王宮競売会
王宮の正門が、市民へ開かれた。
王国暦317年春1月11日の朝。門前には、商人、職人、宿屋の主人、貴族の代理人が列を作っていた。王宮へ納品に来たのでも、嘆願書を持ってきたのでもない。
王家遺産の公開競売へ参加するためだった。
中庭には、前日まで謁見用だった長椅子が半円に並べられている。銀貨を握る食堂主の隣へ、絹の外套を着た貴族の代理人が座り、その後ろでは見学札を持った子どもたちが首を伸ばしていた。
「本当に、誰でも入れるんだな」
直人がつぶやくと、受付を確認していたリヴィアが戻ってきた。
「王宮へ入るだけで足が震えてる人もいるよ。最初に金の行き先を説明して。王様が宝を売って好きに使う日だと思われたら台無しだから」
「分かった。値段だけじゃなく、売った後まで公開する」
2人の声が届かないところでは、南門商会の代理人が競売品を値踏みしていた。銀食器も絵も見ず、参加者の財布ばかりを眺めているのが、直人には気になった。
「先に、売却代金の行き先を読んでください」
直人は、入場者が競売品へ駆け寄る前に掲示板を示した。
落札代金は国庫へ入らない。品番号ごとに王家遺産として封印留保する。先王個人への債権届は2月9日正午まで受け付け、正当な遅延請求も国璽院が審査する。債務と必要な留保が確定し、直人が遺産を一括相続できた場合だけ、余剰を返還不要の拠出金として国庫へ移せる。
「今日買えるのに、今日使えないのか」
列の男が声を上げた。
「はい」
「兵の給料も、職人への支払いも残っているのだろう?」
「残っています。だから、先に声を上げた人だけへ払わないため全債権を確認します」
納得した顔ばかりではなかった。
それでも、説明せずに門を開けるよりよい。直人は同じ条件を競売台の後ろにも掲示させた。
* * *
開始直前、宝石商の老人が国璽院の受付へ駆け込んだ。
「宝飾品第6号は売らないでいただきたい」
老人は、先王へ納めた青石の首飾りの契約書を差し出した。代金の半分が未払いなら、石の所有権は宝石商に残ると書かれている。契印は改竄なしを示した。
「赤い王家帳簿には、全額支払いとあります」
リヴィアが言った。
「受領証がない。帳簿だけでは、どちらが正しいか決められない」
直人は首飾りを競売台から下ろした。
「本日の売却から除外します。首飾りと契約書の認証写しを、権利審査中として封印してください」
見物人から不満の声が上がった。青石は、競売品の中でも目を引いていた。
「始まる直前に言えば、止められるのか」
貴族の代理人が尋ねた。
「契約を出せば審査はします。言葉だけでは競売を止めない」
老人、国璽院、財務局、近衛隊が首飾りの封印へ署名した。物品移動記録3通には、北倉庫から競売台、競売台から審査箱への移動時刻を記す。原目録と認証写しには書き加えない。
競売候補は42点から41点になった。
直人は、仮評価の総額をその場で修正させた。売れない品を売れる予定の資産へ残してはならない。
そこへ南門商会の代理人が直人へ近づいた。
「残る41点を金貨300枚でまとめて買いましょう。日暮れまでに全額払えます」
男は中庭の客席を見回し、唇の端をわずかに上げた。
「これだけの現金を今日払える者は、ほかにいない。品が売れ残れば、新王最初の競売は失敗に終わります。わが商会なら、その恥も引き受けられる」
仮評価の範囲には入る。競売を中止すれば、記録も警備も早く終えられる。何より金貨300枚が確実に手に入るという言葉は、借金王には甘かった。
だが男は、品物の価値より市民の財布を見ている。1人では買えない、今日中には払えない、王は失敗を恐れる。その3つへ値引きを求めている。
「お断りします」
「支払いが確実でも?」
「確実さは買う。でも、あなたの言い値では買わない。ほかの人が値をつける機会まで渡せば、差額を払うのは王家の債権者だ」
