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異世界転移した金融マン、国庫金貨46枚の王国を帳簿と現代金融で立て直します  作者: rorenji


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銀貨が消えた朝

 約束した回答は、届かなかった。


 朝の鐘が2つ鳴ったころ、回答を受け取りに行った財務局書記が王宮へ駆け戻ってきた。息を切らし、握ったままの照会書を直人へ差し出す。


「銀行が開かない。扉に、払戻し停止の紙が張られています」


 直人は椅子を引いた。


「リヴィア、行こう。ガレンには馬車と近衛を頼む」


 王宮は王都北側の低い丘にあり、リーゼン銀行は約1.5キロ離れた中央広場の東端にある。歩けば25分ほど、急ぎの馬車なら10分だった。


 王宮上階の窓から中央広場は見えるが、銀行の扉に張られた紙までは読めない。馬車が丘を下るにつれ、預り証を持った人々が同じ方向へ走っているのが見えた。


 直人たちが中央広場へ着いたとき、朝の3つ目の鐘が鳴っていた。


 約束した回答の代わりに、リーゼン銀行の扉は閉じていた。


 王国暦317年春2月9日。王都最大の銀行の前には、開店を待っていた人々が取り残されていた。


 直人が前日に求めた窓口現金も、南倉庫へ運んだ3箱の目的も、何ひとつ説明されていない。


 扉に打ち付けられた白い紙には、『本日、銀貨の払戻しを一時停止する。預り証は無効としない』とある。


「無効じゃないなら、どうして返さないの!」


 パン屋の女が預り証を握り締めていた。粉屋への銀貨7枚を明朝までに払えなければ、小麦粉を渡してもらえないという。


「粉が来なければ、いつ窯が止まるの?」


 リヴィアが尋ねると、女は唇を震わせた。


「明日の昼です。今ある分で朝のパンまでは焼けます。でも粉屋は、支払いがなければ次の荷を別の店へ回すと言っています」


 リヴィアの手が一瞬固く握られた。父の店が火を落とした8日間より、この女に残された時間は短い。


「相談票に銀貨7枚と明日の朝、と書いて。順番を約束はできない。でも、その期限を数字の外には置かない」


 女は何度もうなずき、預り証を抱えたまま受付机へ向かった。


 仕立屋は、今日中に布を引き取れなければ職人を遊ばせることになる。薬草売りは薬の仕入れ代を下ろしたい。扉の前で押し合う人々には、それぞれ別の期限があった。


 近衛兵を連れたガレンが、直人へ低く尋ねた。


「列を解散させるか?」


「追い払わない。入口と荷車を守って、押し合いだけ止めてくれ」


 直人は銀行の扉ではなく、列へ向き直った。


「番号札を配ります。預金額ではなく、次の支払日と、払えなければ何が止まるかを書いてください。怒鳴った順にも、身分の順にもしない」


「紙を書けば銀貨が出てくるのか」


 大きな預り証を持つ商人が声を上げた。


「出てくるとは約束できない。銀行に銀貨が何枚残り、どこへ動いたかもまだ分からない。でも、何も聞かず全員を待たせれば、先に店が止まる人から消えます」


 リヴィアが財務局の書記を3人呼び、前日に作った相談票を配った。


 次の支払日はいつか。


 何が止まるか。


 あと何日待てるか。


 父のパン屋の跡地で決めた3つの問いだった。


 列の怒りは消えない。それでも話を聞く机が開くと、押し合いは少しずつ収まった。


* * *


 銀行の中では、細い眼鏡の男が支店長代理を名乗った。


「大口の引出しが重なっただけです。国王陛下が安全だと宣言し、国庫から一時的に銀貨を入れてくだされば、すぐ扉を開けられます」


「銀行が安全かどうか、まだ確認していない」


 支店長代理は眼鏡を押し上げ、外の怒声へ耳を澄ませた。列の恐怖そのものを、国へ金を出させる材料にしている。


「陛下が疑えば、噂が本当になってしまいます」


「噂を止めるために、他人の金を入れるつもりはない」


 直人は机の上へ4枚の札を置いた。


 国庫の自由現金0枚。


 国内債権者用銀貨9枚。


 北倉庫契約用銀貨20枚。


 王家遺産封印金、金貨412枚。


「9枚と20枚には、すでに待っている相手がいます。412枚も王家遺産として封印されています。銀行へ入れれば、別の人との約束を破って穴を隠すだけです」


 支店長代理は412枚の札へ未練がましい視線を向けた。


「では、預金者を見捨てるのですか」


「国が金を入れることと、預金者を守ることを同じにしないでください」


 直人は銀行の現金箱、預金原簿、貸付帳、担保証書、荷車記録、南倉庫の鍵を机へ出させた。


 そのとき、若い銀行員が厚い帳簿を抱えて裏口へ向かった。ガレンが扉の前へ回り込み、進路を塞ぐ。


「日々の締めに使う帳簿です。支店へ運ぶだけです」


 支店長代理が説明した。


「運ぶなとは言わない。何を、誰が、何時に持ち出すかを残し、同じ写しを財務局へ置いてからです」


 直人が答えると、銀行員は帳簿を受付台へ戻した。普段の仕事を装えば記録を外へ出せる時間は、その場で終わった。


「まず、銀行の中に残っているものを守ります。株主や役員だけが先に持ち出せないようにする。帳簿を確かめる前に、国民の金では埋めない」


 保全命令には、銀行、財務局、近衛隊が署名した。金庫と倉庫の鍵も3者が1本ずつ持つ。誰か1人では現金を動かせない。


 支店長代理の顔から、国庫を当てにした余裕が消えた。


* * *


