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昏き深淵のオフィーリア~婚約破棄の末に処刑された公爵令嬢は、二度目の人生をやり直す~  作者: 物部 妖狐
第二章 青薔薇と黄昏の少女

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幕間 失われた黄昏の空

 まず、母が死んだ。

 いつものように朝陽が昇り、朝食の席に顔を見せなかったのを不審に思った私が、部屋を訪ねると、眠っているように亡くなっていた。

 けど、生気を失った唇が、青い薔薇のように変色していたのが、今も目から離れない。


 次に、弟が死んだ。

 ソルライト辺境伯家を継ぐ立場として、将来を期待されていたというのに、領内の様子を視察に行った僅かな時間。

 水を口にしただけで、その場で倒れ物言わぬ人形のように固まってしまった。


「ブレイズ辺境伯様、日に日に領民たちの声が大きくなっております。今や……食料や飲み水ですら、安全なのかと」

「……わかっている。だが、生きるためにはよく食べ、よく飲まなければならない」


 弟が死んでからというもの、領内では悪い噂が広がっていた。

 食料を口にしたり、水を飲んだりしたら……たちまち、身体が固まって死んでしまう。

 そんなバカげた話があるわけがないと考え、実際に口に入れた人が……数刻も経たずに死んだ。

 それ以来、誰も領内で育った家畜や野菜を食べなくなり、挙句の果てには井戸の水すら飲まなくなった。

 唯一、定期的に訪れるようになった人物から、慈善活動と称して食事を配られ、何も考えずに受け取っている領民たちを除いて——。


「けど、リューネベルク公爵家のオフィーリア様には助けられておりますな。彼女の活動が無ければ今頃は、ソルライト辺境伯領が滅びていたかもしませぬ」

「……何が助けられているものか。貴様の目は節穴か?」

「で、ですが」

「もういい……下がれ!」

「……承知いたしました」


 ソルライト辺境伯家の中で、最も有能と言われていた臣下も今や、王太子になったあのバカと、オフィーリアに依存してしまっている。

 その意味と危険性すら……知ることもなく。


「サフィーラ……すまない、おまえには情けない姿を見せてしまったな」

「別にいいっすよ。それよりも、今はこの状況を何とかする方法を考えないと……だよね」


 執務室から出ていく臣下を見送った後、父が机に両肘をついて静かにそう呟いた。

 一応、私なりに声を掛けてはみるけれど……どう考えても、この状況は詰んでいる。

 ソルライト辺境伯領から出ていく領民たちが増え、今や……残っているのは、領外に出ていくことができない、この地に愛着を持ってくれている人たちだけ。

 こんな辺境に残らずに、自分たちの幸福を優先すればいいのに……。


「方法と言っても、わかっているだろ? 我が辺境伯家はもう……」

「けど、滅びるとしても、できることはあるはずじゃない?」


 母のように生気を失い、青い薔薇の色が咲いた自身の唇に、父がそっと指を添える。


「……俺の兄も死んだ。妹も、妻や息子も、血縁の者たちがおまえを残して……死んだんだ!」

「だからって、自暴自棄になっちゃ……ダメだよ」

「わかっている。わかってはいるんだ、けどな? 俺は……辺境伯だというのに、領民の命ではなく、おまえを……おまえだけを助ける方法を考えてしまうんだ」

「気持ちは嬉しいけど、うちは……領民たちを捨ててまで生きようとは思えないよ?」


 とはいうけれど、うちも……死ぬことは怖い。

 今や……ソルライト辺境伯家で、毒に侵されていないのは私だけだ。

 そう、父の犠牲のおかげで、そうなった。


「俺とおまえが……あの事実に気づかなければ、ソルライト辺境伯家は、グランツェルの柱は折られないでいられたのだろうか」

「……うちらが気づけなかったとしても、いずれ弟が気づいてレクトールを糾弾しにいってたっすよ。どっちにしろ……滅ぶ運命っす」

「たとえそうだったとしても、もう少し遅ければ、こんなくそったれな未来にはならなかったと思ってしまうんだよ」


 私と父は知っている。

 この毒が……オフィーリア、いや……リューネベルク公爵家の秘密であることを。


(……全てを知った時にはもう遅すぎたんすよねぇ)


 ソルライト辺境伯家の現当主だけが正しい使用方法を知る秘儀。

 自身の命と引き換えに、国を救うために一つの未来を手繰り寄せる力。

 燃え尽きずに辛うじて残された時間を、父は……私を救うために使い、この悲劇の理由も教えてくれた。


「もちろん、うちが生き残らなければいけない理由も納得はいってるっすよ? この数年後に、オフィーリアの偽物になった――と、レクトールのバカが、あの女の首を落として、反抗しようとしていたアルフォンスが、暴れに暴れて会場をめちゃくちゃにした挙句、何故か自分から、王家の魔法を使って死ぬんだよね?」

