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第29話 聖女の逆襲と、琥珀色の誘惑(醤油アイス)

カツ丼を一口食べた王太子が、数ヶ月ぶりに生きた涙を流し、「もっと食べたい」と叫んだ瞬間、聖堂の寝室は静まり返った。

 それは、エルゼが築き上げてきた「無味無臭の安寧」という支配が、忍の「生命力あふれる美味しさ」に敗北した瞬間だった。


「……陛下! ……お腹が、空きました! ……もっと、もっとこの『不浄』を、私に食べさせてください!!」


 王太子の飢えたような叫びに、国王は呆然と立ち尽くす。

エルゼの顔からは慈愛の仮面が剥がれ落ち、真っ白な怒りと、隠しきれない焦燥が浮かんでいた。


「……バカな。……私の神聖力が……、ただの『食事』に……っ」


 エルゼは、王太子の唇に残る黄金色の卵と、醤油の匂いに、激しい嫌悪感を抱いた。彼女にとって、それは自分の完璧な世界を汚す、忌むべき「穢れ」そのものだった。


「……陛下。……これこそが、不浄の恐ろしさです」


 エルゼが、震える声で国王に進言した。その瞳には、冷酷な計算が宿っている。


「かの少年は、料理に魔力を混ぜ、王太子殿下の脳を一時的に麻痺させ、幻覚を見せているのです。……あぁ、哀れな殿下。……その証拠に、そのカツ丼とやらには、殿下の身体を芯から蝕む『毒』が仕込まれています」


「……なっ!? 毒だと!?」


 国王が目を見開く。

 その瞬間、アレックスが忍の前に立ちはだかり、剣を半身に構えた。

 エルゼを睨みつける。


「……貴様。……忍が毒を入れたというなら、その証拠を見せてもらおうか」


「……アレックス卿。……聖女である私の目が、証拠です。……今すぐその少年を拘束し、処刑せねば、王太子殿下の命は……」


 エルゼの言葉に、近衛騎士たちがじりと間合いを詰める。

 絶体絶命の空気。

 だが、忍はその背後で、ニヤリと不敵に笑った。


「……へぇ。毒、ね。……じゃあ、エルゼさん。……俺が今から作る『お口直し』、あなたが毒味してくれますか?」


「……私が、毒味……? ……お断りします。……穢れた食事など……」


「……怖いの? ……聖女様なのに、自分の神聖力で毒を浄化できないんですか?」


 忍の挑発に、エルゼのプライドが激しく逆撫でされた。


「……いいでしょう。……その『お口直し』とやらを、私が浄化して、毒の存在を証明して差し上げます」


 忍は、馬車から持ち込んでいた「氷魔法の冷蔵庫」から、白い固形物を取り出した。

 それは、道中にアレックスが魔法で凍らせてくれた、生クリームと砂糖、そして卵黄を混ぜた「バニラアイスクリーム」の素だ。


「……よし、仕上げだ」


 忍は、琥珀色に輝く自家製醤油を、その真っ白なアイスクリームの上に、とろりと回しかけた。


 ――ふわぁぁっ!!


 バニラの甘い香りと、醤油の香ばしい香りが、絶妙なバランスで混ざり合い、寝室中に広がった。

 それは、カツ丼の甘辛さとは違う、どこか懐かしく、そして官能的なまでの甘い誘惑だった。


「……なんだ、この……この『甘美な』匂いは……っ」


 ゼノスがゴクリと唾を飲み、レオナードが「坊主、俺の分は!?」と身を乗り出す。

 忍は、エルゼの前に、その琥珀色のアイスクリームを差し出した。


「はい、どうぞ。……俺特製、『醤油キャラメルアイス』です」


 エルゼは、そのアイスクリームを睨みつけた。

 匂いは……甘い。……毒の気配はない。

 ……だが、……醤油が混じっている。……それだけで、……不浄のはずだ。


「……浄化……します」


 エルゼは、意を決してスプーンを口に運んだ。

 冷たいアイスクリームが、舌の上でとろける。


「…………っ!!」


 エルゼの瞳が、限界まで見開かれた。

 バニラの濃厚な甘みの後に、醤油の塩気が、甘みを極限まで引き立てる。

 ……そして、醤油の香ばしさが、まるで高級なキャラメルのような深いコクとなって、口いっぱいに広がる。


「…………あ……甘い……。……でも、……しょっぱい……。……なに、これ……、……止まらない…………っ!」


 エルゼの手が、無意識に二口目、三口目とアイスクリームを掬い始めた。

 彼女の神聖力が、醤油の旨味と甘みの奔流に飲まれ、霧散していく。


「……エルゼ? ……そなたは、何を……」


 国王の声も、エルゼの耳には届かない。

 彼女は、生まれて初めて知る「甘味」という名の快楽に、完全に溺れていた。


「……ひゃひゃひゃ! ……見ておれ忍。……聖女様が、お主の『醤油アイス』に、魂までとろけさせられておるわい!」


 クリスティナの笑い声が、聖堂の寝室に響き渡った。

 醤油キャラメルの甘い香りに包まれ、偽聖女の「無味無臭の支配」は、音を立てて崩れ去った瞬間だった。

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