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異世界転移した金融マン、国庫金貨46枚の王国を帳簿と現代金融で立て直します  作者: rorenji


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10/17

王になる理由

 帰還の門を離れて1時間後、国内の王位候補者3人から、正式な辞退書が届いた。地下契約室へ出された暫定辞退届とは別に、公開された債務と個人保証条項を読んだ後、改めて提出されたものだった。


 3通とも国璽院の受領印があり、本人との個別面談で自由意思を確かめた契印も光っている。噂でも口約束でもない。これで、国内の新王推薦という選択肢は消えた。


「債務を全部公開した後も、3人とも辞退を変えないでした」


 リヴィアが言った。


 春1月4日の夜。ヴェスパー商会への支払期限が1月10日正午に迫っていた。監査開始から2日目が終わろうとしている。


 三崎直人は、辞退書を日付順に並べた。


 最初の候補者には、領民が4,000人いる。2人目は病気の兄に代わって一族の財産を管理していた。3人目は東部の橋と穀物庫を、自家の借金を担保に修復している。


 誰も、国のために失うものがない人間ではなかった。


 新王になれば、金貨12,000枚の国家債務を個人でも保証する。一族の土地も、動産も、商業上の権利も請求対象になり得る。しかも、王位を引き受けた時点で返済交渉が成功する保証はない。


「卑怯だとは言えないね」


「はい」


「ですが、3人とも辞退した結果は変わらない」


 候補者を卑怯者と呼んでも、王は生まれない。だが、全員が断った結果まで消えるわけでもなかった。


 直人は4枚目の紙を机の中央へ置いた。


 表題は、王国解散時の処理見込み。


「これを作ったのですか」


「帰るか残るかを決める前に、解散を選んだ場合の損失を数字にします」


「国を、数字だけで決めるんですか」


 問いに非難はなかった。それでも直人は、すぐには答えなかった。


「数字にできないものを、無理に数字へ押し込まない。でも、数えられる損失まで気持ちで隠すつもりもない」


 解散すれば、国有財産を売り、債権者へ分配することになる。


 売却期限が問題だった。


 王領3か所と東西街道の徴収権には、すでにヴェスパー商会の担保がついている。それ以外の倉庫、水路、土地、備品も、管理する国が消える前に換金しなければならない。


 買い手は、売り手が待てないと知っている。


 屋根を直せば使える倉庫も、銀貨72枚で水が戻る水路も、壊れた状態の値で買いたたかれる。修復後に生まれる収穫と保管料は、国民ではなく買い手のものになる。


「王領の小作人は、土地と一緒に売られるのですか」


 直人が尋ねた。


「人を売ることはできない。ただ、新しい所有者が今の小作契約を引き継ぐかは、契約ごとに違います」


「原本は?」


「3か所すべてを確認するには、早馬でも数日かかります」


 リヴィアは地図の3点へ指を置き、その遠さを示した。


「売れば、すぐ金にはなります」


 リヴィアが言った。


「ですが、小作人が契約書を探している間に、土地の買い手が決まるかもしれない」


「そうです。権利が必ず消えるとは言えない。でも、守られるとも約束できない」


 急いで売るほど、声の小さい者から置き去りになる。


 行政が解散すれば、徴税だけが止まるわけではない。


 街道の補修、度量衡の検査、土地台帳の保管、王都の警備。近隣国が引き受けるまで誰が行うのか、合意は1つもなかった。


 近衛兵と王宮職員だけでも、未払賃金の対象は147人いた。39人は今回の支払いで完済したが、108人にはまだ残額がある。国が消えれば債権まで消えるわけではない。それでも、職と支払窓口を同時に失う。


「解散して資産を売れば、その108人へ払える可能性もあります」


 リヴィアが言った。


「あります。だから解散を最初から間違いだとは決めつけない」


「解散にも利点はあります」


 直人は紙の左側を示した。


「売った金で未払賃金を払えるかもしれない。役所を維持する費用も止まる。借金を全額返せなくても、残った金を債権者へ分けられます」


「では、解散を選びますか」


「水路を売った後で、やはり直したほうがよかったとは言えない。職員が他国へ移った後で、同じ役所を戻すことも難しい」


 土地が何人もの買い手へ分かれれば、誤りを見つけても契約を簡単には巻き戻せない。


「解散は、間違えたと分かっても戻せないことが多すぎる。だから、まだ戻れる存続を先に試します」


* * *


 日付が変わる頃、直人は別の紙へ王国を存続させた場合を書き始めた。


 現金は足りない。負債の全体像もまだ確定していない。3冊の国家帳簿は数字が食い違い、徴収所の原簿との照合も終わっていない。存続を選べば必ず再建できるなどと言えば、それこそ粉飾だった。


 それでも、確認できたものはある。


 市場では取引が続き、畑では次の収穫を作れる。職人は倉庫を直せると言い、石工は水路の修復費を答えた。東西街道には荷車が走っている。国庫の現金不足と、この国から価値を生む力が消えたことは、同じではない。


