第26話:公の、仕事
崩落現場の救助に、前例はなかった。ぶっつけ本番だ。
だが黒田には、桜ヶ丘で培ったすべての引き出しがあった。
「新庄! 郷田会長に連絡! 商店街と三丁目の町内会で、前線基地を組む! 桜ヶ丘の住民協働事業の枠組みを、そのまま転用しろ!」黒田は矢継ぎ早に指示を飛ばした。「灰原さん! 崩落は二次災害です。災対庁規程の人命救助の緊急委任を、今ここで出してください。桜ヶ丘の前例があります!」
灰原が、はっと我に返った。
「……ああ。出す」彼は即座に、委任の書類にサインした。桜ヶ丘で渋ったあの男が、今度は迷わなかった。「人命救助の現地措置を、桜ヶ丘区に委任する。──頼む、間に合わせてくれ」
「ありがとうございます」
そして、ハル。
「芹沢さん。崩落の続く迷宮に潜るのは、危険です。無理は言えない」黒田は彼女を見た。
ハルは剣を背負った。その目に、もう迷いはなかった。
「無理を言われなくても、行く」彼女は言った。「あたしがずっと、やりたかったことだ。採算で切られた命を、拾う。──今度は、間に合わせる」
黒田は頷いた。「ルートは俺が引きます。崩落の構造から、いちばん安全な進入路を計算する。あなたはそれを信じて、進んでください」
「信じる」ハルは即答した。「あんたの書類を、信じる」
二人は、崩落現場のわずかな隙間から、地下へと潜った。
土煙の中、瓦礫の隙間。黒田は記録を取りながら、構造を読んだ。どこが崩れ、どこが支えているか。どのルートが生きているか。剣は抜けない。だが彼の頭は、瓦礫の山を一枚の設計図に変えていく。
「右の通路は崩落リスクが高い。左へ。古い排水路がある。それを辿れば、店の地下に出られる」
ハルが、黒田の示した道を進んだ。
そして瓦礫の向こうから、か細い声が聞こえた。
「……誰か。誰か、いるのか」豆腐屋の老店主の声だった。
「いますよ!」黒田が声を張った。「区役所の、ダンジョン対策課です! 助けに来ました!」
排水路を抜けると、わずかな空間に、二人がいた。
老店主と、その傍らに、傷だらけの一ノ瀬。若き探索員は、自分の体を盾にして、落ちてくる瓦礫から老人を守っていた。
「芹沢、さん……」一ノ瀬が掠れた声で言った。「来て、くれたんすね。役所が……いや、芹沢さんが」
「当たり前でしょ」ハルは瓦礫を押しのけ、二人に駆け寄った。「あんたが、見捨てられないって戻ったんでしょ。なら、あたしがあんたを見捨てるわけ、ないでしょ」
一ノ瀬の目に、涙が滲んだ。
「統括は……鷲尾統括は、撤退したんすよね。俺のこと、採算に合わないって」
「した」ハルははっきりと言った。「でも、あんたは間違ってない。採算に合わなくても、戻った。それが、正しい。──あたしが、保証する」
彼女は二年前、緑川で間に合わなかった。あの子を、救えなかった。
だが、今。目の前の若者と老人を、彼女は拾い上げていた。
「黒田!」ハルが振り返って叫んだ。「二人とも生きてる! 動ける!」
「了解!」黒田は、もう帰還ルートを引いていた。「来た道を戻ります。排水路は、まだ保ってる。急いで!」
四人は、瓦礫の迷宮を一歩ずつ、地上へと向かった。
黒田の記録が道を照らし、ハルの腕が瓦礫を払う。文と、武。それが、二年越しの命を拾い上げていく。
「……間に合った」ハルが呟いた。涙が頬を伝った。「今度は、間に合った」
公の、仕事。桜ヶ丘で培ったすべて──住民協働、緊急委任、記録によるルート設計を総動員した、救助。灰原も、今度は迷わず委任を出しました。
そして、瓦礫の向こうに、一ノ瀬。自分の体を盾に、老人を守っていた若者。鷲尾が「採算外」と切り捨てた命を、ハルが、拾い上げます。
「今度は、間に合った」。ハルの、二年越しの涙。次回、救出と、決別。ハルの過去に、決着を。




