第16話 南へ向かう決意 そして米が世界を動かす
魔力3という衝撃的な結果にうなだれる忍とは対照的に、アレックスは表情こそ変えないものの、内心ではご満悦だった。
「この世界に来たときには0だったかもしれないのだ。判定結果が3となっただけでも進歩だと思うが」
「慰めにもならないよ……」
恨めしげに睨んでくる忍が可愛くて、アレックスは相好が崩れそうになる。
「こちらに来て日も浅い。そう悲観するな」
「この世界に馴染めば魔力も多くなる?」
「……ああ(多分ないのではないか)」
「そうだよね。スマホだって機種変した直後は戸惑うけど、慣れたらなんてことないし。急激に伸びることだってあるだろうし……うん、希望はある」
楽天的な性格がここでも発揮される。
「それに、今の僕には……ムフフ……これがあるもんね」
忍は抱えていた麻袋をギュッと抱きしめた。
屋敷に戻るなり、忍はアレックスの制止も聞かずに厨房へ駆け込んだ。
抱えていた「石粒(=米)」をボリスの前に叩きつける。
「ボリス! 厚手の鍋を貸して! あと、綺麗な水!」
「えっ、『石粒』⁉……忍先生、まさか本気でその“石粒”を食うおつもりですか?」
「食べる!」
料理人たちが半信半疑で見守る中、忍は米を研ぎ始めた。
冷たい水で優しく、かつしっかりと。
濁った水が透明になるまで。
そして十分な浸水時間を置く。
「……忍。まだか? もう一時間は経っているが」
様子を見に来たアレックスに、忍は鋭い視線を向けた。
「いい、アレックスさん。お米は“待つ”のが仕事なの。ここからが本番だよ」
竈に火をかけ、沸騰までは強火、その後は弱火、最後は蒸らし。
やがて――
厨房全体に「あの」香りが漂い始めた。
甘く、懐かしく、日本人の魂を直撃する炊きたてのご飯の香り。
忍が震える手で蓋を開けると、
そこには真珠のように輝く銀シャリが鎮座していた。
「……これだ。これだよ……!」
忍の目に涙が浮かぶ。
「早く、早く、カツ揚げて、ボリス!」
忍は昨日のカツサンドのソースと揚げたての肉を組み合わせ、簡易的な「ソースカツ丼」を作り上げた。 アレックスに差し出し、自分も深めの皿にご飯をよそう。
「食べてみて。これが、僕の故郷の魂だよ」
アレックスが口に運ぶ。
もちもちとした食感、噛むほどに溢れる甘み。
それが濃厚な肉とソースに絡み合い、口内を幸福で満たす。
「……っ。忍、これは……パンとは違う。もっとこう、体の芯から力が湧いてくるような……!」
「うめええええ!!」
横で味見したボリスが咆哮した。
忍は最後の一粒まで米を惜しむように食べ終え、小さく溜息をついた。
「……美味い。けど……やっぱり、物足りない。あの“醤油の深み”がないんだ」
「忍先生、これ以上の美味があるというんですかい!?」
ボリスが信じられないといった顔で叫ぶ。
忍は鍋の底に残った白米を見つめ、静かに語り出した。
「ソースはあくまで洋食の延長なんだ。……いい、ボリス。この『米』には、もっと別の、魂を震わせる食べ方があるんだよ」
忍は、ボリスが朝から煮出していた黄金色の鶏出汁に目をつけた。
醤油はない。だが、質の良い塩と、蜂蜜のようなコクの砂糖がある。
「……ああ、これなら『カツ丼』や『親子丼』もできるかもしれない」
その言葉に、厨房全員がゴクリと喉を鳴らす。
「カツドォン……? オヤコドォン……?忍先生、それは何だ! この輝く粒のさらなる進化系なのか!?」
忍は恍惚と語り始めた。
「うん。上位互換種。想像してみてよ……揚げたてのカツを甘辛い出汁と卵でとじて、ご飯の上にのせるんだよ。サクサクとふわふわ、そこに半熟卵のとろとろが絡み合い……肉汁と米の甘みが渾然一体となるんだ」