「銀行の扉を全部閉じる必要はない」


 直人が告げると、支店長代理は驚いた。


「銀貨を返せないのに、何を開けるのです?」


「現金の引出しと、商売の支払いは別です」


 直人は2冊の預金帳を並べた。


 朝市のスープ店が、野菜商へ代金を払おうとしている。どちらもリーゼン銀行に口座を持っていた。


「左の帳簿から野菜代を減らして、右の帳簿へ同じ額を足す。銀行が2人へ負っている合計は変わらず、銀貨箱も開けない」


 支店長代理が帳簿をのぞき込む。


「払戻しを止めた以上、帳簿も動かせない」


「その決まりは誰を守るためです?」


 直人は2冊の帳簿の間へ、銀貨を1枚も置かなかった。


「取り付けを広げないためです」


「帳簿の振替まで止めれば、野菜商は次の荷を渡さず、スープ店は鍋を止めます。銀行の現金を1枚も減らさずに通せる支払いまで止めるほうが、町の恐怖を広げます」


 直人は不正送金を防ぐため、本人の預り証、元の注文書、受取人の口座を3つそろえた取引だけに限定した。役員、株主、その家族への振替は、調査が終わるまで止める。


 スープ店の女と野菜商が、閉じた扉の内側へ呼ばれた。


「銀貨は受け取れないのですか」


 野菜商が不安そうに尋ねた。


「今日は帳簿の中で受け取ります。増えた残高について、銀行と財務局が同じ受領証を出します」


「それなら、午後の野菜は渡せます」


 野菜商が署名し、最初の小口決済が動いた。


 扉の外へ戻ったスープ店の女が、待っていた荷車引きへ大きくうなずく。野菜の籠が市場へ向かって走り出した。


 現金の払戻しは止まったままだ。


 それでも町の鍋は、1つ動き出した。


 さらに、銀行内で確認できた窓口現金から、生活費と当日決済に限り1人銀貨12枚までの仮受付を始めた。全員への支払保証は付けず、国の金も使わない。残高、用途、期限を確かめ、銀行自身の現金から払える分だけを同じ基準で処理する。


 銀貨3枚の預り証を持つ老人が、最初に現金窓口へ呼ばれた。


「娘の家へ行く馬車賃です。今日の便を逃すと、次は5日後になる」


 行員が口座残高と馬車宿の料金札を確かめる。直人は銀行の窓口箱から銀貨3枚を数えさせ、財務局書記と行員の2人で受領証へ印を押した。


 老人は受け取った銀貨を何度も数えた。


「国王様がくれた金ですか?」


「預けていた本人の金です」


 直人が答えると、老人は銀貨を小さな革袋へ戻した。


「自分の金なら、礼を言う相手を間違えずに済む」


 老人は少しだけ背を伸ばし、馬車宿へ向かった。必要な日に、自分の預金を3枚だけ取り戻した。その事実を確かめるように、受取票を握っていた。


 大口の全額払戻しと、理由のない役員送金は止めたままにした。


「少額だけを先にするのは不公平だ」


 先ほどの大商人が抗議した。


「今日払わなければ薬や食事や仕事が止まる取引を、公開した同じ基準で先に通します。商売に今日の期限があるなら、同じ相談票へ書いてください」


 商人は不満そうだったが、怒鳴って順番を買うことはできなくなった。


* * *


 午後、直人たちは南倉庫へ向かった。


 前日の夕方、銀行から運び込まれた銀貨箱が並んでいる。倉庫内には17箱あり、封印も外見も壊れていなかった。


 だが帳簿と現物を数えると、銀貨240枚が足りない。


「封印は切られていない」


 倉庫番が青ざめた。


「切っていない箱が17あることと、帳簿どおり全部あることは別です」


 直人は床に残った箱跡を指した。並んだ17箱の横に、四角い埃の切れ目が3つある。


 搬出記録では、消えた3箱へ銀貨80枚ずつ入っていた。合計で、ちょうど240枚だった。


 荷車係は、震える手で昨夜の指図書を出した。頭取ハインツの署名があり、『緊急決済』とだけ書かれている。受取人の欄は空白だった。


「署名は本物です」


 国璽院の書記が契印の光を確かめた。


「では、頭取の正しい命令では?」


「署名が本物だと分かっただけです。誰へ渡したか、何の代金か、返ってくる金かは空白のままです」


 直人は荷車係へ向き直った。


「どこへ運んだ?」


「西門です。門の外で別の荷車へ積み替えました。受け取った男の名は知らない」


 荷車係は顔を上げられず、空欄の受取人欄を見つめていた。


「箱は3つとも?」


「はい。日が変わる前でした」


 頭取は病気で自宅にいると、支店長代理は説明していた。


 その頭取の署名で、払戻しを止める数時間前に銀貨240枚が外へ出ている。


「銀貨は、預金者が押しかける前に運び出されていた」


 リヴィアが、床の3つの跡を見つめた。


「列ができる前に、銀行の中から出ていった」


「そう見える。でも、まだ受取人と理由を確かめる」


 直人は、怒りをそのまま罪名にはしなかった。指図書、荷車記録、箱番号、倉庫の現金数えを封じる。正本は銀行の保全箱へ置き、認証写しを財務局と国璽院へ回した。


 南倉庫の扉には、銀行、財務局、近衛隊の3つの鍵を掛けた。


 消えた銀貨240枚を追う責任は、リーゼン銀行にある。


 預金者が店や賃金のために預けた金だった。


 直人は西門へ向かう荷車の跡を見た。


「明日は、この240枚を受け取った相手を見つける」


 銀行の扉は閉じたままだった。


 だが、町の支払いを動かす小さな窓口と、消えた銀貨へ続く道は開いた。


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