「自死とはいえ……表面上では、処刑されたことになるが、これも全て、俺たちがレクトールの企みに気づいて、阻止しようとしたのが原因だ」

「けど、気づいてしまった以上、動くしかなかったよね? だってうち……いや、私たちは」

「「グランツェルの辺境を守る黄昏の刃、ソルライト辺境伯家なのだから」」


 けど、この……ソルライト辺境伯家が掲げる信念も、グランツェルの五大貴族として課された役割も、儚い泡沫の夢へと消える。

 そう……ただ一人、残された娘である私を残して――。


「サフィーラ、おまえのやるべきことはわかって……いるな?」

「……他国の有力貴族の元へと嫁ぎ、勢力を集めた後、王太子レクトールと偽物の王女を討つことだよね?」

「そうだ。おまえには……グロリアンサ侯爵家の神童、ルシアン小侯爵と幸せになってもらいたかったが、今はもう……それすら許してやることができない。愚かな父を許してくれ」

「別にいいっすよ。ルシアンは……うちがいないと、なぁんにもできない情けない男だけど、あれはあれで覚悟さえ決まれば、一皮も二皮も剥けて、立派な人になるはずだからね。……だから、背中を押してやるために、離れた方がいいん……すよ」

「……すまない」


 あと少ししたら、ソルライト辺境伯領の港から離れた岸辺に、父が用意してくれた密航船が着く。

 そうしたら……今まで、ここで過ごしてきた思い出が全て失われてしまう。


(……最後までさ。あんたの隣にいたかったけど、ごめんね。)


 初めて出会って喧嘩をしてしまったことを、まだルシアンに謝れていない。

 領内で顔を合わせるたびに、互いに意見をぶつけ合った日々を忘れられるわけがない。

 ずっと、これからも……本当にずっと、当たり前のように隣にいると、いられると思っていたものが、崩れてしまったことが悔しくて……辛くて、気を抜くと心が折れて、二度と立てなくなってしまいそうで、怖い。


「サフィーラ、もうすぐ行かないと……船に間に合わなくなる。心苦しいが……後は頼んだぞ」

「……わかった」

「おまえが嫁ぐ相手は、俺が責任をもって選んだ。だから……慣れない地で大変だと思うが、どうか……どうか、幸せであってくれ」

「まったく、わがままな父親っすね。王太子を討てと言ったり、幸せになれと言い出したり……まぁ、はい。生きてる限りは精一杯、幸せになってあげるから、安心してさ、虹の向こう側で見守っててよ」


 涙が浮かび、泣き崩れそうな顔を見せないために父に背を向け、執務室の壁へと近づくと、力強く押して隠し扉を開ける。

 そして……二度と振り返らずに、ソルライト辺境伯家の人間だった証と必要な荷物を持って、国を後にした。


「――あれから、何年たったのかな」


 グランツェルを離れて暫くしてから、五大貴族が滅びたことを風の噂で聞いた。

 それから数年後、父の手繰り寄せた未来をなぞるように、リューネベルク公爵家のオフィーリアが偽物として首を落とされ、アルフォンスも処刑された。


「今更、私がグランツェルに戻っても、もう……あそこには何もない。レクトールのバカを討っても、失ったものは返ってきてはくれないんだよね」


 遠く離れた国で、父と懇意にしてくれていた上級貴族の元へと嫁入りし、長い時を過ごすうちに、子宝にも恵まれた。


「あの子たちを残して、王家の血筋としてグランツェルに骨を埋める覚悟は、もう……私にはない、かな。お父さん……ごめんね?」


 父親に託された願いを裏切る、酷い娘だと思う。

 けど、私も親になったからわかる……子を思う気持ちも、失いたくないと願う思いも、だから……ごめんなさい。


「母上……今日も、テラスから海を眺めているのですね。やっぱり……故郷が懐かしいのですか?」

「いや、そうじゃないの。ただ……そう、この屋敷は海が良く見えるでしょ? だから、波の向こう側に置いてきてしまった思い出を眺めていたの」


 ふいに、後ろから声をかけられて振り向いた先に、末の娘を腕に抱いた、愛しい一番上の息子の姿が映る。


「……まったく、言葉を変えても意味は同じじゃないですか。ほら、早く父上のところにいきましょう? 今日は家族皆で、朝食を取る日なんですからね」

「人の揚げ足を取るなんて、ひっどいっすねぇ。けど……生きるためにはよく食べ、よく飲まなければならない、これ格言だよ?」

「……格言、なんですかね。でも、いい言葉だと思います」


 息子から娘を受け取り、まだ据わっていない首を支えるように両腕で優しく抱くと、夫の待つ食堂へと足を進める。


 ――私はもう、あの国には帰らない。

 だからこの感情や思い出も全て、波間に沈めてしまおう。

 父のもう一つの願いを叶えるためにグランツェルを捨て、遠い遠い波の国のサフィーラとして、幸せになるのもいいと思えてしまったのだから……。

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