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異世界転移した金融マン、国庫金貨46枚の王国を帳簿と現代金融で立て直します  作者: rorenji


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七日後に滅びる国

 目を開けると、見知らぬ女性が自分の手を握っていた。


 三崎直人は、もう1度目を閉じた。


 呼吸はできる。胸の圧迫感も、先ほどより弱い。背中に触れているのは固い寝台で、鼻には薬草のような匂いが届いている。


 少なくとも、駅の床ではない。


 救護室だろうか。


 だが、手を握っている女性は、紺色の古風な服を着ていた。栗色の髪を低い位置で束ね、疲れた灰緑色の目で直人を見つめている。


「……お気づきですか」


 聞いたことのない言葉だった。


 なのに、意味が分かった。


 直人はゆっくり上半身を起こした。


「ここは、どこですか」


 自分の口から出たのも、日本語ではない。


 喉と舌が、知っているはずのない音を作っている。


 女性が安堵したように息を吐いた。


「エルディア王国、リーゼン王宮の地下契約室です」


 答えの中に、知っている地名は1つもなかった。


 直人は周囲を見た。


 石壁。油の匂いがする灯り。脇に立つ灰色の長衣の老人。壁際には黒い鏡と、王冠を載せた石台がある。


 撮影用の設備には見えない。


 自分は黒いスーツのままで、シャツの胸元だけが緩められていた。鞄もスマートフォンもない。腕時計は午後11時56分を指したまま止まっている。


 直人は右手の指を折った。


 親指から順に1本、2本、3本。動く。


 両腕を前へ出す。左右に目立った差はない。短い言葉を口に出しても、呂律は回っている。


「胸が苦しいですか」


 老人が尋ねた。


「少し。私は駅で倒れたはずです。救急車で運ばれたのですか」


「駅と救急車が何を指すのか、私には分からない」


 老人はごまかさなかった。


「私はオルド・セレイン。この王宮の魔術師です。そして、こちらは――」


「リヴィア・ファルクと申します。財務局の書記官です」


 女性が直人の手を離し、寝台のそばで深く頭を下げた。


「わたしがあなたをこちらへ呼びました」


 直人は2人を見比べた。


「誘拐、という意味ですか」


 リヴィアの顔が強張る。


「結果としては、否定できない」


「ファルク主任」


 オルドが咎めるように呼んだ。


「事実です」


 彼女は直人から目をそらさなかった。


「あなたの意思を尋ねることなく、契約によってお呼びしました。申し訳ないです」


 直人は、再び部屋を見回した。


 夢だと考えるのが、1番簡単だった。


 倒れたときに頭を打ち、病院で意識を失っている。異世界への召喚など、脳が作った荒唐無稽な物語にすぎない。


「証明できますか」


「何をでしょう」


「ここが、私のいた世界ではないことを」


 リヴィアとオルドが顔を見合わせた。


 オルドは壁際の黒い鏡へ近づき、杖の先を触れさせる。鏡の表面に、青い光が水面のように広がった。


 夜の町が映し出された。


 石造りの建物。細い路地を照らす橙色の灯火。遠くの城壁と、その向こうに広がる暗い畑。空には、直人が知る月よりわずかに大きい白い月と、その脇に青い小さな月が浮かんでいる。


