第29話 月籠りの前に
いつ眠りについたのだろうか。
「あ、お嬢様、起きました?」
そしてリゼはいつから、ここにいたのだろうか。
陽の光に照らされて、眩しさのあまり薄目を開けた視界の隅に、私の手を両手で包み込んでいる彼女の姿がある。
「リゼ、何をしているの?」
「何をって、うなされてるご様子でしたので、安心できるように手を握ってただけですよ?」
「握っていたって……そう、またうなされていたのね」
最近は落ち着いてきたとは思っていたけれど、また以前の人生を夢に見てうなされていたのかもしれない。
リューネベルク公爵領にいた時は、何度か……それで目を覚ましたりはした。
けれど、リゼがそのことに気づいてからは、夜間に私が眠れているか確認しに来ては、うなされているのを見るたびに、朝までこうして手を握っていてくれている。
「リゼ、いつからそこにいてくれたの?」
「んー、そうですねぇ。大体時計の針が夜の十二時を指した時からだと思います」
「それって、あなた全然眠れていないじゃない。大丈夫なの?」
「はい、大丈夫ですよ? リューネベルク公爵家に仕えている以上、一日や二日くらいなら寝なくても大丈夫なので、どーんと来いって感じです……まぁ、三日目はさすがに無理ですけどね」
そう言いながら微笑みを浮かべるリゼに、心の中でお礼を言いながらベッドから身体を起こす。
「ところでお嬢様、今日はどうしますか?」
「……そうね。確か今日貴族学校は休みだったはずだし、ゆっくりしようかしら」
「でしたら、青薔薇の紅茶を急いでご用意するので、少しだけ待っていてくださいね? 辛いことはさっさとすませて、後は休んじゃいましょう」
「ふふ、そうね」
とはいえ、休むといってもこういう時、どうすればいいのかわからない。
リューネベルク公爵領の屋敷では、中庭にある青薔薇の庭園を散歩して気を紛らわすことができた。
けれど、王都では――。
「んー、今日は良い天気ですから、お屋敷の前庭を見て回りますか?」
「……見て回るっていっても、特に何もないと思うわよ?」
「何もないから見に行くんですよ」
「ちょっと……いえ、だいぶ意味がわからないわね」
「もう、普段気にしていない場所ほど、改めて見てみると新しい発見があったりして、楽しいんですよ?」
話をしているうちに、リゼが慣れた手つきで室内のティーポットを手にすると、青薔薇の花弁が浮かんだ紅茶を淹れてくれる。
そして化粧箱の中から、魔封じの首輪を取り出すと、私の後ろに回って……。
「……本当に着けます?」
「えぇ、必要なことだもの」
「必要なことだって言われても、やっぱり……心配はしますよ?」
心配してもらえるのは嬉しいけれど、私には……この首輪が必要だ。
王都にいながら青薔薇の毒への耐性を落とさないためにも、そして……レクトールに対抗するためにも、なければならない。
そう思いながら、首に着けられた首輪に触れる。
「それにもう少ししたら、月籠りじゃない? 今のうちに準備をしておかないと……大変だもの」
「……はい」
多くの花弁が浮かんだ紅茶を口へと運ぶ。
瞬間、身体が氷のように冷えていき、心臓から全身へと刺すような痛みが襲う。
額に浮かんだ汗がベッドのシーツに落ちて、小さな染みを作っていく。
「……もしかしたら、リューネベルク公爵領にいなくても私の耐性をもう一段階、そう、八枚目に到達できるかもしれないわね」
と強がって見せてはいるけれど、本当は……紅茶が口に入るたびに、命が削られていくような感覚に襲われる。
少しでも気を抜けば、今すぐにでも意識を手放して、二度と覚めない氷の眠りへと落ちてしまうかもしれない。
「……お嬢様、やっぱりダメです。そんなに無理をしないでください」
「ありが……とう。でも、大丈夫、もうだいぶ楽になってきたもの」
――嘘。
紅茶を飲み干し、徐々に冷めつつあるティーカップのふちから零れた、僅かな言葉の毒。
「……そう、ですね。でしたら、すぐに片付けてしまうので、お嬢様は少しだけ横になっていてください」
「えぇ、そうするわ。リゼ……いつもありがとう」
「お礼なんていいんですよ? あぁ……けど、そうですねぇ。できればリゼお姉ちゃんは、無理して強がるのを見るよりも、辛いときは辛いって言葉にしてほしいなぁ。ほら、その方がお礼よりも私は嬉しいですし?」
「そう、ね。頑張って……みるわ」
魔封じの首輪を外してもらい、手に持っているティーカップをリゼへと預けると、再びベッドの上に横になる。
(わかってはいたけれど、僅かな嘘ですら……リゼには隠せないのよね)
それだけ、私のことを見てくれているのだろうけれど、嬉しい反面……申し訳ない気持ちになる。
「……アルフォンス殿下も言ってたじゃないですか。お嬢様は一人で抱え込み過ぎてしまうところがあるって、だから……んー、その重荷を全部は無理ですけど、少しだけ預けてくれてもいいんですよ?」
「……うん」
「ふふ、オフィーリアちゃんにしてはやけに素直ですね。もしかして……リゼお姉ちゃんに甘えたくなっちゃいました?」
「えっと、その……ダメ?」
でも、今は……そんな気持ち以上に、リゼに甘えてしまいたい。
この思いが彼女に対する依存だとしても、この時だけは精一杯、わがままを口にして、困らせてしまいたい。
「もう、しょうがないですねぇ。紅茶のセットを片付けたら体調が良くなるまで、頭を撫でながら、ゆっくりお話ししましょう? それまで……いい子にできますか?」
「えぇ、大丈夫、だって……リゼの頼みだもの。あ……ところで、リゼ?」
「……ん? オフィーリアちゃん、どうしたの?」
「その、聞きづらいのだけれど、どうして……アルフォンスが私に囁いた言葉を知っているの?」
困らせてしまうのなら、答えはわかっているけれど……あえて聞いてしまおう。
「ま、まぁ……それくらい、別にいいじゃないですか」
「あら、酷いわ……さっきは重荷を少しだけ預けてくれてもいいって、言ってくれたのに嘘だったのね?」
「もう、それとこれとは別ですよ? まったく、悪知恵の働くオフィーリアちゃんには、後でお仕置きです」
「お仕置き? ふふ、それなら受けて立つわ。だって私はリューネベルク公爵家の令嬢だもの、どーんと来なさい」
「ちょ、ちょっと……いくらなんでも、私の言葉を真似るのは、はしたないですよ!?」
室内に響くリゼの大きな声に、思わず口元を押さえて笑みをこぼす。
できれば、こんな楽しい日々が……毎日続けばいいのにと、月籠りが近づき。
銀色の髪が光を失い、群青の夜空に染まりつつあるのを眺めるのだった。