代理人は金貨320枚まで上げた。直人は同じ返事をした。公開競売では、最初に現れた大商人へ急いで売らず、誰がどの品へいくら払うかを市民の前で決める。
入場料は取らず、入札札も無料で配った。ただし落札者は日暮れまでに全額を現金で払い、共同入札なら代表者と持分を事前登録する。払えなければ次点者へ権利を移し、違約金は取らない代わりに今回の再入札を認めない。
「共同入札?」
代理人の眉が初めて動いた。
「1人で買えないなら、何人かで買えばいい。誰が何割持つか、先に登録する。後から揉めても王宮へ押しつけられない形にする」
リヴィアはすでに受付を2つ増やしていた。食堂主たちには共同で使う銀器、職人組合には技術見本、宿屋には共同購入した絵の持分を、難しい契約語を使わず説明している。
直人が参加する道を作り、リヴィアが怖がらず歩ける道へ変えていた。
「銅貨しか持っていなくても、見てよいのですか」
門番へ尋ねた少年に、ガレンが入札札ではなく見学札を渡した。
「見るだけなら、王より安い。無料だ」
少年は意味が分からない顔をしたが、後ろで直人は笑いをこらえた。
* * *
日常用の銀杯から競売を始めた。
「最低価格、銀貨14枚」
競売人の声が中庭へ響く。
「銀貨15枚」
「16枚」
声を上げたのは、大商人だけではない。食堂の主人、銀細工師、3人で金を出し合った宿屋の女たちもいた。
一括売却なら、貴族か大商会しか参加できない。今回は銀食器を1点ずつ、絵画も1枚ずつ売る。共同入札も認め、代表者と持分を落札記録へ書かせた。
「銀貨22枚。ほかにないか」
競売人の木槌が鳴った。
最初の銀杯は、王都南区の食堂主が落札した。
「王様が使った杯、と宣伝するのですか」
直人が尋ねると、男は首を振った。
「店の水差しが欠けていまして。銀なら長く使えます」
隣の妻は落札札を両手で抱え、使いすぎた不安を顔に出していた。
「支払った後の仕入れ代は残る?」
リヴィアが小声で確かめると、夫婦はそろってうなずき、別に分けた革袋を見せた。彼女はようやく引渡記録へ署名を促した。
王宮の品にも、落札者には生活の用途がある。高値だけを喜び、明日の仕入れまで吐き出させれば、競売が新しい借金を作る。リヴィアは値段の向こうにある暮らしを見ていた。
銀食器28点には、権利を主張する届出がなかった。28点すべてが落札され、合計金貨96枚になった。
風景画3点は、商人組合、薬師組合、北区の宿屋がそれぞれ落札した。合計金貨72枚。
絨毯1枚では、織物職人組合と貴族の代理人が競り合った。
「金貨39枚」
「40枚」
「41枚!」
職人組合の代表が叫ぶと、代理人は手を下ろした。
「切って見本にするのですか」
リヴィアが尋ねた。
「まさか。会館へ敷きます。王宮へ納めた職人の技を、若い者へ見せたい」
金貨41枚で落札。
宝飾品は、除外した首飾り以外の9点が競売にかけられた。貴族、大商人、金細工師が値を上げ、合計金貨203枚になった。
南門商会の代理人も、最後には腕を組んでいられなくなった。宝飾品へ次々札を上げたが、金細工師たちは石だけでなく細工の価値を知っていた。商会が転売利益を残せる額を超えるたび、代理人の札が1枚ずつ下がっていく。
正午を過ぎるころ、41点すべての競売が終わった。
総落札額は金貨412枚。
42点を含む前日の仮評価上限、金貨360枚さえ上回った。南門商会の最初の提示より金貨112枚、最後の提示より92枚高い。
直人は総額の下へ、断った2つの金額も書かせた。
公開しなければ失っていた差額、金貨92枚。
ざわめきが中庭を走る。南門商会の代理人は掲示をにらんだが、自分が申し出た金額も、41点の落札記録も、すべて市民の前に残っている。
