幕間 君のいない世界
次はいつ彼女に会えるだろうか。
互いに意見をぶつけ合う光景は、他者から見たら険悪な関係に見られてしまうだろうけれど、僕たちにとっては大切な時間だった。
「小侯爵様! ソルライト辺境伯領が……サフィーラ様が!」
そう、従者からサフィーラの訃報が届くまでは——。
「絶対に僕が……サフィーラの仇を取ってやる」
あれ以降、僕の中で甘えが消えた。
どのような状況であれ、相手が誰であろうと……グロリアンサ侯爵家の魔法を使うことをためらうことすら……もうない。
「仇を取ると言ってもルシアン小侯爵様? ソルライト辺境伯家を滅ぼした者が誰か、まだ……見当もついていないのでしょう?」
「……わかっているさ」
僕の目の前で穏やかな笑みを浮かべたオフィーリアが、白々しく語り掛けてくる。
おまえが何を考えて、僕に近づいて来たのかは既に知っている。
もちろん……何をしようとしているのかさえも、だからこそ、骨の髄まで利用するために、今、こうして屋敷の部屋に招いた。
「仮にだけど、オフィーリア。君がソルライト辺境伯領に毒を撒いて、全てを滅ぼすとしたら、どのような手段を取る?」
「……あら、そうですわねぇ。わたくしならぁ……わざわざ、自分が手を下した地域に、支援をしようだなんて、少しも思わないですわ」
「まぁ、そうだろうね」
——嘘だ。
なら、なんで、僕が使用人に用意させたお茶とお菓子に、毒が混ぜられているのか。
オフィーリアは平気そうに口に運んではいるが、何度も話をしているうちに魔法を使って視えている。
おまえは今、僕を殺しに来ているということを。
「……そもそも、あの慈善活動は本当に善意だったのかい?」
「あら、お疑いになられるの? もちろん、あれはわたくしの善意によるものですわ」
認めたくはないが、本当にあの慈善活動は善意によるものだったらしい。
……まさかとは思うが、自らの手で滅ぼしはしたが、必要以上に被害を出さないようにしたかったのだろうか。
「ねぇ、ルシアン小侯爵様? ところで……話してばかりでは、喉が渇きませんこと?」
「気遣いは嬉しいけれど、なんだか……今は口に何も入れたくない気分でね」
「あら、そうですの? それはとても、もったいないですわね」
失礼だとは思うが、彼女は腹芸ができるほど賢くもなければ、そこまで頭が切れるわけでもない。
今……ここでこうしているのもどうせ、オフィーリアを使っている何者かの入れ知恵だろう。
(なるほど、お茶とお菓子に毒を仕込む手伝いをしたのは、我が家の使用人か。……やられたな)
モノクル越しに視える世界で、毒を摂取して倒れた僕を見下しているオフィーリアが、親しげに微笑みながら我が家の使用人に語り掛けている姿が見えている。
とはいえ、まさか……血を一滴、お茶に入れるだけで周囲を汚染する毒だなんて、今まで聞いたこともなければ、目にしたことがなかった。
「どうにもサフィーラがいなくなってからというもの、食事があんまり喉を通らなくてね。だから……悪いとは思うけれど、今日はこれで帰ってもらってもいいかな?」
「あら、これは……急ですわね。でも、いえ、そうですわ、そういうことでしたら後日、レクトール殿下と相談して滋養に効く薬を用意してもらいますわね」
「滋養に効く……か、どうせスコルピナの魔薬だろ? 悪いけど僕は、あの一族が好きじゃないんだ。だから、遠慮させてもらうよ」
なぜ、こんな時だけは裏表のない善意で応えてくるのか。
僕を暗殺したいのなら、もっと……無慈悲で、手段を択ばないほうがいいだろうに。
(普段はどこまでも傲慢なくせに、裏と表の差があり過ぎるせいで、つい……計り知れない人物に見えてしまう)
「……あら、そうですの? けれど、あなたが健康でいないと、サフィーラさんが虹の向こう側で心配してしまいますわ。だから、どうか……無理だけはしないでくださいまし」
「は、はは……肝に銘じておくよ」
「ふふ、そうしてくださいな?」
そう言い残して、部屋から出ていくオフィーリアを見送り、しばらくした後。
小さなベルをならして、彼女に協力した使用人を呼んだ。
「うすうす思ってはいたけれど、レクトール殿……いや、レクトールが黒幕、か」
あの後、使用人の言葉から先を視て、オフィーリアの裏にいる人物が誰なのか、おおよその見当をつけることができた。
「オフィーリアのことをサフィーラの仇だと思っていたけれど、疑いを持ってしまった以上、どうやってアレに近づくか……だね」
グロリアンサ侯爵家は、レクトールに対して忠誠を誓っている。
