借金王の即位
即位式の朝、王冠より先に予算書が運び込まれた。
三崎直人が評議会へ提出した条件は、4つあった。
王室財産と国家財産を分ける。
国の収入、支出、債務、担保を毎月公開する。
国王自身を監査対象とする。
そして、ヴェスパー商会との債務を隠さず、支払猶予と条件変更を正式に求める。
「王が自らの支出を、平民の書記へ監査させると?」
ボルガン侯爵が吐き捨てた。
「平民かどうかは、帳簿を読む力と関係ない。それに、王を止める役を王と同じ身分だけで固めたら、監査にならない」
「王権を軽くするだけだ」
「借金を隠して王権を重く見せた結果、国庫に残ったのは金貨46枚です。同じ仕組みを残すために王になるつもりはない」
評議会の何人かが目を伏せた。
監査開始から2日。再建できる保証はない。それでも直人は、調査の途中で水路や土地を安売りするより、失敗を止められる仕組みを作って国を残すと決めた。
国内の新王候補は全員が正式に辞退している。決断を実行するなら、自分の名で債務を引き受けるしかなかった。
「条件が認められないなら、即位しない」
直人は空席の王座を見た。
「王は必要です。でも、何に使ったか分からない金を、王だからという理由だけで使える制度は残さない」
宰相が1枚ずつ採決した。
王室財産の分離。
月次予算の公開。
国王監査。
債務条件の再交渉。
ボルガンだけが最後まで反対した。
だが全会一致を要する規則はない。過半数で、4条件は王位受諾決議の一部となった。
「では、契約へ選択を告げてください」
オルドが王冠を捧げ持った。
直人は黒い石へ触れた。
『監査人よ、王国の行方を選べ』
「王国を存続させます」
喉が乾いた。
「国内に、債務を開示して王位を引き受ける者はいない。よって、三崎直人が王位と債務を引き受けます」
黒い石が1つずつ光った。
『選択を受理した』
『王は、民への約束を忘れるとき、再び監査される』
銀色の輪が、オルドの手を離れた。
宙をゆっくり進み、直人の頭上へ降りる。
重さはほとんどない。
それでも、金貨12,000枚より重く感じた。
「エルディア国王、ナオト一世陛下」
宰相が膝をついた。
列席者が続く。
リヴィアも膝をつこうとした。
「あなたは立っていてください」
室内の動きが止まった。
「なぜです」
「私を監査する人まで跪いたら、止めにくくなる」
直人が手で制すると、リヴィアは半ば膝を折った姿勢のまま彼を見上げた。
「礼式と監査は別です」
「そうなのですか」
戸惑う直人に、彼女は会計の説明より厳しい顔でうなずいた。
「はい。後で覚えていただきます」
リヴィアは1度だけ膝をつき、すぐに立った。
「ご即位、おめでとうございます。陛下」
「借金を引き受けただけですが」
「それでもです」
彼女の灰緑色の目には、喜びより心配があった。
そのほうが信用できた。
* * *
最初の国王命令は、祝宴の開始ではなかった。
王室財産と国家財産を分けるため、宮内局の目録を評議会へ提出させる命令だった。
運び込まれた目録を見て、ボルガンの顔色が変わった。
「王宮北倉庫の銀食器、絵画、外国産絨毯が、侯爵邸へ移されています」
リヴィアが読み上げた。
「先王陛下より賜ったものだ」
「贈与証書は?」
直人が尋ねた。
「口頭で賜った。宮内長官であった私の言葉が証拠だ」
「では、この規則は何ですか」
直人は別の冊子を開いた。
王宮財産管理規則。
10年前、宮内局の物品が使用人に盗まれた事件を受け、ボルガン自身が制定したものだった。
「王室財産の贈与は、品名、評価額、受贈者を記した証書へ国璽と宮内長官印を押し、台帳へ登録した時点で成立する。手続を欠く物品は、保管場所を問わず王室の所有と推定する」
直人は条文を読み終えた。
「この規則では、あなたの印がなければ贈与は成立しない」
「先王陛下の意思を、異界人が疑うのか」
「先王の心は読めない。でも、あなたが作った規則なら読める」
ボルガンは規則を盗難防止のため厳格にした。下級使用人が「王からもらった」と言い逃れるのを防ぐためだった。
自分が持ち出すときだけ、証書を作らなかった。
「侯爵邸にある品を、王室財産として保全します」
「国王になった途端、貴族の屋敷を略奪するか!」
ボルガンが椅子を蹴るように立ち上がった。ガレンの兵たちが反射的に足を開く。
「侯爵家の財産には触れない。王宮目録の印と一致する物だけを保全する。あなたが使用人の言い逃れを防ぐために作った規則どおりです」
「誰が見分ける」
侯爵の怒声にも、直人は目録から指を離さなかった。
「宮内局、財務局、国璽院から1人ずつ。ガレン副長の兵が立ち会います。品ごとに記録し、異議があれば契印官の前で審査する」
扉が開き、ガレンが6人の兵を率いて入った。
