取り付けの列
リーゼン銀行の列は、翌朝には中央広場から橋まで伸びていた。
王国暦317年春2月10日。王宮上階の窓からでも、人の帯が昨日より長いことは分かった。
「何人いる?」
リヴィアに尋ねられ、直人は数えかけていた指を下ろした。
「ここから数えたら推測になる。銀行前の番号札で確認しよう」
「昨日より増えたことは、見れば分かるね」
彼女は外套を取った。2人はガレンと財務局書記を連れ、馬車で中央広場へ向かう。
銀行前では、昨日開いた相談机がすでに埋まっていた。
パン屋の女は粉屋への銀貨7枚を今日中に払わなければならない。仕立屋は職人4人へ合計12枚。薬草売りは薬の仕入れに9枚。それぞれの暮らしに迫る期限が、長い列を作らせていた。
自分の支払日へ間に合わせるために並んでいた。
馬車は広場の1本手前で止めた。人の列を割って国王だけが入口へ乗り付ければ、身分で順番を抜かしたように見える。
直人たちは歩いて銀行へ向かった。
「国王が来たなら、銀貨を返してくれるのか」
「銀行を国が買うって本当か」
左右から声が飛ぶ。直人は立ち止まらず、リヴィアが相談机を指した。
「まだどちらも決めていない。今日中に分かった現金と、通した支払いを掲示します。期限のある人は、先に相談票を書いて」
都合のよい安心を約束しなかった。それでも次の説明時刻が示されると、何人かは列を離れて相談机へ向かった。
* * *
銀行の会議室には、病気で自宅にいるはずの頭取ハインツが座っていた。
顔色は悪い。だが机をたたく手には、十分な力があった。
「国王が来たと広場へ知らせろ。銀行は安全だと宣言し、国庫から銀貨を預ければ列は消える」
「安全かどうか、まだ分かっていない」
直人は外の列が見える窓を背にした。恐怖が見えても、確認していない安全を売るつもりはない。
「貸付には土地も倉庫もある。現金が届くまで少し待てばよいだけだ」
「その少しで、店を失う人がいます」
リヴィアの声が冷えた。
「預金者が慌てなければ、こんな騒ぎにはならなかった」
ハインツの言葉に、彼女の指が机の端をつかむ。12年前にも、同じ言葉を聞いたのだろう。
直人は先に黒板へ3つの数字を書いた。
確認できた現金、銀貨1,108枚。
今日と明日の小口請求、銀貨1,476枚。
足りない現金、少なくとも銀貨368枚。
財務局書記が、現金100枚ごとに黒い札を置いた。11枚の札と、残り108枚の小札である。
向かいには、請求100枚ごとの白い札を14枚、残り76枚の小札を並べた。白い列のほうが長く、机の端へ銀貨368枚分だけはみ出している。
「今日と明日の現金が、少なくとも368枚足りない」
「だから国が貸せばよい」
「貸さない」
直人は即答した。
国庫の自由現金は0枚。国内債権者用9枚、北倉庫契約用20枚には別の相手がいる。王家遺産の金貨412枚は国家の金ですらない。
「別の人との約束を破って、この銀行だけを選ぶことはできない」
「では、列の者を見捨てるのか」
「銀行へ公金を入れることと、預金者の支払いを動かすことを同じにしないでください」
直人は黒板の横へ、貸付額面銀貨6,900枚と書いた。
「銀行には、借り手から返してもらう権利もあります。ただし、そのうち2,400枚には延滞印がある。担保の場所が分からないものや、同じ土地を2度担保にした疑いもある。6,900枚すべてを今日の銀貨とは呼べない」
ハインツが土地の担保証書を1枚、黒い現金札の上へ置こうとした。
直人はその手を止め、別の場所へ戻す。
「その土地で、今日の銀貨7枚を払えますか?」
「売れば金になる」
「買い手と価格と売却日が決まってからです。今、現金の札へ重ねれば、列の人へ今日払えるように見せるだけになる」
リヴィアは白い請求札の端を指した。
「この368枚分の人たちは、土地が売れる日ではなく、自分の支払日を待っている」
黒札、白札、担保証書。3つを離して置くと、現金不足と将来の財産を混ぜる余地はなくなった。
今日の現金が足りないだけなのか。
貸付が戻らず、銀行全体に穴があるのか。
まだ結論は出せない。
「調査が終わるまで待て」
ハインツが言った。
「預金者だけには待てと言い、役員と株主は自由に金を動かすのですか?」
直人は役員口座と配当簿を机へ置いた。
「今日から、役員と株主への配当、貸付、資産持出しを止めます。預金者の払戻しを止めたなら、経営側が先に外へ出ることも止める」
「王に、民間銀行の経営へ口を出す権利はない」
「王都最大の決済を止め、預り金を返していない銀行には、保全と説明を命じます。まず調査を始めるための条件です」
ハインツは屈辱だと吐き捨てた。
だが、銀行、財務局、近衛隊の3つの鍵がそろわなければ、もう現金箱は開かない。頭取だけが動かせる金は、その場でなくなった。