もちろん、僕も今まではそうだったが、今はもう……違う。
彼を有能な王太子として見ることもできなければ、信用することもできない。
「そうなると、やはり……オフィーリアと交流を深めるしかない、か」
――そう思い、行動を始めてから、長い時が経った。
(……彼女は狂っている)
出会う度に、様々な方法で毒を盛られるのには慣れた。
けれど、オフィーリア……彼女の中には、殺意と隣り合うかのように善意がある。
少しでも体調が悪そうなふりをすれば、たちまちこちらを気遣い、支えになろうとする姿を見ると、もはや……どれが本当の姿なのかすら、わからなくなってしまいそうだ。
「オフィーリアはリューネベルク公爵家の人間として、毒を使うことにためらいがない。けれど、彼女の本質は……表面上は傲慢であれど、自ら花を手折ることすらできない、心優しい令嬢だ」
純粋であるからこそ、平気な顔をして人の命を奪うことができる。
純白であるからこそ、彼女は誰かを思いやる度に、心が傷つき、優しくあることができる。
そんなオフィーリアが歪んでしまったのは、間違いなく……レクトール、おまえの策略なのだろう。
「自身の婚約者ですら、盤面の駒にするだなんて……本物の怪物じゃないか」
けれど、オフィーリアがもし……僕が彼女とやり取りする中で視た、彼女の首が落とされる未来が本当に来てしまうのだとしたら、オフィーリアは……どうなってしまうのだろうか。
(……オフィーリアの見ている夢が壊れ、真実を知った時、彼女はきっと復讐の鬼と化す)
人は純粋であればあるほど、狂気に染まった際の影響は大きい。
それがもし、オフィーリア……彼女がそうなってしまったら、グランツェルが滅ぼされたとしても、違和感がない。
「……ルシアン様、部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ」
考え込んでいるうちに、誰かが部屋の前にいたようで扉越しに声を掛けられた。
まさかとは思うが、ノックの音にすら気付けなかったのかと思うと、かなり集中していたのかもしれない。
「えぇ、それなら入らせて頂きますわね? ルシアン、今日は……あなたにわたくしのレクトールから、招待状を預かって来ましたのよ?」
返事と共に何食わぬ顔で入ってくるオフィーリアを見ると、もはやいつもの光景すぎて、奇妙な友人と接しているかのような親しみすら湧いてくる。
(……やっと来たか)
でも、今回だけは違う。
僕の知っている未来では、彼女は今日、ここでは毒を使わない。
けれど、グロリアンサ侯爵家に止めを刺す死の招待状を持ってくる。
そして、全てを理解したうえで、僕はそれを……受け取る覚悟がある。
「ありがたく招待を受けさせてもらうよ。ところで、今日はどうする? いつものようにお茶でも飲むかい?」
「んー、いえ……遠慮させてもらうわ。だって、今日はその……大事な用がありますの。だから……ね?」
「大事な? あぁ、なるほど、君が以前話してくれた、レクトール殿下とお話をする時間だったね」
「えぇ、そうなの。あの方はとっても忙しくて、最近はあまり顔を見られないけれど、時折こうやって時間を作ってくれますの。ねぇ、ルシアン、本当にお優しい方だと思いませんこと?」
「……そうだね」
君が話している先に視える世界には、僕はもう存在しない。
それどころか、どのような未来を知っても、オフィーリアの首は落とされ、偽物がリューネベルク公爵家を支配する。
どうせ滅びるというのなら、せめて少しでもいいから……この奇妙な友人の未来を変えてしまおう。
(ほんの少しでいい。オフィーリアがレクトールに対して、疑念を抱けば、それが……最大の毒になるはずだ)
——その後も、彼女と他愛のない会話を繰り返してから、招待状にしては常識破りとも言える即日の招待に応じ、現グロリアンサ侯爵と共に王城へと足を踏み入れた。
「……ヤタ様、ここには階段がありますのでどうか足元にご注意ください」
「うるさい、ルシアン……貴様なんぞに気遣われる筋合いはない! 俺の子ではないのに、実の子のふりをするな……汚らわしい」
王城の使用人たちに案内され、レクトールの待つ広間に通されるまでの間、現グロリアンサ侯爵に文句を言われることに耐え続けた。
サフィーラ、君が生きてくれていたら、この暴言すら屋根を叩く雨音程度にしか思わなかったのに、今は……辛い。
「やぁ、待っていたよ。翠天秤のヤタに、グロリアンサ侯爵家の小侯爵ルシアン。食事を我が城の料理人に用意させているから、話しながら食事でもしようじゃないか」
