第25話 北の老公爵と、不浄の肉じゃが
コンウォール侯爵邸の玄関は、北から訪れた老公爵ゼノス・ノースランドの放つ威圧感で凍りついていた。
白銀の髭を蓄えたゼノスは、アレックスを冷徹な目で見下ろす。
「……アレックス。貴様、私が来るというのに、随分と不浄な匂いをさせているな」
その傍らでは、王都から派遣された教会の使者が、鼻にハンカチを当てて大げさに顔を顰めている。
「……ゼノス、お主は何の用でここに来た?」
現れたのはクリスティナだ。
彼女は悠然と杖を突き、ゼノスの前に立った。
「……クリスティナ様。貴女様ともあろうお方が、よもや得体の知れない少年に肩入れしておるなどと申されはしないでしょうな。その少年は、聖女エルゼ様より『不浄』の神託が下っておるのです」
「ひゃひゃ、相変わらず堅苦しい男じゃな。……はて、不浄とは?」
ゼノスは鼻を鳴らし、声を低くした。
「魔力を食べ物に混ぜ、それを寝かせて腐らせるなど神への冒涜。聖女様は仰せられた。かの少年の周囲には鼻を突くような『魔力の腐敗臭』が漂っていると。その濁った魔力は、王国の民の魂まで汚染する毒に他ならぬ」
アレックスが忍を庇うように一歩前へ出た。
その背後で、忍はこっそりとゼノスを観察していた。
(……腐敗じゃなくて発酵なんだけど。アンモニアとアミノ酸の区別もつかないの!? ていうか、魔力測定不能の僕に“混ぜる魔力”なんてないんだけど!?)
まともに反論しても「不浄」のレッテルは剥がせない。
忍はアレックスの背中をポンと叩き、小声で囁いた。
「アレックスさん、ちょっと作戦考えてくる!」
「忍!」
呼び止める声を振り切り、忍は凍りつく広間を脱出し、厨房へと走り去った。
厨房に飛び込んできた忍に、ボリスたち調理人が驚いた。
「先生、何かあったんで?」
「頑固そうなじいちゃんを説得しなきゃなんない問題発生だよ」
「頑固そうな……まさかノースランド様じゃ……」
「そのノースなんとか様だよ」
「ひっ、ひぇっ」
忍は厨房の食材を見渡しながら、次々と指をさした。
「ボリス、これとこれとこれ、それからこれも貰っていい?」
「かまわねぇが……今度は何を作るんで?」
「僕の世界でいう『おふくろの味』」
忍はすでに鍋を火にかけていた。
(……じいちゃんの肉じゃが、世界最強なんだよ。これで落ちない老人はいない)
数十分後。
ゼノスがクリスティナとアレックスを問い詰めている食卓へ、甘辛く、そして強烈に食欲をそそる香りが流れ込んできた。
「……っ!? な、なんだ、この……この『安心するような』匂いは」
ゼノスの鼻がピクリと動く。
それは聖女が言う「腐敗臭」などではなく、
食材の旨味が醤油と砂糖の魔法で極限まで引き出された、抗いがたい香りだった。
そこへ、忍が大きな鉢を持って現れた。
「はいお待たせ! じいちゃんも使者の人も、立ち話もなんだし、食べてから話そうよ。温かいものは温かいうちに……冷めるのが一番もったいないからさ!」
「また、うまそうなものを作ってきたな、忍」
「へへへっ、おふくろの味、肉じゃがだよ、おばあちゃん」
ゼノスは顔を真っ赤にしながら椅子に深く腰掛けた。
「……毒味だ。王都へ連行する前に、不浄なものが混じっていないか、この私が確認せねばならんからな」
(いや、絶対食べたいだけでしょ)
ゼノスはホクホクのジャガイモを口にし、甘辛い味の染み具合に目を見開いた。
「……ふむ。この芋の柔らかさは、北部の厳しい冬に……」
その時――
ドォォォォン!!
食堂の扉が豪快に蹴り開けられた。
「おいアレックス! 醤油の焦げる匂いがしたと思ったら、今度はなんだこの美味そうな匂いはよぉ!」
乱入してきたのは、口の周りにまだ焼きおにぎりの醤油をつけたままのレオナードだ。
「……レオナード。貴様、まだ帰っていなかったのか」
アレックスが心底嫌そうに眉をひそめる。
「帰るわけねえだろ! おお、なんだこの煮物は。おい忍、俺の分もあるよな!?」
「あ、レオナードさん。今ちょうど肉じゃがができたところで……」
忍が差し出そうとした小鉢を、横からゼノスの手がピシャリと制した。
「……南の野蛮人が。食事中に騒ぎ立てるとは何事だ。この煮物は、私が『浄化(検証)』の最中である」
「あぁん? 浄化だぁ? じじい、自分の皿の芋を全部食ってから言うな! その皿、もう空じゃねえか!」
見れば、ゼノスの皿は一滴の汁も残さずピカピカになっている。
(……皿、舐めた?)
「……っ。……これは、検証のために必要な……」
「嘘をつけ! 忍、こいつに代わりは出すな。俺が全部食ってやる!」
レオナードが忍の腰を引き寄せ、スプーンを自分の口へ誘導しようとする。
「おい、忍。ほら、味見だ。俺が毒味をしてやるから『あーん』しろ」
(ちょ、近い! アレックスさんが爆発するって!)
「な……ッ!? 貴様、レオナード! 忍に何をさせている!」
アレックスが殺気立って忍を取り返そうとし、
そこにゼノスが「年長者を敬わんか!」と参戦。
阿鼻叫喚の食卓。
最早食事どころではない。
「ちょっとみんな! 喧嘩するなら、今日のご飯は抜きだよ!」
忍が「厨房の暴君」の顔で一喝すると、
王国最強クラスの男三人が、ビクッとして同時に静まり返った。
「……忍。……代わり、……もらえるか?」
「……私も、……もう少しだけ『検証』が必要だ」
「……俺も、……おねがいします」
三人が借りてきた猫のように皿を差し出す横で、クリスティナがゲラゲラと笑った。
「ひゃひゃひゃ! これは見ものじゃ。忍、お主の『肉じゃが』一つで、北と南の公爵が餌を待つ犬のようじゃわい!」
忍は苦笑しながらも、心の中で呟いた。
(……料理って、やっぱり最強だな)
肉じゃが一杯で、北の老公爵の「不浄」という壁に、大きな、大きなヒビが入った瞬間だった。




