第8話:飛ばされた理由
新庄アオイは、その夜、こっそり古い人事資料を調べていた。
黒田マモル。三か月前まで、本庁の企画課。将来を嘱望されたエリート。それが、なぜ地下二階のダンジョン対策課へ。
検索を進めるうち、彼女は一つの記録に行き当たった。二年前、隣の緑川市。黒田は当時、そこへ出向していた。
そして、緑川市でも──住宅街にダンジョンが湧き、子どもが一人、行方不明になっていた。
「……同じ」新庄は息を呑んだ。
翌朝、彼女は思い切って黒田に尋ねた。
「黒田さん。緑川市で、何があったんですか」
課に、沈黙が落ちた。桐生の湯呑みを持つ手が止まり、ハルが顔を上げた。
黒田は、しばらく書類から目を上げなかった。それから、ペンを置いた。
「……二年前だ」彼は窓の外を見た。「緑川市でも、同じことが起きた。ダンジョンが湧いて、子どもが取り込まれた。俺は、捜索の担当だった」
「捜したんですよね」
「捜そうとした」黒田の声が、低くなった。「だが、止められた。上から。『あの区画は再開発が決まっている。捜索を長引かせるな』と。──聞き覚えのある台詞だろう」
新庄が、青ざめた。
「俺は、抵抗した。書類を回した。今と同じように、抜け穴を探した。でも、緑川市では、間に合わなかった」黒田の指が、机の上で固く組まれた。「捜索の予算を全部止められて、探索員も引き上げさせられて。……俺が三枚目の書類を書き上げる前に、ダンジョンは『安全のため』として、上の判断で埋め立てられた。中に、子どもがいるかもしれないまま」
部屋の空気が、凍りついた。
「埋めた、んですか」新庄の声が震えた。「子どもが、いるかもしれないのに」
「『生存の確証がない』『再開発のスケジュールが優先される』。それが、向こうの理屈だった」黒田は目を閉じた。「俺は、止められなかった。書類で、間に合わなかった。──それで、声を上げた。記者にも、議会にも。再開発のために子どもの捜索が打ち切られた、と。だが、握り潰された。証拠は『紛失』した。そして俺は、緑川市から本庁に戻され、三か月後、ここへ飛ばされた」
「それが……対策課に来た理由」
「左遷だよ」黒田は薄く笑った。自嘲の笑みだった。「邪魔者を、地下二階に押し込めた。役所のやり方だ。──だから、新庄。俺は今度こそ、間に合わせたい。同じ穴で、二度は間違えない」
ハルが、静かに立ち上がった。剣を背負い直す。
「あんたが、なんで書類なんかに、そこまで必死なのか、やっと分かった」彼女は言った。「あんたは、剣を持ってなかったから、間に合わなかったんじゃない。書類を、誰かに止められたから、間に合わなかったんだ」
「……ああ」
「なら、今度は止めさせない」ハルの目が、まっすぐ黒田を見た。「あんたが書類を書く時間を、あたしが稼ぐ。中で何が来ても、あたしが斬る。だから──書いて。間に合わせて」
黒田が、顔を上げた。長いこと、誰にも見せなかった表情が、そこにあった。
「ありがとう」
桐生課長が、湯呑みを置いた。「……黒田くん。緑川の件、わしは噂で知っとった」昼行灯の目が、初めて鋭くなった。「実はな、わしも昔、同じように上に楯突いて、潰された口でね。だから、波風を立てんようになった。──だが、お前さんを見てると、思い出すよ。潰される覚悟で書類を書いてた、昔の自分を」
桐生は、引き出しから印鑑を取り出し、机に置いた。
「今度は、わしの判子で守ってやる。好きなだけ、書きなさい」
地下二階の、切れかけた蛍光灯の下で。三人と一人は、はじめて、一つのチームになった。
そして、新庄アオイは、その夜、自分が「なぜ対策課を志望したか」を、まだ誰にも言えずにいた。──黒田が緑川市で声を上げた、という噂を聞いて、この人の下で働きたいと思ったのだ、と。
黒田が飛ばされた理由──緑川市。子どもを救えなかった過去と、握り潰された声。彼が「管轄を理由に人を見捨てない」と言い続ける、その根っこです。
「あんたが書類を書く時間を、あたしが稼ぐ」。ハルが、ついに黒田の戦友になりました。文と武が、一つに。
桐生課長もまた、潰された過去を持つ人でした。地下二階のはみ出し者たちが、一つのチームに。
次回、大型イベント。本庁エリート官僚・遠野ケイ、登場。




