第3話:戦うな、申請しろ
「捜索は、うちの管轄ではありません」
児童福祉課の課長は、書類から目も上げずに言った。「ダンジョン内は危険区域です。一般職員を立ち入らせるわけには。それは対策課か、警察の領分でしょう」
黒田は隣の窓口に移った。警察署の生活安全課。
「ダンジョン内の捜索? それは災害対応です。区の災対担当か、災対庁マターでしょう。我々は地上の捜索願までしか」
そして本庁の災対担当・阿久津。内線の向こうの声は、相変わらず滑らかだった。
「ですから、正式なダンジョン認定が下りていない以上、災害対応の予算は動かせません。前例がないので。規定ですので」
三つの部署。三つの「うちじゃない」。一人の子どもが、その隙間に落ちている。
黒田は地下二階に戻り、新庄とハルの前で、三つのファイルを扇のように広げた。
「役所のたらい回しには、法則があります」彼はボールペンの尻で机を叩いた。「みんな『自分の管轄だと、責任と予算が発生する』のが嫌なんです。だから押し付け合う。──なら、逆を突けばいい」
「逆?」新庄が首を傾げる。
「責任を、こっちが全部かぶる。そのかわり、三つの権限を全部もらう。一枚の書類で」
黒田はペンを走らせ始めた。
第一に、ダンジョンは「区の管理する不法投棄物」(第1話の前例)。よって内容物の調査権は対策課にある。第二に、調査の過程で人命に関わる物件(上履き)を発見した場合、区は「災害対策基本法」の準用により、住民の生命保護のための応急措置を講じることができる。第三に、対象が児童であるため、「児童福祉」の観点から関係各課に協力を要請する──ただし主担当は対策課が引き受ける。
「つまり、こうです」黒田は書き上げた一枚を掲げた。「『不法投棄物の調査中に人命の危険を発見したので、対策課が応急措置として内部捜索を実施する。各課は協力されたい』。──誰の管轄も奪わない。責任だけ、うちが引き取る」
ハルが書類を覗き込み、眉を上げた。「……役所って、こんな曲芸ができるの」
「できません。前例がないので」黒田はかすかに笑った。「だから、今日作るんです」
問題は決裁だった。これだけの権限を一課が握る書類には、課長の判子が要る。責任の重みが、桐生の細い肩に全部乗る。
黒田は決裁欄を空けたまま、課長の机に置いた。
桐生は長いこと、その紙を見ていた。茶をすすり、また見て、もう一度すすった。
「黒田くん。これに判を押せば、何か起きたとき、責任を問われるのはわしだ」
「はい」
「定年まで、あと二年なんだがねえ」
「……はい」
桐生は湯呑みを置いた。引き出しから、使い込んだ印鑑を取り出す。
「波風は、嫌いだ。だが、子どもを穴の底に置き去りにする役所の静けさは、もっと嫌いでね」
ポン、と。
決裁欄に、朱の判が落ちた。
「行きなさい。書類は、わしが守る」
黒田は深く頭を下げた。新庄が、声を殺して目元を拭っていた。
その日のうちに、桜ヶ丘ダンジョン内部捜索が、桜ヶ丘区の「正式業務」として成立した。三つの課にまたがる権限を、たった一枚の申請書が束ねた。
本庁の阿久津から、慌てた内線が入ったのは夕方だった。
「黒田さん!? 何ですかこの決裁は。対策課が捜索を主担当? そんな前例は──」
「ありませんでした。今日まではね」黒田は静かに言った。「これからは、あります。何か問題でも?」
電話の向こうが、一瞬詰まった。それから、声を潜めて言った。
「……これは私の一存では止められません。ただ、忠告しておきます。桜ヶ丘の一帯は、再開発の件で本庁が動いてる。あまり、深く掘らない方がいい」
カチャ、と。黒田は受話器を置いた。
再開発。手元のメモに、彼はその三文字を書き留めた。今はまだ、意味を持たない言葉として。
「芹沢さん」黒田は立ち上がった。「明日、潜ります。今度は、一階層では済みません」
ハルは剣の柄を握り、ニッと笑った。「やっと、あたしの出番ね」
勝負回でした。「戦うな、申請しろ」──黒田の武器は、剣でも魔法でもなく、たった一枚の書類です。
桐生課長のポン、と落ちた判子。事なかれの昼行灯が、ここぞで見せた覚悟、いかがでしたか。
そして阿久津がうっかり漏らした「再開発」。この三文字が、後にとんでもない縦穴へ繋がっていきます。
ブックマーク、よろしくお願いします。次回、いよいよ迷宮探索が本格化します。




