⑥
姉は床に寝たままのアリスを抱き起こすと、その腹に手を翳した。
淡い光が彼女の腹部を包み込む。
姉の癒しの力だった。
「ごめんなさいね。痛かったでしょう」
その表情は、俺の知っている優しい顔だった。
「お姉ちゃん……一体これは……」
おずおずと尋ねると、姉は「はぁ」とため息一つついて、シャンデリアのなくなった天井を見上げた。
「いやー、やっと出ていってくれたわ!アリスさんについてた悪魔さん!!いや、動くなら今日だと思ってたのよ。生半可な聖水じゃ効かなかったものだから。最強聖水作りにこん詰めすぎちゃってさぁ。おかげでこっちが熱出ちゃったー。ノアが時間稼いでくれてよかったわ。おかげで回復できた」
歯を見せて笑う美しい姉は、とても令嬢には見えない。アリスの表情が和らぐと、姉はアリスを俺に預けた。
「あ、そうそう。ルーカス様」
「ひゃいっ!」
名前を呼ばれて、変な声をあげるルーカスに姉はにっこりと笑ってから、ネグリジェの裾をもつと、優雅に頭を下げた。
「この度の婚約破棄お受けします」
「え……なっ?なんで?」
戸惑いを見せるルーカスに、姉は顔を上げて小さくため息をついた。
「王命にて、500年に一度の厄災を取り除くべく尽力し、本日アリス・キャンベルを介して貴方とこの国を害そうとした悪魔を浄化いたしました。私が貴方と婚約してる道理はすでにございません。どう転ぼうが、これから先の貴方の治世は安泰でしょう。どうぞアリス嬢とお幸せに」
「お幸せにって……アリスはだって悪魔で」
寝息を立てているアリスをルーカスは見つめる。その寝顔は憑き物が落ち、すっきりとした少女のあどけないものになっていた。
「取り憑かれていただけですわ。もう大丈夫です。強い悪魔でした。普通は背中叩けば出ていくのに……、生半可な聖水をかけても悪魔が出ていかなくて……私も力不足で浄化にこんなに時間をかけてしまいました。申し訳なかったです」
群衆の言った「叩いた」、「水をかけた」、「出てけと凄んだ」という出来事は、いじめではなく、悪魔祓いの一環だったというわけか……。どうりでおかしいと思ったと、安堵で全身の力が抜けていく。
「そうではなくて……分からなくて……」
「ああ、ルーカス様もアリス様に盛られた薬が効いていますから、今は正常な判断はできないと思いますが。……そのように小水などで抜けていくと思いますのでご安心ください」
自身の股間を指さされ、ルーカスは顔を真っ赤にしてその場で正座してそれを隠すように手をやった。
「ご安心なさい。悪魔がたまたまアリス様を選んだだけで、彼女の才覚や魅力は本物です。つまり、あなたが惚れ込んだ彼女であることには変わりません。それともルーカス様はアリス様ではなく、悪魔に恋焦がれていたとでも?」
姉は俺に目配せする。ため息をついてからルーカスにそっとアリスを渡した。ルーカスは戸惑いながらも彼女を受け取った。俺と目が合うと、申し訳なさそうに俯くその姿に先程の毒気は見当たらなかった。
「……ちが、いや……分からない。ただお前は、俺のことが好きだったんじゃないのか?お前はいいのか?俺と婚約破棄なんて……」
どの口が言っているのだ。食ってかかろうとした俺を、姉は片手で制した。
「最初から好きではなかったですよ。私。弟に意地悪する人は嫌いなので」
呆けたままのルーカスを置いて、姉は颯爽と扉へと歩み出る。
「さぁ、ノア。帰るわよ」
大きく開け放された扉から、青白い月明かりが広間に差し込む。夜の光に照らされて、やっぱり姉は美しかった。




