第31話 だし茶漬けと第一級異端指定
王太子が「カツ丼」で生気を取り戻したという噂は、瞬く間に王宮内を駆け巡った。
だが、エルゼはすぐさま動いた。
「……あの料理は一時的に脳を麻痺させる毒です。王太子殿下は“快楽の幻覚”を見せられているのです!」
国王にそう吹き込み、忍の料理を王宮内で公式に禁じた。
忍は王宮の一角にある「離れ」に軟禁されることになった。
だが――
食いしん坊の探求心は、禁じられるほど燃え上がる。
その夜。
聖女の「無味無臭の安寧」に心身ともに疲れ切っていた若き貴族や近衛兵たちの鼻を、
どこからともなく漂う『香ばしい匂い』がくすぐった。
「……なんだ、この落ち着く匂いは」
「醤油の焦げた……胸を締め付けるような……」
吸い寄せられるように離れの厨房へ向かうと、そこには忍が鼻歌を歌いながら、小さなおにぎりを網で焼いていた。
「あ、みんなもお腹空いてる?余り物で悪いけど、『焼きおにぎり』と『出汁茶漬け』、食べる?」
醤油を塗ってカリッと焼き上げたおにぎり。
昆布と鰹節で丁寧に取った黄金色の出汁。
「……っ!! なんだ、この『旨味』という暴力は……!」
「聖女様の水は喉を通るだけだが、この出汁は……細胞に染み渡る……!」
一口啜るごとに、貴族たちの目に生気が戻っていく。
彼らは知らぬ間に、忍の「胃袋の虜(信者)」へと変貌していった。
同じ頃、大聖堂の地下深く。
エルゼの報告を受けた聖公会の高官たちが、黒い法衣を揺らしながら集まっていた。
「……問題は“醤油”だ」
「黒い……あの液体……あれは悪魔の血では?」
「焼きおにぎりは“魂を揺さぶる呪物”と報告が来ております」
「……ふむ。では、第一級異端指定でよいな?」
「異論なし。第一級異端――それは魔王級の脅威にのみ下される、国家最高位の死刑宣告だ。」
「よろしい。あの少年の“醤油”を、この国の歴史から完全に抹消せよ。」
こうして忍は、毒殺犯ではなく、信仰を揺るがす“魔王級の異端” として処刑対象となった。
翌朝。
離れの庭で、アレックスとレオナードが忍を挟んで火花を散らしていた。
「忍、今日の朝食は……」
「坊主、俺が獲った鳥を……」
そこへ、エルゼが神聖騎士団を引き連れて現れた。
「アレックス卿、レオナード卿。急報です。北部の国境結界に亀裂が生じました。陛下より、王国最強の双璧であるお二方に、直ちに出陣せよとの勅命です」
「……何だと? このタイミングでか」
「ええ。これは王国の存亡に関わること。……まさか、一人の少年のために国を見捨てるとは仰いませんよね?」
二人は拳を握りしめた。
エルゼの狙いが「忍から自分たちを引き離すこと」だと分かっていても、王命には逆らえない。
「……忍。すぐに戻る。それまで、誰にもその体に触れさせるな」
「坊主、変な奴が来たらこの魔石を叩き割れ。俺が飛んでくる」
二人は後ろ髪を引かれる思いで王都を後にした。
二人が去った直後、忍を襲ったのは激しい倦怠感だった。
ここ数日、王都のギスギスした空気の中で魔力を料理に込めすぎた反動だ。
「……あ、れ……?なんだか、視線が低くなった……?」
エプロンの紐が緩み、服がぶかぶかになっていく。
忍の精神が、急激な魔力枯渇によって「5歳児程度」 まで退行を始めてしまったのだ。
王都の北門から、砂埃を上げてアレックスとレオナードの騎馬隊が駆け去っていく。それを見届けたエルゼの口元には、勝利を確信した冷酷な笑みが浮かんでいた。
「ふふ……。盾も矛も失った不浄など、ただの羽虫も同然」
幼児化した忍の前にエルゼが勝ち誇ったように現れる。
「ふふ……。あの二人がいなくなった途端に弱るとは。やはり“依存”していたのですね。不浄とは脆いものです」
忍が幼児化していく様子を見て、エルゼは宗教的に都合よく解釈した。
「……見なさい!罪深き魂が“幼児の姿”を取って露わになったのです!これは不浄の本性……!この汚れた者をーー」
エルゼが神聖騎士団に合図を送ろうとした、その時だ。
「……待て。不浄の監視は、この私が行うと言ったはずだ。王命を預かっているのは、聖女、お主だけではないぞ」
割って入ったのは、北部の老公爵ゼノスだった。彼はエルゼの鋭い視線を真っ向から受け止めると、足元でぶかぶかの服を掴んで立ち尽くす「小さな塊」を見下ろした。
「……ひゃう? じいちゃん……?」
魔力枯渇によって五歳児ほどまで縮んでしまった忍がいた。エプロンの紐は地面を引きずり、袖から出た手は白く、ぷにぷにとしている。
「……ふん。これでは毒味もできんではないか。……おい、小僧。付いてこい。不浄の根源を断つため、私が直々に地下の『検分室』へ連行してやる」
ゼノスは強引に忍を脇に抱え上げると、エルゼが口を挟む隙も与えず、王宮の隠し通路へと大股で消えていった。




