第8話 青薔薇の執務室
リゼを呼び寄せた後、表向きは何事もなくお茶会は終わり、アルフォンスたちは屋敷の使用人が用意した部屋へと案内され、庭園を後にした。
「あの……お嬢様。実は、お嬢様に呼ばれる前に、当主様から言伝をお預かりしていて……」
「お父様から? ……なら、今すぐ向かうと、先に伝えてくれないかしら」
「は、はい!」
私の記憶では……お茶会の後、お父様から呼び出された覚えはない。
(……なにか、あったのかしら)
今のレクトールと、私の首を落とした彼は違う。
それはわかっている……つもり。けど……アルフォンスは、今もあの頃も、本質は変わっていなかった。
なら、お父様はどうなのだろうか。
私の些細な変化にもすぐに気付いた……あの人だけは、何を考えているのか読めない。
「——お父様。大事なお話があると、リゼから聞きましたけれど、どうか……したのですか?」
記憶通りなら、この時間は執務室にいるはず。
そう思いながらノックをした後、返事を待たずに部屋に入り声をかけた。
「……執務室に入る時は、当主の返事を待ってからにしなさい」
「申し訳ございません。お父様がお呼びになっていると聞いて……気がはやってしまいましたの」
「大人びたと思えば、年相応の幼さを見せたりと……計りかねるな」
「ふふ、どっちだと……思います?」
長机の奥で、悩んでいるかのように額に手を当てたお父様を見ていると、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「人をからかうところは母親に似たか。いや、それとも……娘の成長を素直に喜ぶべきか」
「そこは素直に喜んで欲しいですわね。だって、お茶会も見事にやり遂げましたのよ?」
「……見事に、か。たしかにレクトール殿下をうまく転がしていたな」
「やっぱり、聞いておりましたのね」
「違う。直接聞かずとも、使用人たちの目や耳を通せば自ずと知れる」
お父様が椅子から立ち上がり、長机の上に置かれた、王家の紋章が刻印された封筒を手に取る。
「オフィーリア、今のおまえの意見を聞きたい。リューネベルクの当主として、おまえにこの封筒の中身を確認することを許す」
「……承知しましたわ」
封筒の中には、王家の印が押された羊皮紙と、折り畳まれた添え状が入っていた。
「お父様、これはなにかしら?」
「……見ればわかる」
「えぇ、そうですわね」
静かに頷いて、封筒から取り出した書面に目を通す。
「ずいぶんとまぁ、……ふざけた内容ですわね」
「どうやら、我が国の太陽であらせられる国王陛下は、いささか陽が影っておられるようだ」
「……それで、お父様? 国王陛下の命令に従いますの?」
「グランツェルの月として中立を守ってきたリューネベルクに、双子のいずれかの後ろ盾になれとはな。礼を失しているとは思わないか?」
お父様の言いたいことはわかる。
リューネベルク家は王家の月であり、王権の裏側に咲く青い薔薇。
だからこそ……二人のうちどちらかに肩入れすることも、王位を巡る争いに組み込まれることも、本来なら許されない。
(あの時の私は、愚かにも、それがわかっていなかった……)
王命で後ろ盾になれと言うのは、リューネベルクの立場を軽んじているとは思うけれど、どうして……お父様は、私に相談をするのだろうか。
「……お父様、なぜ私に相談をなさるのですか?」
「わからないか?」
「……はい」
「これはな、オフィーリア。おまえに関わることでもあるのだぞ? 双子の後ろ盾になるということは、遅かれ早かれ、どちらかと婚約を結ぶことになるだろう」
「……婚約」
婚約。
その言葉に、首筋がひやりと冷えた。
(……レクトール)
前の私は、それを望んだ。
あなたの隣に立ち、利用されることを、愛されているのだと信じて疑わなかった。
「だが、先に言っておく。私は今の王家の後ろ盾になる気はない」
「……お父様?」
「リューネベルクの力を借りなければ、王にすらなれない双子のどこに、国を導く器があると……おまえは思う?」
「私は……」
お父様の言葉に、咄嗟に答えようとしたけれど……言葉が詰まる。
ここで私が……無責任にも、アルフォンスを見限るのは早いと言ってしまったら、どうなってしまうのだろうか。
