第19話 嘘つき少年②
少年が案内したのは、街はずれの年季の入った宿屋だった。一階は酒場になっており、二階と三階が宿屋になっている。
酒場は賑わっており、満席に近い。酒を飲んでいる人相の悪い男たちが、イリスたちをちらっと見た。イリスは顔を引き攣らせ、フィオナも不安そうにカルロスの服の裾を軽く引いた。
「ねぇ、この宿、大丈夫?」
「ん? 大丈夫だろう。宿屋に酒場があるのは珍しくない」
カルロスは特に気にした様子もなく、少年についていく。イリスとフィオナは、離れないようについていった。
少年が振り返り、笑った。
「顔が怖いだけで悪いやつらじゃないから安心しな」
端にある階段を上り、三階の一室についた。音を立てながら開いたドアの先は、二つの二段ベッドと小さなテーブルがあるだけだ。
フィオナはため息混じりに言った。
「まぁ、値段を考えたら、こんなもんだよね……」
「ベッドで眠れるだけありがたいわよ」
イリスの口元には自然と笑みが浮かぶ。八日ぶりの暖かい寝床だ。
部屋の入口に立っている少年は、尋ねた。
「もう風呂の準備はしていいか? お兄さんの分の風呂は、こっちに用意するよ」
少年は隣の部屋を指差した。カルロスは剣だけを持ち、少年についていく。カルロスを隣の部屋に案内すると、少年は風呂の準備のため、部屋を出ていった。
しばらくして、少年は大きな桶とお湯の入ったバケツを持って部屋に戻ってきた。
カルロスは準備を進める少年に話しかけた。
「部屋が空いていて助かった」
「この宿は街外れだから、どうも人の入りが悪くてさ。地元民で賑わっている酒場のおかげでもっているようなもんだよ」
少年は慣れたもので無駄がない。長くこの宿で下働きをしているのだろうと容易に想像できた。
「じゃあ、ごゆっくり」
少年はそう言って、部屋を出ていった。
カルロスは風呂をさっと済まし、自分たちの部屋の扉の前に立った。ノックをしようと手を上げると、中からは水音とイリスたちの笑い声が聞こえてくる。まだ風呂の途中のようだ。しかたなく、壁に背を凭れ、待つことにした。
階段を上ってきた少年が、軽い足取りでカルロスに近寄ってきた。
「どうされました?」
「まだ入れなくてな」
カルロスは部屋を指差した。少年は扉を見て、納得したようにうなずいた。
「お兄さんたちは旅をしているのかい?」
「ああ」
「どこからいらしたので?」
「……ルーベンスから」
カルロスは答えるか迷ったが、答えても問題がないと判断した。下働きの少年に警戒する理由はなかった。少年は目を丸くしてカルロスを見た。
「へぇ、随分と遠くからきたんですね。子供三人で?」
「ああ。俺たちだけだ」
「旅をしてどのくらいなんです?」
「……一ヶ月半くらいかな」
カルロスは考えてからそう答え、案外そんなものかと思った。もっと長い間、イリスとフィオナと一緒に旅をしているような気がした。その横では、少年が指を折りながら首を横に傾げた。
「ルーベンスからですよね? 計算が合わないような……。ああ、もしかして、船旅ですかい?」
「いや、徒歩と、途中から馬だな。イヴァン山脈を抜けてきた」
少年がわずかに青ざめた顔で眉根を寄せた。
「イヴァン山脈を越えたんですかい? まるで、罪人のような旅路ですね」
「ん? まぁ、似たようなものか……」
カルロスは再び考えてからそう答えた。イリスを城から連れ出し、衛兵から追われていた。あの頃は常に気を張っていたし、イリスもうつむいていた。それを思い出し、カルロスはふっと懐かしそうに笑った。
カルロスの話を聞いた少年は、引き攣るような笑みを浮かべている。
イリスが扉を少しだけ開けた。
「カルロス、お待たせ。もう入っていいよ」
カルロスはうなずきながら部屋に入った。
少年も青い顔でそれについていく。黙々と片づけを済ませて部屋をあとにした。酒場に降り、そこにいた親方を物陰に連れていく。
親方は体格がよく、むすっとした強面だった。頬には傷が走っている。不機嫌そうだ。
「ホセ、なんだ? 仕事中だろ」
ホセと呼ばれた少年は、そんなことなど気にせず、慌てたように言った。
「あのガキども、なにかしでかして追われているようなんですよ!」
それを聞いた親方は、眉をひそめた。
「なんだって?」
「あいつらルーベンスからイヴァン山脈を抜けてきたって。『罪人なのか?』って聞いたら『似たようなもんだ』って笑いやがった。やばいですよ、親方!」
親方はおかしそうに笑った。
「お前、からかわれたんじゃないか? 子供三人でイヴァン山脈を抜けられるか」
「でも、親方……」
親方は情けない声を出すホセの肩に腕を回し、声を潜めた。
「バカなこと言ってないで、いつも通り仕事しろよ」
「へーい」
ホセは重いため息をついた。
夜も更けた頃。
イリスはふと目が覚めた。目元を擦りながら、暗い部屋の中で荷物を漁る影に尋ねた。
「カルロス? こんな時間になにやって……」
雲の切れ間から月が顔を出し、窓から明かりが差した。照らし出された人影にイリスは言葉を止め、表情を強張らせる。
そこにいたのはホセだった。ホセは舌打ちすると、きびすを返して逃げた。
イリスはそのあとを追い、廊下に出た。
「待って! それは、エイブラハム様とユアンにもらった、大切なお金なの!」
つきあたりの窓に腰かけていたホセは、イリスを振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなこと知らねぇよ」
窓の外へふっと消えた。
ここは三階だ。落ちたら大怪我は免れない。イリスは慌てて窓辺に寄り、外を覗くと、すぐ下に隣の建物の屋根があった。しかし、そこにホセの姿はない。視線を少し上げると、屋根を伝い、軽やかに逃げるホセのうしろ姿を見つけた。
――少し怖いけど……。奪われるわけにはいかない!
イリスは覚悟を決め、隣の建物の屋根へと飛び降りた。