「外の景色を映しています」


「映像を用意した可能性はあります」


 直人が鏡から視線を外さず答えると、リヴィアは困ったように眉尻を下げた。


「では、直接ご覧になりますか」


「その前に、説明を聞かせてください」


 直人は寝台から足を下ろした。靴は脱がされ、床には厚い毛織物が敷かれている。


 立ち上がると軽い眩暈がした。


 リヴィアが腕を差し出しかけ、途中で止める。直人は石台へ手をつき、自分で身体を支えた。


「なぜ、私を呼んだのですか」


「国の会計を監査していただくためです」


 直人は聞き間違いを疑った。


「会計監査?」


「はい」


 リヴィアは冗談を言った様子もなく、膝の上で濃紺の服の皺を伸ばしている。


「勇者や、魔王を倒す人間ではなく?」


「魔王というものは、少なくともこの国にはいない」


 リヴィアは真面目に答えた。


「戦争の予定もない。戦うために呼んだのではない」


「では、何と戦えと?」


「返済期限です」


 直人は額へ手を当てた。


 夢にしては、ずいぶん仕事から離れてくれない。


 オルドが石台の前へ立ち、王冠の下に置かれた薄い石板を持ち上げた。


「最後の監査契約が、あなたを選びました。触れていただけますか」


 直人は警戒したが、まず情報が必要だった。


 石板の端へ指を触れる。


 金色の文字が浮かんだ。


 文字の形は見たことがない。それでも、視線を向けると意味が頭へ入ってくる。


『監査人、三崎直人』


『監査期間、7日』


『監査に必要な王国文書の閲覧、関係者への質問、保管庫への立ち入りを認める』


『監査終了時、次の1つを選択せよ』


『1、王国を解散し、資産と債務を整理する』


『2、国内より新王を推薦する』


『3、自ら王位と債務を引き受ける』


『いずれも選ばず辞退するとき、監査人を元の世界へ返還する』


 直人は3度読み返した。


「確認させてください。私は7日間、この国の会計を調べる。その後、国を畳むか、誰かを王にするか、自分が王になるかを選ぶ」


「はい」


 リヴィアの返事は短かったが、握り合わせた両手に力が入った。


「辞退すれば帰れる」


「契約には、そう記されています」


 リヴィアの言い方に引っかかった。


「実際に帰った例は?」


「この契約が発動した記録そのものがない」


「帰還後、私がどのような状態になるかは……」


 オルドが答えた。


「分からない。あなたの肉体ごと移動したのか、魂のみを招いたのかも、私には断定できない」


 直人は石板から手を離した。


 都合の悪い点も隠さない。それが誠実さの証明になるとは限らないが、少なくとも話を作り込んだ詐欺師の説明には聞こえなかった。


「7日というのは、契約の都合ですか。それとも、支払期限が7日後だからですか」


「両方です」


 リヴィアは革の書類入れから、1枚の文書を出した。


「王国暦317年、春1月10日の正午までに、ヴェスパー商会へ金貨12,000枚を払う必要があります」


「金貨1枚の価値は?」


「銀貨20枚です。王都では日雇いで働くと、1日に銀貨1枚ほどになります」


 単純換算なら、240,000日分の賃金。


 人口や税収を知らなければ大きさは判断できないが、すぐ用意できる額ではなさそうだった。


「国庫には、いくらありますか」


 リヴィアが答えるまでに、わずかな間があった。


「金貨46枚と、銀貨7枚です」


 口にしたリヴィア自身が耐えるように唇を結んだ。


「12,000枚必要で、46枚?」


「はい」


 直人は指先で石台を2度叩き、頭の中の換算を確かめた。


「不足は11,953枚と銀貨13枚相当」


 リヴィアが目を見開いた。


 直人は反射的に計算してから、自分でも嫌になった。


「失礼しました。確認です。支払えなければ、どうなりますか」


「王領3か所と、東西街道の通行料徴収権が20年間、ヴェスパー商会へ移ります」


 オルドが杖を握り直した。リヴィアは老人へ目を向けたが、説明を引き取る者はいなかった。


「国の主要収入ですか」


 直人の問いに、リヴィアは一度だけ目を伏せてから答えた。


「王領からの収入は国庫歳入のおよそ1割。東西街道からの収入が帳簿上では1割5分です」


「帳簿上では?」


 リヴィアの唇が固く結ばれた。


「街道の実際の収入を、財務局は把握できていない」


「徴収記録がない?」


「記録はあります。ですが、王宮へ届く前の数字と、財務局へ報告される数字が一致しない」


 リヴィアは膝の上で両手を握り、爪が食い込むほど指へ力を込めた。帳簿の不一致を口にすることが、彼女にとってただの報告ではないと直人にも分かった。


「なら、国に金がないと決めるのはまだ早い。税が足りないのか、集めた後で止まっているのかを分ける必要があります」


 直人がそう言うと、リヴィアの指からわずかに力が抜けた。


 直人は天井を見上げた。


 石の天井には、天秤と王冠が彫られている。


 異世界へ呼ばれた。


 言葉は魔法で理解できる。


 国の財政は破綻寸前で、支払期限まで7日。帳簿の数字も信用できない。


 夢でないとすれば、悪夢より悪い。


「先ほど、王国を解散できると言いましたね」


「はい」


「私がそう決めた場合、あなたは従うのですか」


 リヴィアは1度、目を伏せた。


 その横顔には、眠れていない疲れと、消せない恐怖があった。


「従います」


「あなたが私を呼んだのに?」


「救ってくれる人を呼ぶ契約ではない。国に何が残り、何を諦めるのか、嘘をつかずに決められる人を呼ぶ契約です」


 彼女はまっすぐ直人を見た。


「ただし、決める前に、すべてを見てください」


 直人は返事をしなかった。


 帰れる可能性はある。


 ならば、7日後に辞退すればいい。ここで見たものが夢なのか現実なのか、それまでに確かめればいい。


 だが監査をするなら、条件がある。


「まず、国庫を見せてください」


「今からですか」


 リヴィアは窓のない地下室を見回した。休ませたい気持ちと、時間を失えない焦りが、その逡巡に同居していた。


「7日のうち、もう何時間か使ったのでしょう」


「召喚から、まだ1時間も経っていない」


 直人は止まった腕時計へ目を落とした。東京では動かない針が、ここでは期限だけを進めている。


「では、残りは6日と23時間です」


 絶望するには短い。だが、数字を確かめるには使える時間だ。


 直人は床に置かれていた靴へ足を入れた。


「それと、見せる帳簿をそちらで1冊に決めないでください。存在する帳簿も契約書も、倉庫の鍵も、全部見せてもらいます」


 リヴィアの顔に、初めて驚き以外の表情が浮かんだ。


 ほんのわずかな、安堵だった。


「承知しました、監査人様」


「三崎で結構です。まだ、引き受けたとは言っていない」


「はい。三崎様」


 彼女は訂正した。


 その声は、先ほどまでより少しだけ強かった。


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