第28話 夜闇の窓辺
外から王都の屋敷に戻ってきたのはいいけれど、思った以上に……足が痛い。
湯浴みを済ませ、自室で青薔薇の花弁を浮かべた紅茶を飲んだ後、一人……静かな部屋で物思いに耽る。
(……今回は、レクトールの方が上手だったわね)
王都で流されていた噂だけじゃない、入学式が行われた広間での演説。
そして……五大貴族への介入もそうだ。
「……結果的にグロリアンサ侯爵家のルシアンが、こちら側についてくれたけれど、厄介なことになったわね」
スコルピナ子爵家のユフィールは、私の予想が間違っていないのなら……リューネベルク公爵家の秘密に近づいている可能性がある。
どこまでかはわからないけれど、そうでなければ、あの時、私に接触する危険を冒すわけがない。
「ユフィールの情報源を辿るなら、大本はレクトールかもしれないわね」
これは妄想の域を出ない。
仮にそうだったとしても……今の私にできることはない。
現状ではどこまで行っても後手に回ってしまう。
もちろん、敗北を認めるわけではない。
けれど……死に戻る前の人生で記憶に刻み込まれたレクトールが、心の中で——。
「オフィーリア、今回は……私の勝ちだ」
と囁いている。
今回は……私の負けだと認めることになったとしても、それでも得たものはある。
サフィーラとの縁に、二重間者という危険な役割を担ってくれるルシアン。
この二人とつながることができたのは大きい。
(……盤上の駒として扱う気はないけれど、これではまるで駒の取り合いね)
とはいえ、レクトール側にいるのはユフィールだけと見たほうがいいのか。
それとも……広間の演説で集まった、彼の支持者を入れるべきか。
考えれば考えるほど、深い沼に沈んでしまいそう。
「あとは、ナイトロード侯爵家のラインハルザに、フロライト伯爵家のクラリッサ……ね」
クラリッサは、死の緑をきっかけにこちら側に来てくれるかもしれない。
けれど……ラインハルザだけは、どんなに考えても不確定要素が大きい気がする。
「……王家の人間に忠誠を誓っている以上、下手にこちら側に引き入れてしまえば、情報がレクトールにも伝わってしまうかもしれないわね」
本人の気持ちとしてはアルフォンス側でありたいのだろうけれど、実際の立場は……どちらでもない。
いや、ラインハルザはどちらであってはならない。
片方に傾いてしまったら、ナイトロード侯爵家としての役割に矛盾が生じてしまう。
「……それに現状、王位継承権を持っていたとしても、立場的に王位を継ぐと宣言しているのはレクトールだけ」
なら、他の王家の人間はどうだろうか。
名前を覚えていないけれど、レクトールとアルフォンスの下には第三王子と第一王女がいる。
(……第三王子のほうは、私の記憶が確かなら知見を広げるために国外に出てしまい、グランツェルの王位を継ぐような意思はない)
第一王女に限っては、貴族学校に入ることすらなく、他国に嫁いでしまったせいで……顔すら見たことがない。
そう思うとやはり、一番の障害はレクトールだけになる。
「……そうなると、ラインハルザが最優先に守るのはレクトールだけになるわね」
なら、アルフォンスが正式に王位を継ぐと宣言したら、どうなるだろうか。
ラインハルザの立ち位置は、どちらに傾くのか……現状で最も有利な方? それとも、個人的な感情を優先するのか。
「こんなに悩むくらいなら、以前の人生でラインハルザのことをもっと……調べておくべきだったわね」
そもそも、ラインハルザが従順なレクトールの駒だったら、いや……ナイトロード侯爵家が障害にならなかったら、私に滅ぼせと言わなかったはず。
その理由さえわかれば、打てる手はあるのではないだろうか。
「となると、やっぱりリゼットに頑張ってもらうしか……ないのかしら」
椅子から立ち上がると、陽が落ち、夜闇に染まった世界を背に、窓のガラスに映った自分の姿を見る。
薔薇色の瞳が室内の明かりを吸って怪しく光る中、まるで人形のように整った容姿。
(……窓に映る姿は、精巧に作られたお人形のよう)
以前の私なら、この頃には背も高く、容姿も年齢の割には大人びていた。
けれど……今は年相応、いや、それよりも幼く、できることも限られている。
「身体の成長が止まってしまったように見える私が、ラインハルザに近づいたところで……容姿のせいで、まともに相手をしてはもらえないでしょうね」
私は公爵家の令嬢で、ラインハルザは侯爵家の小侯爵。
家格の差を利用してしまえば、無理やりにでも言うことを聞かせることはできるかもしれない、けど……。
「いえ、でも、ラインハルザは自ら名乗って、私の名前を尋ねたり……普通に会話してくれたわよね」
これは私の考えすぎかもしれない。
まるで……自分の容姿を理由に、リゼットを駒として使おうとしているようで、自分が嫌になる。
「……あ」
気が付いたら視線の先に映る私が、無意識のうちに左手の人差し指を噛んでいた。
白い指先が赤くなってしまっているあたり、ルシアンに指摘されたように癖になってしまっているのかもしれない。
「これじゃ、またアルフォンスに心配されてしまうわね」
こういう時、自分の中で悩まずに誰かにすべてを打ち明けることができたら、どんなに気が楽だろうか。
少しでも……誰かに頼ることができるなら、この悩みは消えるのだろうか。
そんなことを考えても、まだ……今の私には答えを出せそうにない。
(リゼはきっと、私が頼んだら……喜んでラインハルザに近づいてしまうでしょうね)
甘えるのと頼るのは違う。
これではまるで……リゼに依存してしまっているようなものだ。
「だって……相手に依存するのと、好意を抱くのは違うのだもの」
私はそのことを、レクトールを通して知ってしまったのだから。
誰に答えを求めるわけでもなく、ただ……私の小さな言葉が部屋に響く。
そして……窓から離れ、ベッドの上に腰かけると、枕を抱いて身体を横に倒した。