「グランツェル王国の栄えある太陽に挨拶を申し上げます。翠天秤のヤタ、招待に応じ参上いたしました。そして、こやつが……」
「……ルシアンです。貴族学校を卒業して以来ですね。レクトール殿下、お元気でしたか?」
「貴様っ! 礼儀作法を忘れたか!」
「……いや、いい。ここで礼儀作法なんてものは求めていない。ルシアンのように砕けた話し方の方が、今の私は安心するよ」
それ以降、敵意を込めた視線を向けてくるグロリアンサ侯爵を無視して席に着くと、レクトールと食事をしながら会話を始めた。
(……ダメだ。彼の言葉から視える世界は全て、この国が滅びる未来しかない)
「——ということでね。ルシアンが正式にグロリアンサ侯爵を継いだら、君には隣国、エスペライザと交渉をしてもらいたいんだ。ほら……例の死を呼ぶ染料についても、詳しい話を聞けてないからね」
「それはまぁ、構いませんが……。ヤタ様でも、事足りるのではないでしょうか?」
「いや、それはない……ほら、見てみろよ。もはやもうろくを通り越して、老害そのものではないか」
「……レクトール殿下。その言葉遣いはさすがに、ヤタ様に失礼ですよ」
——始まった。
そう思った瞬間、隣に座っていたヤタが、唇をリューネベルクの青い薔薇の色に染め上げ、物言わぬ人形となり椅子から崩れ落ちる。
「ルシアン、おまえがオフィーリアと親密な関係だということは知っているぞ? 残念だったな、アレは私の物だ」
「……彼女は物ではない。たった一人の純粋な心を持った青薔薇の令嬢だ」
「純粋? それくらい知っているとも、だからこそ……私のオフィーリアは、私の愛を疑わないし、何をしても離れはしない」
刹那、レクトールの仮面が外れ、醜い狂い火の太陽が姿を現す。
この異形とも言える本性をもっと早くに知れていたら、未来は……変わっていたのだろうか。
「少なくとも僕は、最愛の女性をそのように……扱わないね」
「あぁ……あの女のことか。死体も残らずに消えたそうなのに、未だに未練でもあるのか?」
「未練……だって? もちろ、ん……ある、ね!」
気力を振り絞って、力の限り抗ってやろうとしたけれど、無理だ。
既に視界が闇に染まって、深淵が満ちている。
呼吸も遠くなり、身体が蝋人形のように冷えていく。
これではまるで……毒に侵されているのではなく、生命という時間そのものを停止させる呪いのようで、止まることが恐ろしい。
「……死んだか。まったく、私とエ——の秘密に近づかなければ、おまえだけは生かしてやったものを、本当に使えない駒だな……無能め。これだから貴様は——」
身体は動かないけれど、意識はあるし耳も聞こえる。
グランツェルの国内外で恐れられ続けているリューネベルクの毒を、この身に受けて理解した。
これは……生きたまま死ぬ残酷な呪い、毒が全身に回り心臓が止まるまでの限られた孤独。
「——っと、死体に罵倒しても意味がないな、オフィーリア! 入って来てくれ!」
「……はい。レクトール殿下、お食事は楽しかったですか?」
「あぁ、楽しかったとも……ほら、現に二人の安らかな死に顔を見てくれ、とても……満たされているように見えるだろう?」
「……本当ですわね。あら? ルシアン、あなた……どうして」
扉が開き、閉まる音と共にオフィーリアの声が近づいて来る。
そして……耳元で——。
『涙を流しているの?』
悲しげに呟く彼女の声がした。
「ねぇ、レクトール様? わたくし……」
「どうしたんだい? 私のオフィーリア」
「ルシアンは……どうして、死ななければならなかったのですか?」
「それは……そう、聞いてくれ、オフィーリア。ルシアンはな、グロリアンサ侯爵家を使って戦争の準備をしようとしていたんだ」
遠くなっていく音の中で、動揺したレクトールの声が聞こえてくる。
「戦争? あら、それはなぜ? サフィーラさんを心の底から愛していたルシアンが、そんな——考えるはずが——ませんわ」
「オフィ——みは、私が信じられな——のか?」
最後までやり取りを聞くことはできなかったけれど、オフィーリアはこの瞬間、たしかにレクトールへの疑念を抱いた。
それと共に、たしかに未来が……いや、過去が変わる。
幼い彼女が足掻いて生きる世界へと。
(……あぁ、君がいなくなってしまった世界にも、意味があったのかもしれない)
オフィーリアの隣で笑うサフィーラを、閉ざされた視界の端に視ると、二度と覚めない眠りへと沈んでいく。
願わくば……滅びの先に救いがあることを信じて——。




