第25話:崩落
商店街の地下は、地獄になっていた。
アーケードの一角が陥没していた。ヴァルゴが「最速処理」のために安全確認を省き、ダンジョンコアを強引に破壊しようとして、連鎖崩落を引き起こしたのだ。土煙が立ち込め、瓦礫が道を塞いでいる。
その崩落現場から、ヴァルゴの部隊が撤退してくるところだった。
「鷲尾さん!」黒田は、車に乗り込もうとする鷲尾に駆け寄った。「中に、人が残ってるんじゃないですか!」
鷲尾は振り返りもしなかった。「二次災害だ。契約範囲外。これ以上は、うちの責任じゃない」
「人がいるんですか、いないんですか!」
鷲尾の足が止まった。そして、面倒くさそうに言った。
「……豆腐屋の年寄りが、避難に応じてなかった。たぶん、まだ店にいる。それと──」彼はわずかに声を落とした。「うちの一ノ瀬が、二人を助けに戻った。馬鹿が」
ハルが息を呑んだ。「一ノ瀬くんが!?」
「止めたんだがな。『見捨てられない』とか言って、瓦礫の向こうに行っちまった」鷲尾は肩をすくめた。「採算に合わん。連絡も取れない。──だから撤収だ。これ以上、人員を失うわけにいかない」
「助けに戻らないんですか!」一ノ瀬を案じる新庄が叫んだ。
「戻って、どうする」鷲尾は冷たく言った。「崩落はまだ続いてる。今潜れば、こっちが死ぬ。生存確率の低い二人のために、確実な命を危険に晒せない。──それが、プロの判断だ」
彼は車に乗り込んだ。去り際、ハルを見て、薄く笑う。
「芹沢。お前なら分かるだろう。緑川でも、お前は一人で突っ込んで、結局、間に合わなかった。命を切るのは、冷たいんじゃない。現実なんだよ。──英雄ごっこは、誰も救わない」
ヴァルゴの車列が去っていった。後に残されたのは、崩落現場と、その下に取り残された三人の命。豆腐屋の老店主と、一ノ瀬。
そして、灰原が、その場に立ち尽くしていた。
「……本当に、行ったのか」災対庁の調整官は、信じられないという顔をしていた。「人が残ってると分かっていて、撤退した」
「これが、効率です」黒田は、もう現場の地図を広げていた。「採算に合わない命を、切り捨てる。緑川でも、団地でも、河川敷でも、ずっと同じだった。──今日は、それが目の前で起きただけです」
ハルが剣を握りしめ、崩落現場を睨んでいた。その体が、震えていた。怒りで。そして、恐怖で。
「黒田」彼女は掠れた声で言った。「あたし、また間に合わないかもしれない。緑川のときと同じだ。一人で突っ込んで、間に合わなかった、あのときと──」
黒田は、彼女の肩に手を置いた。
「一人じゃない」彼は静かに、しかし力強く言った。「今度は、俺がいる。書類がある。住民がいる。緑川のときとは、違う。あなたはもう、一人で剣を振るう嘱託じゃない。対策課の、相棒です」
ハルが、黒田を見た。その目から、震えが消えていった。
「……そうね」彼女は剣を構え直した。「あたしは、一人じゃ、ない」
黒田は、灰原を振り返った。
「灰原さん。今から対策課は、崩落現場の人命救助に入ります」彼は宣言した。「ヴァルゴが契約範囲外と切り捨てた三人を、拾いに行く。──公の仕事として」
灰原は、何も言えなかった。ただ、黒田の背中を見ていた。
「危険だ」灰原が、ようやく声を絞り出した。「崩落はまだ続いてる。一級迷宮への立ち入り規制も──」
「分かってます」黒田は、もうペンを走らせていた。「だから、書類を書くんです。間に合わせるための、書類を」
崩落。最悪の事態。ヴァルゴは「契約範囲外」「採算に合わない」と、三人を残して撤退しました。豆腐屋の老店主、そして、助けに戻った一ノ瀬。
鷲尾の言葉「英雄ごっこは、誰も救わない」が、ハルの古傷を抉ります。だが、黒田は言いました。「今度は、一人じゃない」。
そして、災対庁・灰原の目の前で。「公が、何を拾うのか」。次回、公の、仕事。救助、始動。