* * *
午後、銀行員と財務局書記が、現金箱と帳簿を突き合わせた。
直人は貸付6,900枚を、すぐ戻る見込みのあるもの、担保を確かめるもの、延滞しているものへ分けさせた。正確な損失を出すには時間がかかる。
だが列にいる人々の支払日は、調査の完成を待たない。
「現金不足と、銀行の損失を区別する理由は分かった」
相談机から戻ったリヴィアが言った。
「でも、区別が終わるまでパン屋に待てと言うなら、父のときと同じ」
「待たせない。昨日作った仮枠を使う」
生活費、食料、薬、当日か翌日に来る賃金と仕入れ。1人銀貨12枚まで。銀行自身の確認済み現金から払い、国庫の金は使わない。
人の価値と口座残高は切り離す。今日止まる支払いを、公開した同じ基準で先に通す。
「大口を切り捨てるの?」
「切り捨てない。ただ、銀貨300枚を全部今日下ろしたい人と、7枚がなければ明日のパンを焼けない人を、同じ緊急度とは扱わない」
リヴィアは相談票を見た。
「父の名前を特別な理由にはしない。でも、父と同じ期限を抱えた人は紙の外に置かない」
「それでいこう」
彼女の怒りを消す必要はない。誰にでも使える基準へ変えればよい。
パン屋の女の相談票には、残高、粉屋の注文書、明朝までという期限がそろっていた。銀貨7枚は仮枠の中に収まる。
直人とリヴィアは共同で支払札へ署名した。
支払いは、粉屋のリーゼン銀行口座へ直接振り替える。銀貨が別の用途へ消えず、粉屋は入金を確認して次の小麦粉を渡せる。
銀行員が2冊の帳簿へ同じ番号を書いた。
パン屋の残高から銀貨7枚が減り、粉屋の残高が7枚増える。
銀行の現金箱は1枚も減らなかった。
「粉は渡してもらえる?」
リヴィアが尋ねると、パン屋の女は粉屋の受領札を胸へ抱いた。
「はい。今夜の荷車で届きます。明日の朝も窯へ火を入れられます」
銀行の列は短くならない。
それでも、1軒の窯が消える期限は延びた。
直人は窓口の外へ、今日通した口座振替の件数と、現金を使わなかったことを掲示した。個人名は出さない。
列から小さな拍手が起きたが、すぐに止んだ。自分の番が来る保証はまだない。それでよかった。1件通しただけで銀行全体を救ったように見せれば、また偽物の安心になる。
* * *
夕方、南倉庫から西門へ出た3箱の受取控えが見つかった。
銀貨80枚が3箱。合計240枚。
箱番号が発見の手がかりになった。
南倉庫の搬出簿には、3箱の番号と『緊急決済』しかない。西門の荷車控えにも受取人名はなかったが、積み替え先の荷車印が残っていた。
財務局書記が、その印を銀行の取引先名簿から探す。穀物、織物、材木と束をめくり、穀物商会の納品控えで同じ印を見つけた。
控えの裏には、銀貨箱3つを受領したと書かれている。箱番号も、80枚ずつという金額も一致した。
受取控えには、リーゼン銀行筆頭株主ハインツの義弟が経営する穀物商会の名があった。
「頭取の妹の夫が、この商会を経営しています」
リヴィアが王都商人登録簿を開いた。市場と商人の関係を知る彼女だから、同じ姓でない親族関係にもすぐ気づいた。
日付を見ると、払戻し停止の前日だった。預金者が列を作るより前だ。
直人は受取控えを黒板の銀貨368枚不足という数字の隣へ張った。
「預金者が押しかけたから、現金がなくなったとおっしゃいましたね」
呼び戻されたハインツは、受取控えを見るなり立ち止まった。
「王都の穀物を確保する緊急決済だ。親族かどうかは関係ない」
「それなら、穀物の量と保管場所と、銀行へ戻る代金を見せてください」
ハインツは受取控えを伏せようとしたが、ガレンが紙の端を押さえた。
「商会と銀行で使う帳簿は別だ」
「銀行の銀貨240枚を受け取った時点で、この取引については別ではない」
直人は受取控えと頭取の指図書を重ねた。箱番号は3つとも一致している。
空欄だった受取人は、親族会社の名で埋まった。
「銀貨240枚は、列ができる前に頭取の署名で外へ出ています。預金者へ責任を移す説明は通らない」
会議室の銀行員たちが、ハインツから目をそらした。
直人は穀物商会への追加送金、銀行資産の処分、役員と株主への配当を即時停止した。穀物商会の倉庫は封印せず、まず銀行資金で買った穀物の数量と所有者を翌朝確認する。親族というだけで商品まで奪うことはしない。
「明日の朝、取締役、主要預金者、商人組合、財務局、国璽院をここへ集めます。誰の金を止め、誰が先に持ち出したかを、役員室だけでは決めさせない」
ハインツは返事をしなかった。
その夜、粉屋から銀貨7枚の受領証が届いた。小麦粉を積んだ荷車は、すでにパン屋へ向かっている。
直人は受領証を、翌朝の公開会議で最初に見せる紙へ置いた。
今日通せた支払いは1つにとどまった。
閉じた扉の向こうから、町の支払いを1つ取り戻した証拠だった。




