表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
区役所ダンジョン対策課 〜住民票の次はボス部屋です〜  作者: やどかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/22

番外編 短冊は、願い事じゃない

本日は七夕たなばた特別受付です。短冊は、お一人さま一枚まで。願い事は、担当部署までご提出ください。整理券は、笹の根元でお取りください。

七月に入って最初の月曜、区役所の窓口が開くと同時に、その電話は鳴った。

「おい、黒田さんよ! 公園で七夕たなばたやらせろ!」

黒田マモルは受話器を耳と肩で挟みながら、慣れた手つきで受付票を引き寄せた。声の主は桜ヶ丘三丁目町内会長の郷田ごうだ。半年前は最強のクレーマーだった男が、今では対策課いちばんの常連である。

「落ち着いてください。桜ヶ丘第二公園で、七夕まつり、と。……ささを立てたいんですね」

「そうだよ! ハルトが帰ってきて、ひと月だ。あの子が助かったのも、この町が踏ん張ったからだろうが。だからよ、みんなで短冊たんざく吊るして、景気づけにパーッとやりてえんだよ。公園でな!」

「その公園、半分がまだ封鎖区域ですが」

「そこを何とかするのが、お前らの仕事だろうがよ!」

黒田は受話器を置いた。怒りはない。慣れている。むしろ、この電話が「埋めろ」ではなく「祭りをやらせろ」に変わったこと自体が、この課の小さな戦果だった。

「黒田さん」隣の席で、若手職員の新庄アオイがメモ帳を握りしめている。「公園で、お祭り……できるんですか? だってあそこ、ダンジョンの封鎖柵、まだ立ってますよ」

「できない理由なら、いくらでもある」黒田は指を折った。「封鎖区域での多人数集客。夜間の催事。火気の持ち込み。笹の設置に伴う占用許可。──役所が『無理です』と言うために用意した壁の、フルコースだ」

「ですよね……」

「だが、住民が『自分の町で祝いたい』と言っている。それを『前例がないので』で断るのが、俺は一番嫌いなんです」

黒田は分厚い区例規集れいきしゅうを引き寄せた。

そこへ、内線が鳴った。本庁からだ。相手は、最近やたらと対策課に電話をよこす男——遠野ケイ。かつて桜ヶ丘を「再開発の資産」として接収しかけたエリート官僚が、今は不本意な協力者として、真壁議員の周辺を静かに探っている。

「黒田主任。桜ヶ丘で催事の申請が上がると聞きましたが」

「耳が早いですね」

「一応、忠告しておきます。封鎖区域での夜間集客は、危険等級査定に響きます。感情は、区政の予算には計上できません」

「知ってます」黒田は付箋をめくった。「でも、遠野さん。感情は計上できなくても、住民の声は『受理』はできるんですよ。行政の窓口ってのは、そういう場所です」

内線の向こうで、遠野が短く息を吐いた。呆れとも、諦めともつかない音だった。

「……で、今度は何条を使うんです」

「今、探してるところです」

問題は、公園の地面にあった。

新庄が広げた区画図には、桜ヶ丘第二公園を横切る一本の線が引かれていた。

「見てください黒田さん。ここ……公園の東半分が、うちの対策課の『封鎖区域』。西半分の芝生とベンチは、公園緑地課の管轄なんです。で、住民さんが笹を立てたいのが、ちょうど、この境界線の上で」

「笹の根元は緑地課、幹はどっちつかず、てっぺんは空だから航空局にでも訊くか」黒田は淡々と言った。「見事な縦割りだ」

「緑地課さんに問い合わせたら、『封鎖区域に近すぎる笹は、うちでは判断できない』って。対策課さんに訊いてくれ、と」

「で、その対策課はうちだ」

「はい……。緑地課さんと合同で協議しないと、どっちも判子を押せないそうです。次の合同協議、いつですか、って訊いたら」新庄がメモを見た。「『年に一度、七月の定例で』」

黒田の口角が、わずかに上がった。

「織姫と彦星ですね」

「え?」

「別々の岸にいて、年に一度しか会わない二つの課が、天の川ならぬ管轄境界線を挟んで、七夕の日にだけ協議のテーブルにつく。──役所ってのは、案外、風流だ」

「黒田さん、それ全然ほめてないですよね」

黒田は例規集の付箋だらけのページをめくり続けた。催事。違う。占用。違う。防災……指が、止まった。

「新庄くん。去年、住民協働事業じゅうみんきょうどうじぎょうで、封鎖区域の合同点検をやったのを覚えてるか」

「はい。郷田会長たちと一緒に、月一で柵の見回りをする……あっ」新庄の目が見開かれた。「まさか」

「七夕まつりは、お祭りじゃない」黒田は宣言した。「桜ヶ丘ダンジョン封鎖区域の、住民協働による『夜間合同点検』だ」

「夜間、合同、点検……」

「住民が夜に集まるのは、夜間巡回の実地訓練。笹と短冊は、暗がりでの視認性を確かめるための『目印』。ライトアップは避難誘導灯の点検。屋台の火は、非常時炊き出し設備の動作確認」黒田はボールペンを走らせた。「全部、去年の住民協働事業の前例の中にある。新しい許可じゃない。既存事業の、一回分だ。前例がないなら作るが、今回は──作らなくていい。もうある」