「まとめて売れば早く終わったでしょう」
代理人はまだ平静な声を作っていた。
「早く終えるために金貨92枚を捨てたら、その92枚を待っている人へ説明できない」
直人が答えると、男の視線が周囲へ泳いだ。食堂主、職人、宿屋、貴族の代理人。商会には買えないと思っていた者たちが、それぞれ落札札を持っている。
公開競争が値段を押し上げた一方、同じ値が毎月得られるわけではない。今日の勝利を、明日も入る収入へ見せかけることはできなかった。
「国庫が金貨412枚増えた!」
誰かが叫び、拍手が起きかけた。
「増えていない」
直人は競売台の前へ出た。
「これは王家遺産の品を、王家遺産の現金へ替えただけです。しかも、先王個人の債権者が請求できる金です。国庫には現時点で1枚も入らない」
中庭が静まった。
金貨412枚という大きな数字だけを見せれば、改革が成功したように聞こえる。だが資産を売った代金は一時的で、債務を引けば消えるかもしれない。
直人は書記に命じ、総額の横へ大きく書かせた。
王家遺産封印留保金。国庫使用可能額、金貨0枚。
見学札を持った少年が、人の間を抜けてきた。掌には銅貨3枚がある。
「これも入れてください」
「何の代金ですか」
「父ちゃんの給料に。王宮の馬車を引いているけど、まだ全部もらってないから」
直人は銅貨を受け取らなかった。
「国が、あなたのお父さんへ払う側です。あなたから受け取れば借りている相手へ、さらに金を出させることになります」
「でも、王様もお金がないんだろ」
否定はできない。
「ない。だからないことも、借りていることも掲示します。その銅貨はあなたの家で使ってください」
少年は不満そうに銅貨を握り直した。近くにいた御者の妻が、深く頭を下げる。
善意を受け取るほうが簡単だった。だが未払賃金のある家から寄付を集めれば、国の債務は市民の我慢へ姿を変えて見えなくなる。
直人は書記へ、掲示の下に1行を加えさせた。
国への寄付は、未払債権との相殺条件を定めるまで受け付けない。
* * *
落札者の代金は財務局、国璽院、近衛隊が数え、品番号、落札者、金額、支払時刻を書いた41個の小袋へ分けた。そのまま財務局記録庫の王家遺産封印箱へ納め、3者で封印する。
後から正当な権利請求が認められた場合は、該当品の袋から払う。公開条件どおりに買った落札者から品を取り戻さない。
最後の宝飾品が門を出た後、売却結果を市場掲示板へ運ぶ書記が出発した。品番号別落札額、総額、封印箱の所在、国庫使用可能額0枚。翌朝には同じ内容を読み上げる。
* * *
閉門の鐘が鳴っても、王宮前の人だかりは消えなかった。
今度の列は、入札者ではない。
「先王の葬儀用に花を納めました」
「近衛隊の靴を修理して、代金を2か月待っています」
「王領へ種麦を渡した証文があります」
競売条件を読んだ市民が、自分も国や王家へ金を貸した債権者だと名乗り始めたのだ。
財務局が把握していた未払先だけではなかった。職人、農民、御者、商人。契約書を持つ者もいれば、受領印だけの者、口約束しかない者もいる。
「今日の金から、先に払ってくれ」
靴職人が言った。
「王家遺産への請求か、国家への請求かを確認します。そのうえで、生活と国の機能への影響を基準に支払順位を公開します」
「また待てと?」
「はい。ただし誰がいくら待っているかを、もう隠さない」
直人は受付机を増やし、債権者の氏名、債務者、金額、期限、証拠、生活への影響を別々に記録させた。
競売会は、国を豊かにしなかった。
王宮の中で消えていた価値を、市民の前で値段へ変えただけだ。
だが金貨412枚が見えたことで、その金を待っている人々の顔も、初めて王宮の前へ現れた。
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