第21話 暴君の失態と、暴かれた秘密
公爵家の厨房内は、立ち込める湯気と、豆を煮るときに立ち上る独特の香りで満ちていた。
南西部特有の暑さも相まって、空気はもわりと熱を帯び、その中を料理人たちが額に汗を浮かべながら一心不乱に動き回っている。
そこは、もはや戦場だった。
巨大な石窯の火にかけられた大鍋から、ふわっと白い泡が浮き上がる。
その瞬間――
「そこ、火が強すぎる! 大豆は優しく、でも芯まで熱を通すんだ!ボリス、灰汁取りサボらない!」
「は、はいっ、忍先生!」
「お水が少なくなったら足し水! 焦げたら全部台無しだからね!」
「は、はいっ!」
エプロンをなびかせ、踏み台の上で指揮を執る忍の姿は、まさに『厨房の暴君』そのものだった。
最初は「余所者のガキが何を言う」と反発していた南西部の料理人たちも、忍の圧倒的な知識と味覚、そして“発酵”への狂気じみた情熱に、気づけば完全に心酔していた。
アレックスとレオナードは、その様子を少し離れた場所から眺めていた。
「……すげぇな、あの坊主」
レオナードが腕を組みながら呟く。
「当然だ。忍は天才だ」
アレックスは淡々と答えるが、その目は誇らしげで、どこか甘い
大豆が柔らかくなり、全部が順調に進んでいるかと思われていたが、忍には一つだけ計算違いがあった。
(……やばい。夢中になりすぎて、なんかくらくらする……)
南の暑さと、慣れない大規模な仕込み。そして作業工程を注意深く確認するために無意識に限界以上の集中力を使っていた。
視界がときおり、ぐにゃりと歪む。
それでも忍は手を止めなかった。
茹で上がった豆をすり潰し、塩と麹もどきを混ぜ合わせていたものを入れる。耳たぶ程度の固さになるよう丁寧に捏ねる。空気を抜いて容器に詰め、表面に薄く塩をふり、落し蓋をして、その上から容器の口を布で覆った。
「後は、熟成……」
「……忍、顔色が悪いぞ。少し休め」
アレックスが背後から支えようとした、その時だった。
「――ポンッ」
軽い音と共に、忍の体がふわりと浮いた。
「えっ」
着ていた子供服の袖がさらに余り、視線がガクンと下がる。アレックスの腰の高さほどあった身長が、今や彼の腿あたりまで縮んでいた。
「……あ、あれ?」
「はあぁ!?」
素っ頓狂なレオナードの声が厨房に響く。
見上げた先には、鳩に豆鉄砲を食ったような顔のレオナードが立ち尽くしている。
「おい、アレックス……。俺の目が腐ってなきゃ、今、忍が縮んだよな?」
「…………。見間違いだ」
「見間違いなわけねえだろ! なんだ?忍が、その……三歳児くらいになったぞ!? 服に溺れてるじゃねえか!」
ついに隠し通せなくなったアレックスは、殺気立った顔で忍をマントの中に隠した。
「忍の身体は、魔力が不足すると若返る特異体質なんだ。……いいかレオナード、誰かに喋れば、貴様の領地を更地にするぞ」
「はっはっは! 更地にする余裕があるなら、そのちっこくて可愛い天使を俺に貸せよ!」
レオナードは驚きつつも、マントの隙間から顔を出した「超・幼児化忍」を見て、その野性的な瞳をキラキラと輝かせた。
「ちっこくて可愛い天使……く、屈辱~」
頬を膨らませた忍のその姿にレオナードはさらに身を乗り出した。
「おいおい、なんだその愛くるしさは。さっきまでの暴君ぶりが嘘みてえだ」
「暴君いうな」
「悪りぃ、悪りぃ、そう怒るなって。アレックスの言葉から察するに、魔力を注げばいいんだな?忍、俺のところへ来い。お前が百歳になるまで、俺の魔力をたっぷり注ぎ込んでやるぜ?」
「じいさんはヤだ」
「……死ね。忍に触れていいのは私だけだ」
アレックスの魔力が膨れ上がり、厨房の鍋がガタガタと震え出す。
そんな修羅場の中、三歳児化した忍は、ぶかぶかの服を掴みながらぷっくりした頬を膨らませた。
「……おなかすいた。おみそ、できたのに……」
その舌足らずな一言で、二人の男の理性が一瞬で消し飛んだ。
「おい、厨房長、なんかすぐに作れ!」
「フレンチトースト……食べたい……」
「ボリス!」
「「は、はい、すぐにっ」」
お腹が満たされ、若返りの副作用でトロンとした瞳の忍に促されて、レオナードもフレンチトーストを口にした。
「…………っ!!」
レオナードの動きが止まった。
優しい甘み。卵と牛乳のコク。バターで丁寧に焼かれたパンの香ばしさ。それらが身体の隅々にまで染み渡り、南の荒々しい男の心を、優しく、けれど強烈に解きほぐしていく。
「……なんだこれ。魂が洗われるようだ。坊主……いや、忍。お前を絶対に手放したくなくなった。アレックス、お前にこいつは勿体ねえ」
「……言ったはずだ。次はないと」
「なきゃ作るまでだ」
忍の「幼児化」という最大の秘密がバレたことで、アレックスの独占欲はもはや限界を突破。
一方で、忍の料理に胃袋と心を完全に撃ち抜かれたレオナードは、アレックスから忍を「強奪」する機会を虎視眈々と狙い始める。
美食展開の裏で、忍を巡る男たちの火花は、南の太陽よりも熱く燃え上がろうとしていた。




