第28話:決別
「鷲尾」
ハルの声は、静かだった。二年分の感情を押し込めた静けさだった。
「お前、まだ青臭いことを言うのか」鷲尾は彼女を見て、せせら笑った。「結果論だ。たまたま救助が成功した。だが、もし失敗していたら? お前らは、確実な命を危険に晒して、犬死にだったかもしれない。俺の判断が、合理的だったんだ」
「合理的?」ハルは繰り返した。「あんたの言う合理は、最初から弱い者を勘定に入れてないだけよ。豆腐屋のおじいちゃん。一ノ瀬。──二人とも、あんたの『合理』の中では、最初から死んでいい命だった」
「現実だ。全員は、救えない」
「救えないことと、救おうとしないことは、違う」ハルの声が、初めて震えた。怒りで。「二年前、緑川で、あんたは子どもの捜索を採算に合わないと切り捨てた。あたしは一人で突っ込んで、間に合わなかった。あの子は、死んだ。──あたしはずっと、自分を責めてきた。あと一日早ければ。あと二人、人手があれば、って」
鷲尾の表情が、わずかに動いた。
「でも、今日、分かった」ハルはまっすぐ彼を見た。「あのとき間に合わなかったのは、あたしのせいじゃない。あんたが人手を出さなかったからだ。あんたが、命を切ったからだ。──あたしは二年間、あんたの罪を、自分の罪だと思い込まされていた」
彼女の目から、涙がこぼれた。だが、その声は、もう震えていなかった。
「あたしはギルドを辞めて、一人で剣を振ってきた。一人でも、命を拾えるように。でも、一人じゃ、たいして拾えなかった。あんたの言う通り、無力だった」ハルは隣の黒田をちらりと見た。「でもね、鷲尾。あたしは見つけたんだ。一人の剣じゃ拾えない命を、拾う方法を」
「方法、だと?」
「書類と、住民と、前例と、制度」ハルは言った。「採算で切られた命を、行政の仕組みで拾い直す。一人の腕じゃなく、みんなの力で。──今日、あたしたちはそれで、三人を拾った。あんたが切り捨てた、三人を」
鷲尾は、何も言い返せなかった。
「あんたとは、もう二度と組まない」ハルははっきりと告げた。「あたしは、ここで拾う側にいる。採算の、外側で。──さよなら、鷲尾。あんたの『合理』は、いつか、あんた自身を切り捨てる」
それは、二年間ハルが言えなかった、決別の言葉だった。
鷲尾は、しばらく立ち尽くしていた。そして無言で、車に戻っていった。彼の「合理」は、黒田の記録によって行政と議会に提出される。安全軽視の証拠を突きつけられたヴァルゴの民間委託は、信用を失っていく。剣を持つ男は、紙きれに敗れたのだ。
ヴァルゴの車列が去った後。
一ノ瀬が、傷だらけの体で、ハルの前に立った。
「芹沢さん」彼は深く頭を下げた。「俺、ヴァルゴを辞めます」
「一ノ瀬くん」
「ずっと迷ってました。効率が正しいのか、理想が正しいのか」一ノ瀬は顔を上げた。その目は、もう迷っていなかった。「でも、今日、分かった。俺がやりたかったのは、こっちです。採算の合わない命を拾う仕事だ。芹沢さんと、黒田さんのいる、こっちです」
彼は、黒田に向き直った。
「対策課に、雇ってもらえませんか。嘱託でも、何でもいい。俺、人を助けたいんです」
黒田は少し考えるふりをして、それから笑った。
「歓迎します。──ただ、うちは給料が安いですよ。書類仕事も、多い」
「望むところです」一ノ瀬が、初めて笑った。
ハルが、その若者の頭を、くしゃっと撫でた。
「よく来た」優しい声だった。「あたしが教えてやる。剣の振り方も──」彼女は黒田を見て、付け加えた。「書類の信じ方も、な」
二年前、間に合わなかったハルの傷は。
今日、一人の若者を拾い上げたことで、ようやく癒え始めていた。
決別。ハルが、二年越しに鷲尾と向き合いました。「間に合わなかったのは、あたしのせいじゃない。あんたが、命を切ったからだ」。彼女が自分を責め続けた呪いが、ここで解けました(B1完全回収)。
そして、一ノ瀬が対策課へ。ハルが救えなかった過去の自分を、彼を拾うことで救い直す。ハルの傷が、癒え始めます。
剣を持つ男は、紙きれに敗れました。次回、第2部クライマックス。区と災対庁の、連携協定。




