第16話:なくてはならない課
ひと月が、過ぎた。
桜ヶ丘第二公園のダンジョンは、災対庁の処理班によって、安全に封鎖された。今度は、誰も中に残されていないことを、確認した上で。再開発計画は、凍結された。公園は、住民の手で、少しずつ、元の遊び場に戻りつつある。
佐倉ハルトは、退院した。母と二人、対策課を訪ねてきた。
「あの……これ」母が、紙袋を差し出した。中には、手作りのクッキーと、子どもの描いた絵。クレヨンで、黒田と、ハルと、新庄と、桐生課長が、下手くそに、しかし、笑顔で描かれていた。
「ハルトが、どうしても、お礼を言いたいって」
ハルトは、黒田の前に立ち、ぺこりと頭を下げた。
「あのね。あなをほって、おはなのたねを、うえたいです」舌足らずに、彼は言った。「いつか、おおきくなったら、ぼくも、たいさくかに、なる」
黒田は、膝をついて、子どもと目線を合わせた。
「待ってるよ」彼は、柔らかく笑った。「対策課は、いつでも、人手不足だからな」
母子が帰った後。
地下二階の対策課は、少しだけ、変わっていた。蛍光灯は、新しいものに替えられていた。区民から「子どもを救った課」として届いた差し入れの菓子が、机の隅に積まれている。
そして、何より──電話が、鳴り止まなくなった。
「対策課ですか? うちの裏山に、穴が空いて」「商店街の地下に、変なのが」「学校の校庭が、光ってて」
ダンジョンは、これからも、区のあちこちに湧く。縦割りも、前例主義も、財源不足も、消えはしない。地下二階の、三人と一人の戦いは、終わらない。
「忙しくなるな」桐生課長が、茶をすすった。だが、その声は、どこか嬉しそうだった。
ハルが、剣の手入れをしながら言った。「で、次は、どこの穴?」
「商店街の地下が、一番、急ぎですね」新庄が、もうメモ帳を開いていた。入庁二年目の彼女の目は、以前のような、理想に打ちのめされた色を、していなかった。理想を、現実の書類に変える術を、彼女は、この一件で学んでいた。
黒田は、付箋だらけの例規集を、引き寄せた。
ふと、新庄が言った。「黒田さん。わたし、実は……対策課を志望したの、黒田さんの噂を聞いたからなんです。緑川市で、子どものために、声を上げた人がいるって。──だから、この人の下で働きたいって、思って」
黒田は、少し驚いた顔をして、それから、笑った。
「そうか。じゃあ、期待に応えないとな」
机の上の内線が、また鳴った。黒田は、慣れた手つきで、受話器を肩に挟む。
「はい、ダンジョン対策課、第3係」
電話の向こうで、誰かが、困っている。穴が空いた。誰かが、助けを求めている。管轄の、隙間で。
黒田は、付箋のページに、指を滑らせた。災害。違う。施設管理。違う。環境衛生……。
口角が、わずかに上がる。
「ご安心ください。担当部署は──ここです」
剣は、抜けない。だが、抜け穴は、見つける。
日も差さない地下二階に、今日も、町の小さな悲鳴が、届く。それを拾うのは、いつだって、ここだけだった。
なくてはならない、区役所ダンジョン対策課。
戦わない公務員たちの、終わらない、お仕事である。
―― 第一部「桜ヶ丘ダンジョン編」 完 ――
最終話、お読みいただき、本当にありがとうございました。第一部「桜ヶ丘ダンジョン編」、これにて完結です。
戦闘力ゼロの窓口公務員が、条例の抜け穴と根回しで、一人の子どもを救うまで。剣ではなく書類で、管轄の壁を越える物語、いかがでしたでしょうか。
ハルトくんは、無事に帰りました。対策課は、町に認められました。一つの物語として、ここで気持ちよく終われる地点まで来られたかと思います。
ただ──緑川市の真相、真壁議員と再開発利権の全貌、黒田が「飛ばされた」本当のからくり、そして芹沢ハルがギルドを辞めた理由。底には、まだ、いくつもの「縦穴」が残っています。続きを書く時は、地下二階の彼らが、また、町の悲鳴を拾いに行きます。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、対策課の貴重な「住民の声」として、永久保存いたします。苦情も、応援も、すべて承ります。担当:第3係まで。
それでは、本日の業務を、終了します。お疲れさまでした。




