百人の債権者
王国の債権者は、ヴェスパー商会だけではなかった。
王国暦317年春1月12日。競売翌日の財務局には、廊下から中庭まで人が並んでいた。
近衛兵の靴を直した革職人。王領へ種麦を渡した農民。医務室へ包帯を納めた織物商。橋の石を積んだ石工。未払賃金の残る兵士、清掃人、御者。
金貨12,120枚というヴェスパー商会の請求は大きい。だが、1件の大きな数字の陰に、小さな請求が300件以上隠れていた。
「王家遺産の金貨412枚で払うのですか」
受付を手伝う書記が尋ねた。
「払わない」
直人は最初に答えた。
公開競売の落札代金は、財務局記録庫の王家遺産封印箱にある。品番号別の41袋へ分け、財務局、国璽院、近衛隊が封印している。先王個人への請求を審査するための金で、国家の支払いには使えない。
「金がそこにあるのに?」
「そこにあるからといって、国の金ではない」
直人は、競売結果の掲示にもう1枚を加えた。
王家遺産封印留保金、金貨412枚。国家債務へ使用可能な額、金貨0枚。
同じ数字を、列の先頭から最後までリヴィアが読み上げた。不満の声は消えなかったが、少なくとも、今日ここで競売金が配られるという誤解は止められた。
* * *
受付では、請求書を受け取る前に債務者を確認した。
国家か。王家遺産か。宮内局の公務契約か。先王個人の注文か。地方の徴税請負人が自分の名で結んだ契約か。
王宮へ納めた物だから国家債務とは限らない。先王の葬儀用花でも、国葬として財務局が発注した分と、先王の私室用として王家会計が頼んだ分では支払う財布が違う。
請求1件ごとに受付番号を付け、債務者、金額、支払期限、契約書、受領印、既払額を記録する。原本は持ち主へ返し、財務局と請求人が立ち会って認証写しを作った。
契約書のない者も追い返さない。納品先、日時、品目、命令した官吏、目撃者を調書へ取り、官署の受払簿と照合する。証拠が弱いことと、請求が存在しないことを同じにしなかった。
夕刻までに個人306人と17団体が登録された。
受付原簿は財務局記録庫へ収め、請求人には控えを渡した。公開一覧では氏名を伏せ、職種、債務区分、申告額、審査状況だけを示す。原簿は日暮れに締め、国璽院へ認証写しを送った。
そのうち108人が、最初の未払賃金支払いで一部を受け取った下級職員だった。受領証に残額が記されていたため、新しい請求と重複せず照合できた。
受付の列を割って、黒い羽根帽子の男が長机へ進み出た。胸元には伯爵家の銀章があり、後ろの従者が周囲の請求札をどけようとする。
「道を空けよ。伯爵家は先王の凱旋式へ金貨60枚を貸している。競売金からすぐ返してもらう」
男が差し出した契約書には国璽院の契印があった。借り入れも支払期限も本物で、返済はすでに遅れている。
列にいた職人たちの顔が曇った。金貨60枚を先に取られれば、自分たちへ回る金が減る。直人は契約書を開き、債務者の欄を確かめた。
「借りたのはエルディア王国財務局。国家債務として受け付ける」
「当然だ。では封印箱を開けてもらおう」
代理人が勝ち誇ったように顎を上げた。直人は契約書を閉じず、次の行を指で押さえた。
「競売金は先王個人の遺産だ。国の借金へ使えるとは書いてない」
「先王陛下の凱旋式だぞ。王と国を分けるなど言葉遊びにすぎん」
「貸した相手を書いたのは伯爵家だ。国を相手にした契約だから返済請求ができる。その同じ契約を金を取るときだけ王個人へ広げることはできない」
男の口が止まった。直人は契約書を市民へ見える向きに置いた。
「もう1つ。担保と優先支払いの欄は空白だ。伯爵家の銀章は本物でも、銀章に返済順位は付いていない」
従者がどけた請求札を、リヴィアが元の位置へ戻した。紙の端を丁寧にそろえてから、代理人をまっすぐ見る。
