帳簿を読める農民
収穫は小麦420袋。課税対象は510袋。
帳簿の上では、ハルン村は収穫した以上の小麦へ税を課されていた。
王国暦317年春1月14日の朝、17歳の農民エルンは、財務局の長机を挟んで直人と向き合っていた。
日に焼けた手には、村会の応募書類と、端が擦り切れた収穫帳がある。神殿学校へ2年通い、今は家の畑を手伝いながら共同倉庫へ入る袋を数えているという。
緊張で指先まで固くなっているのを見て、リヴィアが温かい麦茶を置いた。
「大丈夫。直人は数字が合わないと少しうれしそうな顔をするけど、持ってきた人を怒ったりしないよ」
「間違いを見つけるのが仕事なだけで、喜んではない」
直人が抗議すると、エルンの肩から少しだけ力が抜けた。
「420袋は、あなたが数えた?」
「はい。畑ごとの脱穀が終わるたびに、村の15升袋へ直して1本ずつ線を引きました。水をかぶった分も、収穫した量には入れて、損耗の欄へ分けています」
エルンは擦り切れた帳面を開き、震える指で何本も並んだ線を示した。
「510袋は?」
「徴税人が持ってきた算定表です。村長は、王都で決まった数字だから正しいと言いました」
算定表を作った地方徴税人も、壁際の椅子へ呼ばれていた。男はエルンの収穫帳を一目見ると、口元をゆがめた。
「神殿学校へ2年通っただけの農民です。村袋と徴税所の袋を混ぜて、勘違いしたのでしょう」
「その可能性はあります。だから、笑う前に確かめます」
直人は、数字が違う理由を3つ書いた。
水増し。数えた時期の違い。そして、袋の大きさの違い。
「まず、実際に使った袋を見せてください」
リヴィアがうなずいた。
「この国では、同じ1袋でも村ごとに大きさが違います。市場で使う升とも一致しない」
「では、数字より先に器をそろえます」
エルンが持参した村の袋は、財務局の保管見本より大きかった。
* * *
ハルン村の収穫袋には満杯で15升入る。徴税所の標準袋には12升しか入らない。
村は、畑から上がった小麦の収穫総量を15升袋で420袋と記録していた。倉庫へ運ぶ前に水をかぶった分も、この総量には含まれていた。420袋を徴税所の12升袋へ換算すると、525袋になる。課税帳簿の510袋より多い。
「ここまでの換算だけなら、510袋は収穫量を超えていない。種や損耗として、税から外す分はありますか」
直人が尋ねると、エルンは収穫帳を開いた。
「種に戻す分と、洪水で濡れた分があります」
翌年の種麦が徴税所基準で32袋。収穫総量には数えたものの、倉庫へ運ぶ前に水をかぶり、食用にも売却にも使えなくなった分が同じ基準で15袋。契約上、どちらも課税対象から除く。
525袋から47袋を引けば、課税対象は478袋になる。
徴税算定表の510袋は、32袋多かった。
「袋の違いを直しても、課税対象に32袋の過大計上が残る」
直人は監査記録へそう書き、地方徴税人の前へ向けた。先ほどまで笑っていた男の口元が、今度は固く結ばれる。
「農民の勘違いではない。エルンの収穫帳が正しかった」
エルンは麦茶の杯を両手で持ったまま、何度も瞬きをした。リヴィアが笑って、訂正通知用の紙を直人へ差し出す。
「村へ返す通知は、どう書けば伝わりますか」
「袋を同じ大きさへ直しても、税をかける小麦が32袋多い、とします」
エルンがすぐにうなずいた。
監査に必要な正確な言葉は直人が残し、村が異議を申し立てるための言葉はリヴィアが整えた。どちらか一方だけでは、数字を直せない。
510という数字の出所は、算定表を2年分並べて見つかった。
前年の課税対象が510袋だった。今年の欄にも同じ数字が写され、収穫量、種麦、損耗の欄だけが空白になっている。徴税人は村から今年の記録が届かなかったため、前年値を仮置きしたと説明した。
「仮の数字なら、仮と書くべきです」
直人が言った。
「徴収日までに直すつもりだった」
「村へ渡した算定表に、仮とはない」
故意の水増しだとは、まだ断定できない。だが仮置きの表示がなく、村側が訂正できる期限も示されていない。結果として、誰も声を上げなければ32袋分がそのまま徴収される仕組みだった。
