第23話:緑川の、名前
その夜、黒田は一人、地下二階に残っていた。
机の上には、二年前の緑川市の資料。彼が決して開きたくなかった、過去のファイル。その隣に、ヴァルゴの設立記録。
二つを、突き合わせる。
「……繋がってる」黒田は、呻くように呟いた。
二年前、緑川市。住宅街にダンジョンが湧き、子どもが取り込まれた。黒田が捜索を主張し、上から止められ、ダンジョンは「安全のため」埋め立てられた。子どもが、中にいるかもしれないまま。
そのとき、緑川市のダンジョン処理を請け負った民間企業の現場責任者が──鷲尾だった。
そして、その埋め立てを「効率的」と評価し、緑川市の再開発計画を主導した、当時の市の顧問が──真壁。
「緑川も、桜ヶ丘も、同じ連中だ」黒田の手が震えた。「あのとき、子どもの捜索を打ち切って埋め立てを急いだのは、再開発のスケジュールのためだった。鷲尾が採算に合わないと捜索を切り捨て、真壁がそれを利権のために後押しした。──二年前からずっと、同じことを繰り返してる」
ドアが、開いた。ハルだった。眠れなかったらしい。
「やっぱり、ここにいた」彼女は、黒田の手元の資料を見て、息を呑んだ。「それ……緑川の」
「ああ」黒田は、隠さなかった。「緑川のダンジョン処理を請け負ったのが、鷲尾だ。捜索を打ち切らせて、埋め立てた。あの子は、たぶん、まだ、あの下にいる」
ハルが、ぐっと、拳を握った。
「……あいつは、緑川でも、命を切ってたのか」
「ああ。そして、誰も、止められなかった」黒田は、自嘲した。「俺も、止められなかった。声を上げて、握り潰されて、ここに飛ばされた。──でも、今、分かった。俺を飛ばしたのも、たぶん、同じ流れだ。真壁が、邪魔者を、消した」
二人の間に、重い沈黙が、流れた。
緑川と、桜ヶ丘。過去と、現在。黒田の傷と、ハルの傷。それが、鷲尾と真壁という、二つの名前で、一本に、繋がった。
「黒田」ハルが、静かに言った。「あたし、あんたに、謝らなきゃいけない」
「謝る?」
「あたし、ずっと、思ってたんだ。役所なんか、どうせ、何もしないって。緑川で子どもを見捨てたのも、結局、役所だろうって」ハルは、目を伏せた。「でも、違った。役所の中に、たった一人、止めようとした人がいた。声を上げて、潰された人がいた。──それが、あんただった」
黒田は、何も言わなかった。
「あんたが飛ばされたここで、ハルトを救った。あたしは、それを見た」ハルは、顔を上げた。その目に、強い光があった。「だから、今度こそ、あたしも、止める。鷲尾を。真壁を。緑川で、桜ヶ丘で、切り捨てられてきた、全部を。──あんたの書類と、あたしの剣で」
黒田は、ようやく、口を開いた。
「……心強いです」
そのとき、彼のメモに、新しい線が、引かれた。緑川と桜ヶ丘を結ぶ、一本の線。その両端に、鷲尾と、真壁。
「だが、まだ、証拠が足りない」黒田は冷静さを取り戻した。「緑川とヴァルゴの繋がりは、状況証拠だ。真壁の関与は、まだ、影しかない。──決定的な記録を、掴まないと」
「どうやって」
「向こうが、ボロを出すのを、待つ」黒田は言った。「効率を急ぐ人間は、必ず、どこかで、無理をする。無理をすれば、事故が起きる。事故が起きれば──記録が、残る」
不吉な予言だった。
そして、それは、二日後、商店街の地下で、最悪の形で、的中することになる。
緑川の、名前。黒田の過去と、ヴァルゴ・鷲尾・真壁が、一本の線で繋がりました。二年前から、ずっと同じことが繰り返されていた──採算で命を切り、利権で埋め立てる。
そしてハルの、黒田への謝罪と、誓い。「あんたの書類と、あたしの剣で、止める」。二人の傷が、一つの戦いに。
だが、証拠はまだ足りない。「効率を急ぐ人間は、無理をする。無理をすれば、事故が起きる」。黒田の不吉な予言。次回、災対庁が、揺れる。




