第7話:最強のクレーマー
「おい! いつまで公園を封鎖してるんだ!」
地下二階の対策課に、その怒声は雷のように降ってきた。ハチマキを巻いた、がっしりした体格の老人。桜ヶ丘三丁目町内会長、郷田。第1話の、最初の苦情電話の主だった。
「封鎖して二週間だぞ! 子どもの遊び場がなくなった! じいさん連中のゲートボール場もだ! お前ら、税金で飯食ってて、何もしてねえじゃねえか!」
新庄が、びくっと身をすくめた。郷田の声は、地下二階の天井をビリビリと震わせる。
黒田は立ち上がり、いつもの飄々とした調子で迎えた。「郷田会長。お茶でもどうぞ」
「茶なんか飲みに来たんじゃねえ!」郷田は机を叩いた。「あの穴、本当に危ないのか? 危なくないなら、さっさと埋めて公園を返せ!」
「危険です」黒田はあっさり言った。「危険等級でいえば、住宅街に置いておくべきものではない。正直に言います」
郷田が、ぐっと言葉に詰まった。役所の人間が、こうもあっさり「危険だ」と認めるとは思っていなかったのだ。
「……だったら、なんで埋めねえんだ」
黒田は、机の上の証拠保全の袋を、郷田の前に置いた。子どもの上履き。
「埋められないんです。会長。この公園のダンジョンの底に、先月から行方不明の、三丁目の子が、取り込まれている可能性があります。埋めれば、その子を見殺しにすることになる」
郷田の顔から、血の気が引いた。
「……佐倉さんとこの、ハルトか」
「ご存知でしたか」
「三丁目の子だ。知らねえわけ、あるか」郷田は上履きを見つめ、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。怒声が、嘘のように消えていた。「あの子、よく公園で一人で遊んでた。母親が、夜勤で忙しくてな。俺たち年寄りが、たまに飴やってた。……生きてるのか」
「分かりません。でも、ゼロじゃない。だから、捜してます。本庁は、止めにかかってますが」
「なんで止めるんだ!」郷田の怒りが、今度は別の方向を向いた。「子どもが穴の底にいるんだろ! なんで役所が止めるんだ!」
「再開発の予定があるからです」黒田は静かに言った。「あの区画を、別の用途に使いたい人間がいる。そのために、捜索を長引かせたくないらしい」
郷田が、立ち上がった。顔が真っ赤だった。だが、その怒りは、もう対策課には向いていなかった。
「ふざけるな。俺たちの町を、俺たちの子どもを、勝手に再開発だと? ……黒田さん、だっけ。あんた、俺をクレーマー扱いしてたよな」
「正直、最強のクレーマーだと思ってました」
「ハッ」郷田が、初めて笑った。荒っぽいが、悪くない笑いだった。「だったら、その最強のクレーマーを、味方につけたらどうだ。俺は三丁目の町内会長だ。回覧板も、地域の集まりも、署名も、人集めも、お手のもんだぞ。役所が一人で本庁に楯突いても、潰される。だが、住民が二千人で声を上げたら、どうだ?」
黒田の目が、わずかに見開かれた。
最強のクレーマーは、敵に回せば最悪だ。だが、味方につければ──住民自治という、行政が決して持てない力になる。
「会長」黒田は深く頭を下げた。「お力を、お借りできますか」
「おう。子どものためだ」郷田はハチマキを締め直した。「ただし、条件がある。役所言葉で誤魔化すな。住民には、本当のことを話せ。危険なことも、再開発のことも、全部だ」
「……お約束します」
郷田が帰った後、ハルがぽつりと言った。「敵が、味方になった」
「いえ」黒田はメモに「住民説明会」と書き込んだ。「最初から、敵じゃなかったんです。ただ、誰も、本当のことを話してこなかった。それだけだ」
地下二階の蛍光灯が、今日は、少しだけ明るく見えた。
最強のクレーマー・郷田会長、登場。そして、味方へ。怒鳴り込んできた老人の怒りの奥にあったのは、町と子どもへの愛情でした。
住民自治──行政が決して持てない、二千人の声。これが後の「住民説明会」で、大きな武器になります。
「役所言葉で誤魔化すな。本当のことを話せ」。郷田の条件は、黒田にとって一番難しい注文かもしれません。
次回、黒田が「飛ばされた理由」が、ついに語られます。