「催事許可、要らないんですか……!」

「催事じゃないからな。緑地課とは、年に一度の合同協議で判子を交換する。向こうも、それなら押せる」

新庄が、ぽつりと言った。

「……黒田さんの書類って、ほんと、ずるいです」

「褒め言葉として受理します」

黒田は組み上がった申請書に、判を押した。

ポン、と。

七夕の夜。

桜ヶ丘第二公園の、封鎖柵のすぐ手前に、一本の大きな笹が立った。住民が持ち寄った短冊が、風に揺れている。屋台の灯り、子どもの声、郷田会長の馬鹿でかい笑い声。ひと月前まで、誰もが底を覗くのを恐れた公園だった。

黒田は書類の束を小脇に、その端に立っていた。隣には、剣を背負ったままの嘱託しょくたく探索員・芹沢ハル。

「公務員が、七夕の警備までやるわけ」ハルが呆れ顔で言った。「あんた、短冊に願うより、まず定時に帰る願いでもしたら」

「これは警備じゃありません。夜間合同点検の、立会業務です」

「屁理屈も、ここまで来ると芸だね」

そのとき、風もないのに、笹の短冊が一斉に、封鎖柵の方へなびいた。

「ダンジョンが、願いを吸ってる!」誰かが叫び、住民がざわついた。

ハルの目が、すっと細くなった。剣に手をかけ、柵の内側の暗がりを見据える。数秒。それから、力を抜いた。

「……巻き込み(まきこみ)の、ごく弱いやつ。空気が奥へ引かれてるだけ。生体は取り込まれない。紙が、そよいでるだけだよ」

「危険は?」

「ない。ただの、迷宮の寝息みたいなもん」

黒田は少し考え、新庄を呼んだ。

「新庄くん。査定メモに一行。『七夕当日、封鎖区域より微弱な気流を確認。危険性なし。短冊の揺動は、これによる自然現象』」

「はい。……で、住民のみなさんには、なんて」

黒田はマイクを取らなかった。代わりに、住民の前に立ち、いつもの生の声で言った。

「皆さん。ご安心ください。ダンジョンは、願いを吸ってなんかいません」

一拍おいて、彼は柵の向こう、短冊がなびく暗がりを指した。

「あれは——皆さんの願いが、天の川へ昇っていくところです」

会場が、しん、となった。それから、どっと沸いた。「役所がうまいこと言いやがった」と郷田が手を叩く。役所が、怪異を、行事の演出として受理した瞬間だった。

祭りが引けたあと。

黒田は、誰もいなくなった笹の前に、一人残っていた。ポケットから、短冊を一枚だけ取り出す。屋台の余りをもらった、しわの寄った一枚だ。

彼は少しだけ迷って、ボールペンで、短く書いた。

『みんなが、ちゃんと帰ってこられますように』

二年前、緑川市で。彼が止められなかった穴に、帰ってこられなかった子がいた。ひと月前、桜ヶ丘で。今度は、帰ってきた子がいた。願いは、そのどちらのためのものでもあった。

笹の一番低い枝に、それを結ぶ。

「あんたも、願い事するんだ」

振り返ると、ハルが立っていた。いつから見ていたのか。黒田は短冊のひもを結び終え、手を離した。

「役所は、住民の願いを受理するのが仕事ですから」黒田は言った。「たまには、自分の分も一枚くらい」

ハルは何も言わなかった。ただ、自分のジャージのポケットから、くしゃくしゃの短冊を一枚取り出すと、無言で、黒田のすぐ隣の枝に結んだ。中身は、見せなかった。

風が、二枚の短冊を、そっと封鎖柵の方へなびかせた。天の川の岸で、年に一度、二つの願いが、同じ方を向いた夜だった。

翌朝。対策課の電話は、また鳴り始める。だが今日のところは、まだ、鳴っていない。


本日の七夕特別受付は、これにて終了いたします。

ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、対策課の短冊として、たしかに受理いたしました。願い事も、苦情も、応援も、すべて承ります。来年の七夕も——担当は、地下二階の第3係まで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