原算定表は消さず、510へ二重線を引いた。訂正欄に、収穫525袋、種麦32袋、損耗15袋、課税対象478袋と記す。徴税人、エルン、村会代表、財務局書記が署名した。
訂正表の正本は財務局記録庫の徴税監査綴り。認証写しはハルン村の共同倉庫と、請負人の帳簿へ1通ずつ置く。
前日に銀貨18枚の過剰徴収を示す木札を届けた共同倉庫の女性が、村会代表として認証写しを受け取った。510の横に引かれた二重線を確かめると、大きな手でエルンの背中をたたく。
「よく数えてくれたね。32袋あれば、冬を越す家がいくつも助かる」
エルンは前につんのめり、照れたように笑った。徴収される前だったため、返還を待つ必要もない。ハルン村の倉庫にある32袋は、そのまま村に残った。
「わたしが帳簿を見なければ、510袋でした」
エルンは署名した指を見つめた。
「帳簿だけを見ていたら、袋の違いは確定できないでした」
直人が言うと、エルンは意外そうに顔を上げた。
「国王でも、分からないのですか」
「現物を見ずに分かったと言うほうが危険です」
「そこは、陛下が来てから変わらないね」
リヴィアが楽しそうに言うと、エルンだけでなく村会代表まで笑った。地方徴税人は笑えなかったが、訂正表から自分の署名を消すこともできなかった。
* * *
村会計補助員の応募は、19村から26人集まった。
応募書類には、神殿学校で習った整った文字から、炭で力いっぱい書いた大きな数字まで、さまざまな字が並んだ。余白に鶏の足跡が付いた紙もあり、リヴィアは「本人が書いた証拠かもしれない」と笑ってそのまま受け付けた。
村長や請負人の指名だけでは選ばない。村会が候補を出し、財務局が読み書き、計算、単位換算を試す。請負人との関係は申告させ、本人が関わる徴収の単独確認はさせない。
講習と最初の手当を払う金が足りない。
前日の新様式で報告を出した請負人の1人から、銀貨204枚の国庫納付が届いた。財務局と国璽院が硬貨を数え、徴収額、手数料、実費、納付額と受領証の一致を確認した。正本は財務局の国庫受領証綴り、認証写しは国璽院の納付照合綴りへ収めた。予定ではなく、受領済みの国家現金である。
直人は、全額を債権支払いへ回す案と、会計補助員の制度費用へ回す案を並べた。
「債権者を待たせて、役人を増やすのですか」
評議員が反対した。
「記録を直せなければ、過剰徴収と未送金が続きます。将来の収入を守る運営費です。ただし、効果と上限を公開します」
26人の王都までの旅費と7日間の食事手当は銀貨117枚。最初の30日分の会計補助手当は1人銀貨3枚、合計78枚。合計銀貨195枚を上限とした。残る銀貨9枚は、国内債権の支払可能現金として財務局の封印箱へ分ける。
教室は神殿学校から無償で借り、借用書を作った。講師はリヴィアと財務局書記2人が通常勤務で担当し、紙と蝋板は既存在庫を使う。
研修費銀貨117枚と初月手当銀貨78枚は別袋にし、用途、受取人、支払日を出納簿へ記す。王家遺産の金貨412枚には触れなかった。
「次の月も銀貨78枚が要ります」
リヴィアが念を押した。
「それまでに、請負手数料を減らせるか、回収額が増えるかを確認します。継続財源がなければ人数か勤務日を見直す。無給では続けない」
制度を作った瞬間だけ払えても、翌月に未払職員を増やせば改革とは呼べない。
* * *
7日間の講習で、直人はまず財務局用の設計書を作った。
受領証3枚の照合。収穫記録と課税対象の突き合わせ。前年と違う数字、または同じすぎる数字の抽出。
その横へ、村で使う教材の空欄を残した。
「仕組みはこの3つです。村で普段使う言葉にしてください」
リヴィアはエルンへ、村で税を確かめるときの言い方を尋ねてから書いた。
3枚の受領証は同じ数字か。
収穫から種と損耗を引いた数字より、税の対象が多くないか。
前年と同じ数字なら、今年も同じ理由があるか。
「借方と貸方を使う複式記録は、財務局へ採用します。村の7日間講習では、受領証と税額を照合できることへ絞りましょう」
