表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/37

第26話 無色の聖女と、鉄の召喚状

 コンウォール侯爵邸で「肉じゃが」の温かな湯気が揺れていたその頃。

 



王都、聖公会大聖堂の奥深く――。

 色彩を剥ぎ取ったような白亜の広間には、一切の「匂い」が存在しなかった。磨き上げられた大理石の床、無機質な祭壇。そこにあるのは、清浄という名の拒絶だ。


「……あぁ、今日も皆、悩み、苦しんでいるのですね」


 今や王都では聖女と崇められているエルゼ・フォン・マギトは、慈愛に満ちた微笑みを湛え、列をなす信者たちに銀の杯を差し出していた。

 中に入っているのは、彼女が神聖力で生成した「聖水」である。

 何の匂いもなく、味もないこの聖水を一口口にしただけで、不安や焦燥感、痛みは消え去り、多幸感に包まれ、安寧を得られた。

 だが――

 その安らぎは、魂の奥底を“空洞”にする代償と引き換えだった。

 聖水を煽った貴族たちは、恍惚とした表情で彼女の足元に跪く。

 その頬はこけ、人間らしい活力を失っているが、彼らはそれに気づかない。

 ただ、彼女が与える無色透明な安らぎだけを求めていた。


(……もっと。もっと私を必要とすればいいのです)


 エルゼの瞳の奥に、微かな狂気が揺れた。

 聖水を配り終えたエルゼが向かったのは、大聖堂の奥に隣接する王太子の寝室だった。

 かつて「王国の獅子」と謳われた勇猛な王太子が、青白い顔で虚ろに横たわっている。


「……あぁ、エルゼ……。また、あの『安らぎ』を……」


 王太子は、まるで麻薬を求めるように手を伸ばす。

 エルゼは慈愛に満ちた手つきで、彼の唇に聖水を一滴落とした。

 瞬時に王太子の苦悶の表情は消え、穏やかな、しかし感情の抜け落ちた人形のような笑みが浮かぶ。


(……美しい。あなたは苦しんでいる方が、ずっと従順なのです)


「……陛下。王太子殿下の病(穢れ)の根源は、東部から流れてくる『不浄』にあります。かの少年を浄化せねば、殿下の真の快癒は望めませぬ」


 国王は唯一の希望である彼女の言葉を盲信するしかなかった。


「……分かった。直ちに騎士団を差し向けよう。我が息子の命を脅かす不浄など、この国には不要だ」


 エルゼの口元がわずかに歪む。

 それは、勝利を確信した者の笑みだった。




 場面は戻り、再び東部の侯爵邸。

 食卓には、肉じゃがの甘辛い香りと、幸せな満足感が漂っていた。


「……ふぅ。じいちゃん、おかわりは?」


「……いらんと言っておる。検証は十分だ(※すでに三杯食べている)」


 ゼノスは顔を背けながらも、満足げに髭を撫でていた。

 アレックスとレオナードも、最後の汁までパンで拭い取り、穏やかな――この屋敷始まって以来の、平和な沈黙が流れている。

 だが、その静寂を切り裂いたのは、地響きのような蹄の音だった。


「報告します! 王都より、王宮直属・重装騎士団が到着! 屋敷を完全に包囲しました!」


 アレックスの表情から、瞬時に体温が消えた。

 玄関先に現れたのは、先ほどの使者とは比較にならない、鉄の意志を纏った騎士たち。

 その先頭に立つ近衛隊長が、冷徹に羊皮紙を広げた。


「東部侯爵アレックス・フォン・コンウォール。および、不浄の元凶、忍。……聖女エルゼ様の『最終神託』により、忍を不浄の拡散者として指定。直ちに王都へ連行し、聖堂の地下にて『永久浄化(幽閉)』に処す」


「永久……浄化……?」


 忍の背中に、嫌な汗が流れる。


(……これ、絶対“帰ってこれないやつ”じゃん……!)


「……私の忍を、その女の生贄に差し出せと?」


 カチリ、と硬質な音が響く。

 アレックスが小皿を置き、剣の柄を親指で押し上げた。

 その瞳は昏く燃え上がり、周囲の空気が物理的な圧力となって騎士たちを圧迫する。


(忍を奪われる? ……そんな未来、ありえない。忍がいない世界など、世界ではない)


「面白い。……ならば、その前に王都を血の海に沈めてやろう。私の忍に触れようとするその汚れた手を、一本残らず叩き斬ってからな」


 アレックスの放つ、かつてない規模の殺気。

 最大の対立が、いよいよ幕を開ける。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