「存続を選んで失敗した場合は?」


 リヴィアが尋ねた。


「工事費が高すぎれば止める。税を取りすぎていれば原簿を調べて返す。交渉条件が悪ければ、別の案を出す」


「間違いながら進むのですか」


「間違いを隠さず、戻れるうちに止める。そのために帳簿を公開し、私自身も監査させます」


 直人は紙へ1行だけ書き、囲んだ。


 解散は戻せない。存続は、まだ調べ直せる。


「再建できると判断されたのですか」


 向かいで記録を整理していたリヴィアが顔を上げた。


「違います。再建できると楽観したんじゃない。再建できないと断定するための調査さえ、まだ足りないという意味です」


「ずいぶん弱い理由ですね」


「強い言葉で不確実性は消えない」


 成功できるかは分からない。今は、すぐに国を売る道と、失敗を止めながら調査を続ける道を比べるしかない。


 そして後者には、実行する者が要る。


 国内の候補者3人は正式に辞退した。評議会の者たちは、候補者の財産を開示するだけでも抵抗した。ヴェスパー商会との契約を読み、3冊の帳簿を疑い、未払賃金を外国債務と同じ約束として扱う者は、今のところ直人しかいない。


 自分が特別だからではない。


 最後の監査契約に、ここへ連れてこられてしまったからだ。


「私にしか実行できないなら、最悪の属人化です」


「ぞくじんか?」


 リヴィアは聞き慣れない音を確かめるように、ゆっくり繰り返した。


「1人が倒れたら止まる仕組みです」


 説明しながら、直人は駅の床へ倒れていた自分を思い出した。


「では、お帰りになりますか」


 リヴィアは引き留めなかった。地下契約室で告げたときと同じだった。


 直人は目を閉じた。


 東京の自宅には、玄関脇の読みかけの本がある。母には最後に、仕事が忙しいという短い連絡を送った。父とは正月以来、まともに話していない。


 駅で倒れた自分を、救急隊員が囲んでいた。


 帰還できれば目を覚ませるかもしれない。家族に会い、北辰キャピタルの報告書がどうなったかを確認できるかもしれない。日曜が賞味期限の牛乳を捨て、月曜には、いつもの席で仕事ができるかもしれない。


 そういう生活を軽いとは思わなかった。


 12万人の国民と、自分の家族を天秤へ載せることもできなかった。人数で重さを決めれば、家族への責任を都合よく切り捨てることになる。


 それでも、直人はもう、危険を見てしまった。


 108人に残った未払賃金を知っている。買いたたかれる水路と倉庫を知っている。土地の権利を証明できないまま、所有者が変わるかもしれない人々を知っている。


 1度見た危険を、知らなかったことにはできない。


 帰ることは逃げではない。召喚された直人には、帰る権利がある。


 だが自分は、選択に必要な事実を最後まで確かめると言った。その結果、解散より存続のほうが損失を制御できると判断した。そして、それを実行できる候補者が自分しか残っていない。


 ここで帰れば、直人は判断を他人へ渡せる。


 責任まで渡せるわけではなかった。


「残ります」


 声に出すと、胸の奥で何かが切れた。


 東京との縁ではない。戻れるかもしれないという言葉の陰へ、決断を隠しておく余地だった。


 リヴィアは喜ばなかった。


「王になる、という意味ですか」


「王国を存続させるため、王位を引き受けます。ただし、今の王権をそのまま受け取るつもりはない。王が間違えたとき、止められる仕組みも一緒に作ります」


 リヴィアの目が見開かれた。しかし喜ぶより早く、その眉が苦しそうに寄る。


「ご家族へお別れもできないのですよ」


「分かっています」


 答えた直人の声は、自分で思ったより乾いていた。


「本当に?」


 リヴィアは机越しに一歩近づいた。会計官ではなく、帰れなくなる人間を見つめる目だった。


「全部分かったとは言えない。でも、後悔する可能性ごと引き受けて進む。平気だから残るわけじゃない」


 リヴィアはしばらく直人を見ていた。


「では、わたしからも条件があります。後悔していることを政策の正しさで隠さないでください」


「難しい条件ですね」


「金貨12,000枚よりは軽いかと」


 直人は笑えなかった。だが、うなずくことはできた。


* * *


 春1月5日の朝、評議会室の扉の前で、直人は4枚の決議案を読み返した。


 王室財産と国家財産を分ける。


 国の収入、支出、債務、担保を毎月公開する。


 国王自身を監査対象とする。


 ヴェスパー商会との債務を隠さず、支払猶予と条件変更を正式に求める。


 王になる者が自分しかいないなら、自分が間違えたとき止める仕組みも、同時に作らなければならない。


 リヴィアが、4枚を綴じた。


「条件が認められなければ?」


「即位しない。監査できないまま国を存続させても、損失を先送りするだけです」


 扉の向こうには、空席の王座と王冠が待っている。


 直人は帰還の門ではなく、評議会室の扉へ手をかけた。


「王国を存続させる条件を、提示します」


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