「受付番号は列に並んだ順に出します。伯爵家という欄はない」
「貴族の信用を軽く扱えば、今後は誰も王国へ貸さなくなるぞ」
「逆だ。契約に書いた権利は身分に関係なく守る。書いていない特権は身分に関係なく認めない。そのほうが次に貸す人も順番を予測できる」
直人は伯爵家の請求へ受付番号を押した。
金貨60枚。国家債務。期限超過。担保なし。優先条項なし。
請求そのものは消さない。だが列の先頭へ置く理由も、王家遺産の箱を開ける理由もなかった。
未払賃金用の銀貨221枚と、パン、薪、薬の必需品予備も封印を維持した。伯爵家の請求だけで用途を変えれば、108人の賃金と明日の食事が消える。どちらも公開順位と本来の目的を無視して代理人へ渡せる金ではなかった。
代理人は受付票を奪うように取り、従者とともに列の後ろへ下がった。誰も道を譲らなかった。
「同じ人が2枚出している」
ガレンが兵士の請求を見つけた。
片方は未払給与、もう片方は私物の馬を公務へ出した飼料代だった。直人は重複として消させなかった。請求人が同じでも、契約と支払理由が違う。
「人を数えるだけでは足りないね」
「はい。債権者数と債権件数を分けます」
リヴィアは一覧の見出しを直した。
* * *
「先着順に払えば公平ではないか」
評議員の提案に、列の前方から賛成の声が上がった。
「告知を早く知り、王都まで来られる人が先になります」
直人は答えた。
「声の大きい順なら?」
「今いちばん大きな声を出せる人が先です」
直人は廊下まで続く列へ目を向けた。声を上げず、請求札を胸に抱いている者も多い。
「金額の小さい順なら多くの件数を消せる」
「帳簿はきれいになります。生活が守られるとは限らない」
直人とリヴィアは、大紙を上下2段に分けた。
「上には契約で決まっている権利を書きます」
リヴィアが、担保、期限、金の使い道と記した。
「ヴェスパーの請求を1番後ろへはできないのですか」
書記が尋ねた。
「できない。王領と街道を担保にした契約は残っています。30日止めたのは取り立てで、借金そのものではない」
「なら、王家遺産の412枚も商会へ?」
「それも違います」
直人は首を振った。
「商会が担保にしたのは王領と街道です。先王個人の遺産や薬を買うための金まで取れる契約ではない」
大きな商会の権利も、生活に困る職人の権利も、国王の都合で消してはならない。そこで下段には、同じ条件の請求の中で、誰から先に払うかを書いた。
食料、薬、住居の期限。未払いで仕事を続けられなくなるか。支払いが止まると、医務室、厨房、警備、街道補修まで止まるか。最後に、何日待たせているかを比べる。
「低賃金なら必ず先ですか」
書記が尋ねた。
「必ずではない。家族の収入、手元の蓄え、次の支払期限を本人へ確認します。職種だけで生活を決めつけない」
点数だけで自動的に決めることもしなかった。記録できない事情は審査理由として文章で残し、異議申立てを受け付ける。リヴィアを含む財務局2人と、市民側から選ぶ立会人1人が審査し、国王は個別案件へ単独で割り込めない規則にした。
仮順位は翌朝に受付番号で掲示し、2日間の異議申立てを受ける。異議で順位を変える場合は、変更前後の番号と理由を残す。支払後に事情を作り直すことはできないため、自由現金が入っても審査の終わっていない枠まで先払いしない。
ただし、審査を引き延ばして支払いを避けないよう、証拠のそろった請求は3日以内に仮順位を出す。財務局の都合で遅れた日数を、債権者の延滞期間から差し引くことも禁じた。
「陛下が決めないのですか」
「知り合いになった人を私が先へ動かせないようにします」
市場で話を聞いた者、共同浴場で顔を見た者。直人の知る市民が増えるほど、善意による不公平も増え得る。
