第22話:採算の取れない命
その若者は、対策課の前を、三度、行ったり来たりしていた。
ヴァルゴの、若手探索員だった。二十二歳。一ノ瀬、と名乗った。意を決したように、地下二階に入ってきた彼は、ハルの顔を見て、緊張した面持ちで頭を下げた。
「芹沢さん、ですよね。元・銀狼の。鷲尾統括が、話してました。『昔、青臭い理想で隊を出ていった女がいた』って」
ハルが、警戒の目を向けた。「ヴァルゴの人間が、何の用」
「……すみません。でも、誰かに、聞いてほしくて」一ノ瀬は、絞り出すように言った。「俺、人を助けたくて、探索員になったんです。ダンジョンから、人を守る仕事だって思って、ヴァルゴに入った。でも──」
彼は、唇を噛んだ。
「現場は、全然、違った。『その捜索は採算に合わない』『その救助は契約外』。統括は、いつも、それです。河川敷で、犬が巻き込まれたときも、『犬一匹のために潜るな』って。この前の団地でも、避難が遅れたお年寄りがいたのに、『規定の時間で撤収』って」一ノ瀬の声が、震えた。「俺、間違ってるんでしょうか。人を助ける仕事のはずなのに、どうして、こんなに、人を見捨てるんだろうって」
ハルは、その若者を、じっと見ていた。
かつての、自分を見ているようだった。理想を持って、現場に入り、効率の論理に、打ちのめされていく。あのとき、誰かが、こう言ってくれていたら。
「間違ってない」ハルは、静かに言った。「あんたの感じてる違和感は、正しい。命に、採算なんか、ない」
「でも、統括は言うんです。『全員は助けられない。だから、効率よく、助けられる数を最大化するんだ』って。それって、正しいんじゃないかって、思えてきて……」
そこで、黒田が、口を挟んだ。
「半分は、正しい」彼は、書類から顔を上げた。「資源は有限だ。全員は助けられない。効率よく、最大多数を助ける。それは、行政も、同じ理屈で動いてる」
一ノ瀬が、戸惑った顔をした。
「でもね、一ノ瀬くん」黒田は続けた。「『効率よく助けられる数を最大化する』のと、『採算に合わない一人を、最初から数えない』のは、まったく違う」彼の声が、わずかに鋭くなった。「鷲尾さんは、効率を語りながら、実は、最初から、弱い人間を『助ける対象』に入れてない。行き場のない年寄り。巻き込まれた弱い者。声の小さい人。そういう、採算の合わない人を、最初から、計算式から、消してる。──それは、効率じゃない。ただの、選別だ」
一ノ瀬の目が、見開かれた。
「行政が、なぜ非効率でも存在するか、分かるか」黒田は言った。「民間は、採算の合う仕事を、効率よくやればいい。でも、誰も拾わない、採算の合わない命を、最後に拾うのが、公の仕事なんだ。──そこを民間に全部投げたら、採算の合わない人間は、この世から、消えていく。誰にも、数えられないまま」
部屋が、静まり返った。
一ノ瀬は、長いこと、俯いていた。
それから、顔を上げた。「……俺、もう少し、考えてみます。自分が、どっちの仕事をしたいのか」
彼は、深く頭を下げて、帰っていった。
「あの子」ハルが、その背中を見送りながら言った。「あたしと、同じ目をしてた」
「ええ」黒田は頷いた。「だから、放っておけないでしょう」
「……ばか言わないで」ハルは、ぷいと横を向いた。だが、その横顔は、どこか、柔らかかった。
そのとき、新庄が、ヴァルゴの過去記録を整理していた手を、止めた。
「黒田さん。これ……ヴァルゴの、設立前の役員経歴です」彼女の声が、緊張していた。「現場統括の鷲尾、それと、ヴァルゴの親会社の役員。──二人とも、二年前まで、『緑川市』の、ダンジョン処理事業に、関わってます」
黒田の、ペンが、止まった。
緑川市。
若き探索員・一ノ瀬。理想を持って現場に入り、効率の論理に打ちのめされる。かつてのハルそのものです。
黒田が示した、決定的な違い──「効率」と「採算の合わない一人を最初から数えないこと」は、まったく別物。誰も拾わない命を最後に拾うのが、公の仕事。
そして、新庄が掘り当てた地名。「緑川市」。黒田の過去と、ヴァルゴが、繋がりました。次回、緑川の、名前。