「……わかりません」
「ほう」
「少なくとも、今の私には……どちらが王にふさわしいかどうかを語れるほど、あの方々を知りませんもの」
「まずは双子のことを知るべきだと?」
「えぇ、私は……そう思っておりますわ」
本音を言っていいのなら、レクトールの後ろ盾にはなりたくない。
今はまだ……歪みきっていないのだとしても。
彼の未来を知っている以上、もう二度と、同じ失敗を繰り返したいとは思わない。
「やはり……オフィーリア。おまえに話してみて、良かったのかもしれないな」
「もしかして、私を試していらしたの?」
「そういうわけではない。ただ……そうだな。私のように長く当主の椅子に座っていると、見えるものは増える。だが、逆に見えなくなるものもある。だからこそ……おまえの意見を聞いておくのも必要だと、そう思っただけだ」
「それで? 満足できる答えは……出たのかしら」
「答え……か。出たとは言えないが、指針にはなったな」
指針にはなったと言うけれど、お父様とここまで深い話をしたことは、今までなかった。
こういう時に、以前からもっと話せていたら、何かが変わっていたのかもしれない。
そう思うと、死んで過去に戻れたことさえ、救いだったのかもしれないと感じてしまう。
「……王命への返答は、しばらく引き延ばす。その間に、オフィーリア……おまえの目で双子の太陽を見極めてみろ」
「引き延ばして……王家は黙っているのですか?」
「問題ない。わざわざ……極寒のリューネベルク公爵領を避暑地に選び、私の意思すら聞かずに自らの子を送りつけてくるような王だ。せいぜい……玉座の上で返事を待ち侘びていればいい」
「あら……お父様、随分と意地悪をなさるのね?」
「リューネベルクを軽んじる王に、こちらが義理立てする必要もあるまい」
以前のお父様ならきっと、私に意見を求めることもなく……そのまま、後ろ盾になることを断ったはず。
けど、今回は……思うところはあるはずなのに、私の意思を尊重してくれるのが、嬉しかった。
(……もっと早く、こうなれていたら。私は、お父様を手に掛けずに済んだのよね)
あの頃の私がしたことを……今は後悔している。
それでも、やっと同じ目線に立てた気がして、誇らしく感じるのは、少しは大人になれたからだろうか。
「……それで? オフィーリア。リゼットから聞いたが、おまえはアルフォンスを気に入っているらしいな。いくら顔に出さずに隠そうとも、父には隠せんぞ」
「あら、ずいぶんと……私のことを気にしてくださるのね?」
「当然だ。だが……アルフォンスか。あれは育てば王に至れるかもしれない。だが、兄とは違い、今はまだ王としての才が見えん。選ぶとしても、茨の道だぞ?」
茨の道なのはわかっている。
けど……どちらかと婚約するしか、未来がないのなら私が選ぶのは、アルフォンスの隣に立つ未来がいい。
(リゼット……お父様に、正直に話し過ぎよ)
リゼットに接する時の、優しさや……私の名前を呼ぶときに、たどたどしくても最後まで逃げなかった姿。
私の世界が暗転する前に見せてくれた、彼の勇気に心が揺れないわけがない。
「もちろん、それも含めて見極めさせていただきますわよ? だって……お父様は、私に任せてくれるのでしょう?」
「……そうだったな。つい、少し前までのおまえを思い浮かべて、過保護になりすぎたようだ。許せ」
「許せだなんて、それもお父様の愛なのでしょう? 今は素直に嬉しいですわ」
「今は……か。いいだろう。私はこれ以上は何も言わん。おまえの好きなように選び、好きなようにしろ」
「ふふ……愛しておりますわ。お父様」
表情を少しも変えずに、私を見つめているお父様の手を取り、小さく口づけをする。
瞬間、落ちくぼんだ瞳が大きく見開かれると、何も言わずに背を向け、長机の向こうへと戻ってしまう。
「では、お父様……離れるのは寂しいのですが。私はもう、部屋に戻りますわね?」
「……うむ。今日は色々と疲れたであろうし、ゆっくりと休むがいい」
背を向けたまま顔を見せてくれないお父様へ、小さくドレスの裾をあげて挨拶をする。
そして、静かに扉を開けて廊下に出ると、一日の疲れを癒すために自室へと戻るのだった。




