第30話 これからの私たちと、懐かしいあなたへ
しばらくして、体調が良くなってきてから、リゼと二人で前庭へと足を運んだ。
いつも通りによく手入れがされた木や花を見ても、特に何かしら……目新しいものはなく――。
「ほら、見てくださいお嬢様! 花が沢山咲いてますよ?」
「……そうね?」
リゼだけは、楽しそうにしているけれど……私にはこの光景に対して、どのような反応をすればいいのか、わからないでいる。
「ほら、こっちに来て一緒に見てくださいよ」
「しょうがないわね。それで……何があるの?」
彼女に近づいて、咲いた花に目を向けると、小さな虫が花の蜜を求めて飛んでいるのが見えた。
「あ、あなた……これ」
「はい、虫ですよ? 凄いですよねぇ。こんなに小さいのに一生懸命で、よく見ると見た目もって……あれ、もしかしてお嬢様? こういうの苦手ですか?」
「……そ、そうよ? ほら、足が沢山あるし、目もどこを見ているかわからなくて……怖いじゃない」
「意外ですねぇ。お嬢様には怖いものがないと思ってました」
「私にだって、怖いものくらいあるわよ」
リゼのように、何にでも興味を持てるのなら、昆虫だって怖くないのかもしれない。
「あぁ……リューネベルク公爵領には、虫なんていませんからねぇ」
「そうよ? 今まで間近に見たことのない生き物に対して、警戒しない方が無理があると思わない?」
リューネベルク公爵領のような過酷な地域では、昆虫のような小さな生命が命を繋ぐことができない。
そのせいで、以前の人生でも……遠目で見ることはあっても、身近な存在として見ることがなかった。
「なのに……なんでリゼは、虫が怖くないの?」
「んー、一般的な女の子としては怖がるべきなのかなぁとは思うんですけど、それよりも好奇心が勝っちゃうんですよね」
「好奇心……ね」
「ほら、よく見ると虫の羽って透き通っていて綺麗じゃないですか。目もどこを見てるのかわからなくて、なんだかかわいいなぁって」
「悪いけど、そのかわいいって気持ちを理解してあげられそうにないわ」
グランツェル内でも、麦と昆虫を紋章にした貴族はいるけれど、リゼの言うように私は綺麗とは思えないし、かわいいと思うことができない。
「なら、そうですねぇ。この前庭のお手入れって誰がしてると思います?」
「それは……庭師を雇っているのだと思うけれど、違うの?」
「合ってはいますけど、なんと……今の庭師のお孫さんらしいですよ? なんでも、庭師見習いの子らしくって、お嬢様よりも小さい子なのに、すっごい手先が器用なんだとか」
「あら、それは凄いわね。今度、時間を見つけてその仕事を見せてもらおうかしら」
リューネベルク公爵家の庭師となると、庶民の出でありながら、唯一青薔薇の栽培が許された一族ということ。
それも……領主に信頼されていないとなれない、家門の中でも特別な存在。
(その中で、庭師見習いに選ばれるということは、よほど……いい才能を持っているのかもしれないわね)
とはいえ、王都の屋敷に見習いの庭師がいるということ自体、今まで聞いたことがなかった。
いったいいつ、どのタイミングでここに来たのかも、私は知らない。
リューネベルクの一族だというのに……。
「……お嬢様?」
「あぁ、いえ……大丈夫、大丈夫よ」
ただ……気づいてしまった。
以前の人生で、私がなぜ青薔薇の毒を維持できていたのかを、当時はレクトールの管理下にいても、当然のことだと思っていたけれど、違う。
リューネベルク公爵家に、彼の駒となった人がいたらどうだろうか。
例えばそう、それがまだ幼い子供だったら?
「大丈夫ならいいですけど、何か気になることでもできました?」
「そうね。少しだけだけれど、その……庭師見習いのことが気になるわね」
以前も考えたように、レクトールがリューネベルク公爵家の秘密をあの時も知っていたのなら、あの頃の全てが盤面の上だったということになる。
(なら、今度はレクトールの駒を先に私が確保してしまえば?)