* * *
家具職人の男が、受付机を拳で叩いた。
「王宮の棚を納めて4か月だ。家具だから食料や薬の後だと言うのか」
「請求内容だけなら同順位の中で後になります」
「娘の薬代が明日までに要る!」
男は、薬師の請求札を出した。娘が熱を出し、銀貨9枚を払えなければ薬を受け取れないという。
直人は家具代の順位を上げなかった。ここで動かせば、薬師の札を持ってきた債権者だけが先になる。
「家具代は国家債務の順位に残します。ただし娘さんの治療は明日まで待てない」
直人はリヴィアを見た。
「この国の救急薬予算の対象か確認できる?」
「医務官の診察が必要です。対象なら薬を現物で出せます。家具代と生活支援は別々に記録します」
「それでお願いします」
医務室の薬予算は、監査初日に国庫現金から用途を定めた金貨12枚の残りで運用されている。ほかの債務へは使えないが、救急治療という本来の目的には使える。
医務官が娘の状態を確認し、薬を出すことになった。支援記録は医務室へ、家具代の請求は国家債権一覧へ別々に残す。
男はまだ怒っていた。それでも、娘の薬と家具代が別の問題だという説明にはうなずいた。
正しい順位を作っても、今日の苦しさが消えるわけではない。だからこそ、債務支払いと生活支援を同じ金で行ったふりをしてはいけなかった。
昼過ぎには、別の問題も起きた。
医務室へ包帯を納める織物商と、王宮厨房へ小麦を運ぶ商人が、古い代金を払うまで次の荷を出せないと訴えた。これ以上の未払を増やせば、店のほうが先に倒れる。
「古い請求はこの受付で順位を決める。今日からの納品は別契約にしよう」
直人は宮内局に残る必需品予備の封印記録を出させた。パン、薪、薬のために分けてあり、ほかの借金には使えない金だった。
「予備の残高で払える量だけ発注する。品物を受け取った日に払う。払えない量は頼まない」
商人たちは疑わしそうに封印記録を見た。リヴィアが明日の医務室と厨房の必要量を聞き取り、7日分ではなく、まず2日分へ縮めた。
「多く約束してまた待たせるより、確実に払える2日分をお願いしたい。受取時には商人側も硬貨を数えて、3通の受領証へ署名してもらいます」
彼女の説明で、織物商は包帯を抱え直した。小麦商も明朝の荷車を出すと約束する。
古い未払は消えない。だが新しい未払を増やさず、包帯とパンも止めない道ができた。
* * *
支払順位はできた。
だが、支払う自由現金はなかった。
国庫の金貨は、食料、薪、薬など既定の用途がある。王家遺産の金貨412枚は封印留保。ヴェスパー商会の担保となった王領と街道収入も、共同監査中に勝手に処分できない。
「順位だけ作って、いつ払うのですか」
清掃人の女性が尋ねた。
「使途のない国家収入が実際に入った日からです」
「予定ではなく?」
「予定の金を払えば、入らなかった日に次の未払いができます」
直人は、支払規則へ1行を加えた。
入金確認前の収入を配分しない。
では、毎日集められている通行料や市場税は、なぜ自由現金として国庫へ届かないのか。
徴収所の報告を並べると、集めた総額ではなく、「必要経費を引いた後の納付額」しか書かれていなかった。徴税請負人が何枚集め、何を経費とし、何枚を手元へ残したかは分からない。
「この金の流れを確認しない限り、支払日は約束できない」
リヴィアが、徴収請負契約の保管場所を示した。
別記録庫。これまで財務局の支払担当が、原契約と徴収報告を同時に見ることはなかった。
直人は、翌朝までに全徴税請負人へ提出を求める項目を書いた。
総徴収額。受領証番号。経費の内訳。国庫納付額。手元現金。未納理由。
300人を超える債権者へ払う順番は見えた。
次は、税を集める男たちの手元にいくら残っているかを確かめる。




