第22話 二人目の守護者と、目覚めの熱
三歳児まで縮んでしまった忍は、お腹が満たされた安心感と、味噌の仕込みで完全に使い果たした気力の反動に抗えず、ついに限界を迎えた。
こくり。
船を漕いでいた小さな頭が、ゆっくりと傾き――
ことん。
あろうことか、天敵(アレックス談)であるレオナードの膝の上に、そのまま倒れ込んだ。
「……は?」
レオナードは固まった。
戦場で数千の兵を率い、魔獣の群れの中を笑いながら突っ込む男が、今、微動だにできずにいる。
「お、おい……寝ちまったぞ……」
恐る恐る、自分の膝の上を見る。
そこにいるのは、「厨房の暴君」ではない。
ただの――柔らかくて、温かくて、壊れそうな、小さな子供だった。
「なんだ、この軽さは……」
そっと触れた肩は、驚くほど細い。
少し力を入れれば折れてしまいそうで、レオナードは思わず手を止めた。
(俺は、魔獣の首を素手でへし折ったこともあるってのに……)
なのに今は、この小さな存在を動かすことすら躊躇っている。
「……忍を返せ、レオナード。今すぐだ」
低く、凍てついた声。
アレックスだった。
剣の柄に手をかけたまま、レオナードを睨んでいる。
その目は本気だ。
本気で、「膝の上の三歳児」を奪還する気でいる。
「馬鹿言うな」
レオナードは鼻で笑った。
「今動かしたら起きるだろうが」
「起きればいい。私の腕の中で起きればいい」
「お前は鬼か」
「守護者だ」
即答だった。
レオナードは呆れたように息を吐き、再び忍を見る。
すう、すう、と規則正しい寝息。
完全に熟睡している。
「……魔力が空っぽだな」
その瞬間、アレックスの空気が変わった。
「……何だと」
レオナードは、忍の背に手を当てた。
驚くほど冷たい。
まるで、灯火が消えかけているようだった。
「ちっ……無茶しやがって」
レオナードは舌打ちし、小さな背に、そっと魔力を流し込んだ。
瞬間。
空気が変わった。
溢れ出したのは、太陽だった。
熱。
光。
生命の奔流。
アレックスの魔力が「静かな月光」だとすれば、レオナードのそれは「真昼の太陽」だった。
奔放で、荒々しく、それでいて力強い。
「――っ」
忍の身体が淡く輝いた。
ぶかぶかだった服が、内側から持ち上げられる。
小さかった手が伸び、
腕が、
身体が、
瞬く間に成長していく。
レオナードは思わず目を見開いた。
(……なんだこれは)
自分の魔力が、こんなにも素直に受け入れられている。
拒絶も、反発もない。
まるで――最初から、ここに流れることが決まっていたかのように。
「……ん……」
忍のまぶたが、ゆっくりと開いた。
「……あつ……い……」
「よお、お目覚めか、小さな暴君」
「……レオナードさん……?」
「っ……」
小さな手で目をこすり、ぼんやりとした視線をレオナードに向けた。
そして次の瞬間。
「忍!」
忍の身体が、強引に引き寄せられた。
「うわっ!?」
アレックスだった。
忍を自分の胸に抱き込み、レオナードを睨みつける。
「……私の魔力以外で戻るなど、認めん」
「いや戻っただろう」
「戻りましたけど?」
「認めん」
「現実を見ろ」
「認めん」
(あんたは子供か……)
忍は内心で突っ込んだ。
「忍。二度とこの男に触れさせるな」
「えっ、なんで!?」
「汚染される」
「何で僕は温泉みたいな扱いなの!?」
「いや、忍、汚染な」
なぜか訂正するレオナード。
「ひゃひゃひゃ!」
笑い声が響いた。
振り返ると、クリスティナがいた。
いつの間にか、そこに。
「見事じゃな、レオナード」
「何がだ?」
「お主、守護者として認められたのじゃよ」
「は?」
レオナードは眉をひそめる。
クリスティナは楽しそうに続けた。
「東の盾アレックス」
クリスティナがアレックスを指す。
「南の矛レオナード」
今度はレオナードを指した。
「忍を守る、左右の守護者が揃ったというわけじゃ」
「はっ、なんだそれ」
レオナードは豪快に笑った。
「面白ぇ」
そして忍を見る。
その目は、太陽のように眩しく、どこか挑発的だ。
「どうする、坊主いや、忍。月みてぇに陰気な男と、太陽みてぇに楽しい男。選ぶならどっちだ?」
「誰が陰気だ」
「お前しかいねぇだろうが」
「殺すぞ」
「やってみろ」
「ひゃひゃひゃ、おお、いいぞ、やれやれ」
「ストーップ!? おばあちゃんも煽らない!」
忍は二人の間に割って入った。
二人の殺気がぶつかり合う空気の中で、忍だけが妙に冷静だ。
「だいたい、僕は守られるために来たんじゃない!」
二人がピタリと止まる。
忍は真剣な顔で言った。
「美味しい味噌汁を作るために来たんだ!」
「「…………」」
沈黙。
「ひゃひゃひゃっ、そうじゃったな、忍」
クリスティナは愉快気に笑った。
「……忍」
アレックスが静かに言う。
「私は守る」
「俺は食う」
レオナードが胸を張って言う。
「まさかの目的が違う!?」
忍が頭を抱える。
クリスティナは感心したように
「うむ、さすが、食で領財政を潰しかけた男じゃ。ぶれぬな」
「そして、守る」
そのとき、アレックスがそっと忍の手を握った。
「え?」
忍が首を傾げる。
アレックスは目を伏せ、低く、しかし確かな声で言った。
「……無自覚に、すべてを奪っていく」
魔力も、心も、理性も。
(そんな気はないんだけどなぁ……)
忍は困ったように笑った。
「……味噌が完成したら、味噌汁、飲む?」
「飲む」
「飲む」
即答だった。
月と太陽。
正反対の守護者を従えながら、忍の異世界生活は、ますます騒がしくなっていくのだった。




