プロローグ「24時間働けますか?」
夜のオフィスに、キーボードを叩く音だけが響いていた。
時計の針は、すでに日付が変わる少し前を指している。フロアの照明は一部だけが残り、周囲の席には誰もいない。
そんな中、俺(秋山 昭人)は一人、モニターに向かって企画書の修正を続けていた。
「ここまで詰めておけば、明日の会議は通る。若い連中には、まだこの粘りが足りないんだよな」
そうつぶやきながら、俺は机の端に置いたエナジードリンクを手に取った。
黄色と黒のパッケージを見て、ふと若い頃に聞いたCMのフレーズが頭をよぎる。
「24時間働けますか、か……」
今となっては冗談のような言葉だが、俺にとってそれは、どこか誇らしい記憶でもあった。
あの頃は、携帯の電池残量よりも、自分の体力残量を気にしながら走っていた気がする。
営業時代、俺は誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰った。
取引先からの無理な依頼にも食らいつき、資料は自分で直し、部下のミスも最後は自分が巻き取った。
スマホのことをつい「携帯」と呼び、通信量のことを「パケット」と言って若手に笑われることはあっても、仕事の勘と粘りだけはまだ負けていないつもりだった。
「この積み重ねが、今の俺をつくったんだ」俺はそう信じていた。
もちろん、時代が変わったことは分かっているつもりだった。
働き方改革、心理的安全性、コンプライアンス、ハラスメント防止、生成AI、情報セキュリティ。会議では何度も聞いている。
「俺だって、部下に怒鳴るようなことはしない。昔みたいな無茶な飲み会も強制していない。取引先との距離感だって、今は気をつけている。だから、俺は今の時代にもちゃんと適応しているはずだ」
俺はそう思っていた。
だが、部下たちはなぜか以前ほど相談に来ない。新人は俺の前では妙に静かになる。会議で意見を求めても、差し障りのない返事しか返ってこない。
若手の教育係を任せられている小林のような社員なら、今どきの感覚も分かるのだろうが、俺には正直、何がそんなに怖いのか分からなかった。
「最近の若手は主体性がないんだよな。俺が若いころは、もっと自分から食らいついていったもんだけどな」俺はそう受け止めていた。
そのとき、突然、俺のパソコン画面が暗転した。保存していたはずの企画書が消え、黒い画面の中央に白い文字が浮かび上がる。
???「警告。あなたの働き方は、周囲の成長機会、心理的安全性、および相談しやすい職場環境を阻害している可能性があります。」
「は?」
俺は思わず声を出した。「ウイルスか? いや、システム障害か? こんな時間に勘弁してくれよ」そう思ってマウスを動かすが、画面は反応しない。続いて、また新しい文字が表示された。
???「再学習プログラムを開始します。対象者:秋山 昭人。設定:2026年度大卒新入社員。補助観察者:上司 橋本 令司。教育係:小林 美咲。」
「いやいや、冗談だろ。俺は課長だぞ」
その瞬間、オフィスの蛍光灯が一斉に強く光った。
俺はまぶしさに目を細め、椅子から立ち上がろうとした。
「何なんだよ、これは……。俺はまだ、明日の会議資料を終わらせないといけないんだ。俺がやらなきゃ、誰がやるんだよ」
しかし、足元がふわりと浮くような感覚に襲われる。机の上のエナジードリンクが倒れ、書類の端を濡らしていくのが見えた。
最後に俺が見たのは、画面に映る一文だった。
???「あなたはもう一度、新入社員からやり直してください。強みを失う必要はありません。ただし、その使い方を学び直す必要があります。」
次の瞬間、俺の意識は深い闇の中へ落ちていった。




