第23話 南の別れと、独占欲の帰路
熟成に一年はかかると思っていた味噌が、三日後には完成していた。
(これって……異世界マジック? ありえない……マジで!?)
味噌の前で忍は茫然と立ち尽くした。
調理長とボリスが覗き込む。
黄土色だった味噌は、しっかりと茶色に変色し、香ばしく芳醇な香りが辺りを包んでいる。
忍は恐る恐る指先で掬い、ぺろりと舐めた。
「で、できちゃった……」
異世界味噌爆誕の瞬間だった。
真っ白なテーブルクロスの上には忍が執念で完成させた、異世界初の味噌汁、「豚汁もどき(南西部味噌仕立て)」が炊き込みご飯とともに並べられていた。
席につくのは、レオナード、アレックス、クリスティナ。
全員が子供のように目を輝かせていた。
「召し上がれ」
その一言を合図に、三人は一斉に手を伸ばした。
「…………っ!!」
レオナードの動きが止まる。
味噌と肉からは野性味溢れるコクが、葉物野菜と根野菜からは優しい甘みと穏やかな旨味。
それらが深皿の中で渾然一体となり、深い味わいを出していた。
醬油もどきとバターで炊き上げたきのこご飯には香ばしいおこげまで出来ている。
「いくらでも食える」
「深く優しい味わい…忍、どこまで掴めば気が済むんだ……」
「寿命が延びるとはこのことじゃ…やはり、儂のところに……」
「ざけんな、来るとしたらここだろうが!」
「お前こそ、ふざけるな!忍はどこにもやらん!」
「アレックスよ、お主は娘を溺愛する父親か?」
三人は言い争いながら競うように食べ続ける。
そんな三人をよそに忍はぼそりと呟いた。
「お漬物欲しい……」
いろいろなことがあり過ぎた旅もついに最終日となった。
忍は、手に入れたばかりの「大豆もどき(味噌・醤油の源流)」と、南の豊かな海産物を前に、かつてないほどウハウハと上機嫌だった。
「見てよボリス! このエビ、プリップリ! カニも身が詰まってる! これなら……あれが作れる!」
忍が提案したのは、現代日本の洋食と和食が融合した、究極の「お別れメニュー」だった。
厨房では、忍に心酔したレオナードの厨房長と、元祖・忍の右腕であるボリスが、火花を散らしていた。
「忍先生のソース作りを一番近くで支えるのは俺だ!」
「寝言を言うな。俺は先生と一緒に旅をしてきたんだ、息の合い方が違う!」
そんな料理人たちの小競り合いを「はいはい、喧嘩しない」といなすと、忍は一気に料理を仕上げていった。
テーブルに並んだのは、異世界の人々が目にしたこともない輝かしい料理の数々。
カニクリームコロッケ: サクッとした衣を破れば、濃厚なベシャメルソースとカニの旨みが溢れ出す。
特大エビフライ: 自家製マヨネーズをベースに、ピクルス代わりの野菜や香草を刻み込んだ「特製タルタルソース」をたっぷりと。
ちらしずし: 貴重な米を酢(果実酒を加工したもの)で締め、色とりどりの魚介を散らした、見た目も鮮やかな一品。
カスタードプリン: デザートには、卵とミルク、そして焦がし砂糖の苦味が絶妙な黄金のプリン。
「……なんだ、これは。この白いソース(タルタル)は、エビのために生まれてきたのか!?」
レオナードがエプロンを汚すのも構わず、エビフライを頬張る。
「ひゃひゃ、この『すし』という米の食べ方も乙なもんじゃ。レオナード、石粒じゃったか、それの残りはすべてアレックスの東部へ送るよう手配したぞえ。儂はもう、これなしでは生きられん」
「おい、おばば様、勝手に決めんな! ……と言いたいが、この『プリン』を人質にされたら断れねえな……」
最後の夜、賑やかな晩餐が続いた。
翌朝。
出発の馬車の前には、忍との別れを惜しむレオナードと厨房スタッフたちが集まっていた。
厨房長はボリスと「次は負けない」と固い握手を交わし、レオナードは忍の目の前までしゃがみ込んだ。
「忍。……飽きたらいつでも戻ってこい。南の海はいつでもお前のものだ」
レオナードが忍の頭を無造作に撫でようとしたーーが、その手は空を切った。
アレックスが一瞬早く忍の肩を抱き寄せ、自分の背後に隠したからだ。
「……もう十分だろう、レオナード。……帰るぞ、忍。ここは忍の環境に悪い。私の領地に辿り着くまで、一歩たりとも私のそばを離れないように」
「えっ、環境に悪いって……あはは、レオナードさんのこと? 失礼だよアレックスさん」
忍は苦笑するが、アレックスの目は本気だった。
自分以外の魔力で身体を戻されたことへの焦燥と、これ以上この奔放な男に忍を晒したくないという防衛本能が、彼を極限まで過保護にさせていた。
「レオナード、石粒と大豆もどきの輸送は滞りなく行え。……行くぞ」
アレックスは忍を抱きかかえるようにして馬車へ乗せ、自らもすぐに乗り込んで扉を固く閉ざした。
まるで、南の熱風すら忍に触れさせたくないと言わんばかりの徹底ぶりだ。
「ひゃひゃ、アレックスの奴、よほど余裕がないようじゃな。忍よ、あれはしばらく離してくれんぞえ」
クリスティナが愉快そうに笑いながら、自分の席に落ち着く。
馬車がゆっくりと動き出し、忍は窓から手を振った。
「さよなら、レオナードさん!厨房長さん、ありがとう!」
遠ざかる南西部の活気ある街並み。
忍の膝の上には、レオナードから贈られた最高級の大豆もどきが詰まった袋がある。
「……忍。次は、私の屋敷でその豆を存分に使うといい。……もう、あんな男に魔力を頼る必要はない。いいな?」
馬車の中で、アレックスが忍の手をぎゅっと握りしめる。
忍は「はいはい」と答えつつ、心の中ではすでに、東部の屋敷に戻ってから仕込む「本物の味噌と醤油」のことで頭がいっぱいだった。
こうして、忍の初めての遠征は、美食の種と、二人の守護者という新たな火種を抱えたまま幕を閉じる。
――しかし、彼らはまだ知らなかった。
東部の領地へ戻った彼らを待ち受けているのは、安息だけではないことを。
王都から忍び寄る「救国の乙女」の影。そして、忍の料理が国全体の運命を狂わせていく序曲が、静かに始まろうとしていた。