けれど、あの時の全てが嘘だったとは、私は今も……そう思うことができない。
でも、誰かが……彼に火種を持ち込んだのだとしたら? そう、五大貴族を滅ぼし、リューネベルク公爵家すらも欲するほどの何かがあったとしたなら――。
「できれば一度、その子とゆっくりお話をしてみたいわね。……リゼ、予定を組むことはできる?」
「……できるとは思いますが。庭師見習いの子は私と同じ庶民ですから、お嬢様の都合に合わせてくれますよ?」
「確かにそうかもしれないけれど、それはだめよ? リゼは私の専属だから、優先してくれるのは嬉しいけれど、庭師見習いの子は違うでしょう? 私のわがままで、いたずらに振り回すのは良くないわ」
とはいえ、理由はどうであれ、火種に自ら薪をくべたのはレクトールだ。
お父様を殺させ……私の偽物と共に、最期には私の首を落とした。
理由はどうであれ、そう選択した罪は……深淵の底よりも深い。
「んー、ならそうですね。お嬢様の月籠りが終わって、青薔薇の毒に対する耐性が戻ってからにするのはどうですか?」
「……そうね。どうせ月籠りの間は、リューネベルク公爵家の秘密を守るために、部屋から出られないもの……その方がいいわね」
「はい、それに……もう、だいぶ髪の色も変わって来てしまってますから、貴族学校の寮で始まらなくて良かったです」
リゼの言うように、アルフォンスやサフィー、ルシアンの前で髪の色が変わりだしていたら、どうなってしまうのだろう。
アルフォンスはたぶん、私の身を気遣ってくれるだろうし、サフィーは何も言わずに受け入れてくれるかもしれないけれど、ルシアンには見せるわけにはいかない。
彼の危うい立ち位置を、更に危険なものにしてしまう。
「えぇ、リューネベルク公爵家の人間である以上、寮にはずっと滞在することはできないもの」
けれど、以前の私は……王都の屋敷には戻らずに、ずっと寮で過ごしていた。
今の自分の言葉と、あの頃の生活との矛盾を感じて、思わず……おかしくなり、自嘲交じりの笑みが浮かぶ。
「そうですね。んー、でも、入学してすぐ一週間ほど休学してしまうのは、アルフォンス殿下たちが心配してしまうとは思いますが、こればっかりは……」
「……しょうがないわよ。リューネベルク公爵家に生まれた以上、避けられないことだもの」
――私はもう気づいてしまった。
あの頃の生活が全てレクトールに支配されていたことも、彼がなぜ、寮で生活する私のために青薔薇の毒さえ用意してくれたのかも、わかってしまった。
けど……一つだけ、わからないことがある。
(いったい誰が……あの頃、私のために青薔薇の紅茶を淹れてくれていたのかしら)
もしかしたらその人も、駒として扱われていることすら、知らずにいたのかもしれない。
なら、早いうちに見つけてあげれば、被害に遭わずにいられるのかもと、姿を思い出そうとしても、姿がかすんで見えるだけだった。
「さて、お嬢様、そろそろお部屋に戻りますよ? 月籠りが始まってしまう前にしっかりと準備をしないとですからね」
「……そうね。頼りにしてるわよ? 私のリゼお姉ちゃん?」
「えぇ、オフィーリアちゃんのために頑張っちゃいますよ?」
けど、今はもう……大丈夫。
私にはリゼがいるし、頼れる人たちもいるのだから……それに、私はもう間違えない。
自分で選択し、変わり始めた未来で、これから先……何が起きるかはわからない。
けれど……この先にある可能性を信じて、私にできることをやればいいのだから。
「……ふふ」
そう思った刹那。
背中を押すように、どこか……懐かしくも優しい。
私をこの時に戻してくれた彼が、風と共に……そっと、背中を押してくれた気がした。