「…………っ!!」
料理人全員が震えた。
アレックスもまた、忍の語る「未知の美味」の解像度の高さに、ある種の危機感を覚えていた。 アレックスもまた、忍の語る“未知の美味”に危機感を覚える。
(……忍。君の頭の中には、どれほどの宝が眠っているんだ。その知識、味覚、その笑顔……本当に屋敷の中だけで閉じ込めておけるだろうか)
今、手元にある材料でどこまで再現できるか。 忍の食へのこだわりに火が付いた。 鍋にそれらを入れ、火にかける。
「ボリス、鶏の肉を小さく切って……卵は三つ、溶きすぎないように……アレックスさんも、もう一口いけるよね?」
「ああ、君が作るものならいくらでも」
溶き卵を鍋に回しながら入れていく。卵の状態を真剣に見極め、ここだという瞬間に火から降ろした。
「これをご飯にのせて……」
完成したのは、黄金色に輝く“異世界風親子丼”を作り上げた。 ゴクリと唾をのむ音が聞こえた。
「さあ、どうぞ。これが『丼』の真髄――親子丼だよ」
アレックスが震える手でスプーンを入れ、一口。
「……なんだ、これは。カツ丼が『剣』なら、これは『盾』……いや、慈愛そのものの味だ。米がうま味を抱き込み、卵がすべてを包み込んでいる……」
ボリスも続く。
「信じられんねぇ……米が汁を吸ってさらに甘くなっていやがる……!」
忍は遠くを見るように呟いた。
「……だけどね」
拳を握りしめる。
「本物の『醤油』があれば、この親子丼は十倍美味しくなる。大豆から作る味噌があれば、味噌汁も作れる。南には“見たこともない豆や香辛料”が山ほどあるって……」
忍の瞳には、もはや使命感が宿っていた。
「僕はただ“生きていく術”が欲しいだけじゃない。この世界の最高の調味料を揃えて、完璧な『丼』を完成させたいんだ!そのためなら、南の果てまでだって行ってやる!」
(……この子は、食べ物のためなら、私の庇護を突き破ってでもどこかへ行ってしまう)
忍は籠の中の小鳥ではない。
美味しいもののために世界を駆け巡る、強かな翼を持っている。
(……閉じ込めるのは無理じゃな)
クリスティナの声が聞こえた気がした。
その**「食への狂気」**とも言える執念を目の当たりにし、アレックスはついに折れるしかなかった。 ならば―― 共に行き、連れて帰るしかない。 その旅路ごと、自分の腕の中に閉じ込めるしかない。 アレックスは観念したようにため息をつき、忍をその細い腰から抱き上げた。
「……分かった、忍。私の負けだ。南西部へ行こう。ただし、一歩も私の側を離れないと約束しろ。いいな?そして、夜は……」
「わかってるって。魔力補給(添い寝)でしょ?」
「ああ、そうだ」
アレックスは微笑んだが、その瞳の奥には新たな決意が宿っていた。
――南の領主だけでなく、王都の貴族どもにこの宝(忍)を見つかってはならない。
旅の目的が美食だろうと何だろうと、私は全力でこの子を“守護”の名の下に囲い込む。
「やったぁぁ! アレックスさん大好き! さっそく準備しよう!」
(……醤油に負けても、嬉しい)
アレックスは甘んじて受け入れ、世界で最も豪華で、最も堅牢な「移動式監禁部屋(魔導馬車)」の発注をビンセントに命じた。
「ビンセント、出発の準備だ。……騎士団を二個小隊、隠密に随行させろ。忍に指一本触れる奴がいれば、誰であれ容赦するな」
こうして、一人の少年(中身は17歳)の「食欲」が、ランディア国を揺るがす大移動を動かし始めた。
目指すは、美食と交易の地――南西部。
忍の「自立」への旅は、皮肉にもアレックスの「溺愛」をさらに深める旅となるのだった。




