で息をしていた。カルロスはうしろに手をつき、夜空を見上げながら尋ねた。
「なにが、どうして、こうなった?」
イリスは屋根に両手をつき、うつむいて息を整えていた顔をカルロスへ向けた。
「そう言うカルロスこそ、どうしてここに?」
「イリスの声で目が覚めた。なのに、イリスはベッドにいない、部屋のドアは開いている、廊下の窓まで開いている。まさかと思って外を見てみれば、イリスが屋根の上を走っているじゃないか。慌ててあとを追いかけた。間に合ってよかったよ。――で、なにがあった?」
イリスは屋根の上で仰向けに寝そべっているホセを見た。何も答えないイリスに、カルロスはもう一度尋ねた。
「イリス?」
ホセが肩をすくめながら起きあがり、懐から小袋を取り出してイリスへ投げた。
「返すよ」
イリスは慌ててそれを受け取り、大切そうに胸に抱いた。カルロスはイリスの手の中にあるものに気づいて目を見張った。
「それ俺たちの!」
「へへっ。大切なもんは、寝るときも肌から離しちゃいけねぇよ」
ホセはにっと笑った。
カルロスがホセに掴みかかると、ホセは両手を上げた。
「まぁまぁ、お兄さん。そんな怒んなよ」
「ふざけんな! お前のせいでイリスまで危険な目に遭ったんだぞ!」
カルロスは怒りを露わに怒鳴った。
ホセはイリスに茶色の瞳をまっすぐに向けた。
「悪かったな。お嬢さん」
イリスは小さくうなずいた。
それからホセは、首を横に傾げながら不思議そうに言った。
「しかし、さっきの黄金の光は、いったいなんだったんだろう……?」
イリスとカルロスは、ぎょっとして顔を見合わせた。
イリスたちは屋根を伝い、廊下の窓から宿屋に戻ってきた。
部屋に入ると、フィオナはこちらに背を向けて座り込んでいた。イリスは不思議そうに尋ねる。
「フィオナ、どうしたの?」
フィオナはイリスの声を聞き、こちらに駆けてきた。
「置いていかれたのかと思ったじゃん! どこにいっていたんだよー!」
イリスはフィオナを抱きとめた。
「ごめんね、フィオナ」
イリスが起きたことを話すと、フィオナの顔がみるみる険しくなる。不機嫌そうな顔で尋ねた。
「……で、どうしてこいつがここにいるのさ」
イリスはフィオナに顔を寄せ、小声で言った。
「助けたときに魔法を使ったの。それを見られて……」
フィオナは呆れたような顔をイリスに向けた。
「使うときは気をつけなきゃ」
「うん、ごめん」
フィオナは申し訳なさそうにしているイリスの肩を優しく叩き、今度はホセの前に立った。
「少年、あんたが見たのは魔法だよ」
ホセはそれに目を丸くしている。
「魔法って、おとぎ話の魔女が使う、あれか?」
「そうだよ。あたしたちはその魔女だ。今回は、あんたを助けてやるために、しかたなく使ったんだ。もし他言したら、地の果てまで追いかけて燃やすからね」
フィオナの黄金の瞳が妖しく光り、ホセは青い顔で何度もうなずいている。
カルロスは苦笑を浮かべた。
「フィオナならやりかねない……」
ホセがイリスに近寄り、耳打ちする。
「この赤髪のお嬢さん、こえーな」
イリスがくすっと笑った。