「財務官を作る講習と、村が税を確認する講習を分けるのですね」
リヴィアが確かめると、直人はうなずいた。
エルンは財務局の設計書より、リヴィアが整えた3行を声に出して読んだ。
講習は、数字の読み書きだけでは終わらなかった。
初日は3枚受領証の照合。2日目は銀貨と銅貨、現物納付の換算。3日目は村の収穫、種麦、損耗の記録。4日目は請負人の週次報告との比較。5日目は異議申立書。6日目は他村の記録を使った実習。7日目は、わざと間違いを入れた徴税台帳の検査。
実習では、銀貨60枚を金貨3枚と書くべき欄に、金貨5枚と書いた台帳を混ぜた。王都へ野菜を売りに来る40歳の農婦が、エルンより先に間違いを見つけた。
「銀貨1枚は銅貨12枚、金貨1枚は銀貨20枚。これは袋の数より簡単です」
彼女が得意そうに言うと、計算の遅い候補者は豆を20粒ずつ並べて確かめた。1粒が机から転がり、直人の靴へ当たる。
国王が机の下へ手を伸ばして豆を拾うと、教室に小さな笑いが起きた。
「銀貨1枚、見つかりました」
「それ、豆だからね」
リヴィアが真顔で訂正し、今度はもっと大きな笑いが起きた。初日に国王を前に固まっていた候補者たちも、もう隣の席へ自分から計算を見せている。
「暗算の速さは合格条件から外します」
直人は最初から決めていた基準を読み上げた。
「間違いを見つけ、別の方法で確かめる。分からなければ、徴収を止めて財務局へ照会する。それができればよい」
「村では紙より豆のほうが早い者もいます。確かめ方も1つに決めないでください」
リヴィアの提案を受け、豆、指折り、筆算のどれを使っても、同じ答えなら合格とした。
候補者同士で答えを教えることも禁じなかった。村へ戻れば、1人で試験を受け続けるのではなく、納税者と一緒に数字を確かめるからだ。
これは落とすための試験ではない。間違えた者は別の帳簿でもう1度試し、確かめ方を説明できるまで仲間と練習した。
合格したのは19村26人。全員が同じ速さで計算できるわけではない。それでも、3枚の数字が違うときに徴収を止め、財務局へ受付番号付きで照会できることを合格条件にした。
補助員は徴税人ではない。税額を決めず、現金を預からず、請負人を単独で処罰もしない。納税者と財務局が同じ数字を持つための確認者だった。
26人には、氏名、村名、任期30日を刻んだ番号札を渡した。番号札は徴税権の印ではなく、受領証を確認した人物を追えるようにするためのものだ。紛失時は村会と財務局へ届け、古い番号を無効一覧へ載せる。
エルンが最初の札を首へ掛けると、26人がいっせいに机をたたいた。拍手の代わりらしい。本人は耳まで赤くしながら、それでも今度は顔を伏せなかった。
村に残す受領証控えは、共同倉庫または村会所の鍵箱へ番号順に保管する。鍵は補助員と村会代表が1本ずつ持ち、片方だけでは開けない。週に1度、番号、税額、欠番を一覧にし、定期便で財務局へ送る。
請負人からの贈り物や食事も記録する。少額でも隠せば、次の受領証を見逃す値段になる。解任には村会の申立てと財務局の理由書を必要とした。
* * *
講習最終日、エルンは2つの袋を教室へ持ち込んだ。
1つはハルン村の15升袋。もう1つは隣村で小麦1袋と呼ばれている袋だった。
並べると、隣村の袋のほうが明らかに小さい。
「隣村では、これが14升だと言っています」
実際に徴税所の升で量ると、13升と半分しか入らなかった。
「袋だけでなく、升も違う?」
直人が尋ねた。
「市場ごとに、正しい大きさが違います」
リヴィアが答えた。
「また変な数字を見つけました」
エルンは初日の震えが嘘のように笑っていた。
「困るけど、助かる。次はその袋を調べよう」
帳簿を読める者は増えた。
だが、帳簿に書く1袋や1升の意味が村ごとに違えば、同じ数字を持っていても同じ量を見ていることにはならない。
次は数字そのものより、それを量る器を直さなければならない。
今度は直人とリヴィアだけではない。番号札を首へ掛けた26人が、もう2つの袋を囲んでいた。