ボルガンは立ち上がった。
「兵を私の屋敷へ入れるつもりか」
「この規則の執行権限は、宮内長官にある」
直人は冊子の末尾を示した。
「現在、宮内長官は空席です。国王が代行者を任命できる」
リヴィアへ視線を向ける。
「財務局主任書記リヴィア・ファルクを、臨時王室財産監査官に任命します」
彼女が目を見開いた。
「わたしを?」
「拒否できます」
リヴィアはボルガンを見た。
3冊目の帳簿へ、口頭で命じられた数字を書いた相手だった。
「お受けします」
今度の返事に、迷いはなかった。
「侯爵。同行をお願いします。ご自身の財産を誤って持ち出されないためにも、立ち会ったほうがよい」
「この屈辱を忘れるな」
「忘れないよう、記録へ残します」
リヴィアは真顔で答えた。
ガレンが咳に見せかけて笑いを隠した。
* * *
日暮れまでに、銀食器120点、絵画11点、絨毯7枚、宝飾品23点が侯爵邸から戻った。
すべて王宮目録の識別印と一致した。
さらに、ボルガン家が管理する王領から、3年間で金貨316枚相当の馬と飼料が出荷され、国庫にも宮内局にも納められていない記録が見つかった。
侯爵は、王宮の馬を育てる費用だったと主張した。
直人は即座に横領と断定せず、支出証拠の提出期限を3日後に定めた。証拠がなければ、王国への債務として請求する。
「全部売れば、ヴェスパーへの支払いに回せますか」
リヴィアが銀食器の箱を前に尋ねた。
「まず誰の物かを確定する。次に、王宮で必要な物と売れる物を分ける。王になった勢いで売れば、帳簿を分けた人たちと同じです」
回収品は評価額と所有根拠を記録し、封印した。王になった勢いで売れば、3冊の帳簿を作った者たちと同じになる。
夜、直人は王座ではなく、財務局の長机に座っていた。
目の前には、ヴェスパー商会への書簡がある。
即位の通知。
全債務と担保を確認する共同監査の要求。
支払期限の猶予交渉。
直人は、ただ待ってくれとは書かなかった。数字の違う3冊の帳簿を抱えたまま王領と通行料徴収所を接収すれば、商会自身が管理費と争いを背負う。30日間、帳簿と原記録を共同で調べたほうが回収額を増やせるという試算を添え、王都駐在の監査役との直接交渉を求めた。
署名欄に、新しい名を書く。
エルディア国王、ナオト一世。
「似合わないね」
直人が言うと、向かいのリヴィアが首を傾げた。
「何がですか」
「国王という肩書です」
直人が署名を眺めて肩を落とすと、リヴィアの口元にいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「借金の部分なら、よくお似合いです」
「ひどくないですか」
直人が顔を上げると、彼女は澄ました表情へ戻ろうとして失敗した。
「陛下が最初に言われました」
「公の場では、それでいい。でも、2人だけのときまで陛下はやめないか」
リヴィアの笑みが止まった。思いがけない監査項目を差し出されたように、灰緑色の目が直人を見返す。
「では、何と呼べば?」
「直人で」
「昨日まで三崎様だった人を、急に名前では呼べない」
拒絶というより、照れを隠すための抗議に聞こえた。直人が黙って待つと、リヴィアは視線を契約書へ逃がした。
「……明日から練習します。執務室の中だけです」
「十分です。私も敬語を減らします」
リヴィアは約束を帳簿へ書くべきか迷うように、手元のペンを指先で転がした。
「国王が財務局の書記に気安すぎるのも問題です」
「そこは監査してください」
リヴィアは困ったように息を吐いたが、口元には先ほどの笑みが戻っていた。
直人は署名の横へ契印を押した。
赤い光が走り、書簡が改竄されていないことを示す。
国庫に金はない。
債務は消えていない。
王になっただけで、国が救われたわけでもない。
それでも、誰の金で、誰へ払い、誰が損を負うのかを隠さない制度は始められる。
直人は書簡を閉じた。
即位条件の決議書は3通作った。評議会、財務局、市場前の掲示板へ1通ずつ置く。後から王命だけを残し、監査条件を消させないためだった。
直人は各頁へ署名した。未来の自分を信用しすぎない。それが国王監査の最初の仕事だった。
金貨12,000枚の赤字は、もう3冊の帳簿へ別々の数字で書かれることはない。
「戦争はしない」
「突然、何のお話ですか」
「借金を返せないなら隣国から奪え、と言う人が出る前に決めておきます」
リヴィアは少し考え、うなずいた。
「理由を伺っても?」
「戦争は赤字だから、やらない」
窓の外で、夜の鐘が鳴った。
借金王の最初の1日は、金貨12,000枚の赤字から始まった。
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