第6話 青薔薇の庭園
「お嬢様!」
中庭に広がる青薔薇の庭園へ足を踏み入れた途端、こちらへ駆け寄ってくる彼女の姿に、思わず立ち止まる。
「オフィーリア嬢、彼女は誰だい?」
「……彼女は」
レクトールの目にだけは、入れたくなかったのに。
どうして、ここにリゼがいるのか。
「あ、もしかして、この人が……お茶会の準備をしてくれる人かな」
「……ええ、そうですわ。アルフォンス殿下、よく気付かれましたわね」
「あ、は……はい! 執事長からお茶会の準備をするようにと言われまして……是非にと、立候補させていただきました。ローゼンヴァルトのリゼット、と申します」
「なるほど、君は領都出身か。可愛らしいメイドさん、私たちが庭園を巡っている間に、準備をお願いしていいかい?」
アルフォンスのおかげで、リゼをレクトールの視線から外すことができた。
「はい! あの、オフィーリアお嬢様? その……お二方とお手を繋いでいらっしゃるなんて、随分と仲が良くなられたのですね?」
「……そう思うかい? なら、君は私とアルフォンス、どちらがオフィーリア嬢とお似合いだと感じるかな」
「え、えぇっと……私は——」
「レクトール殿下、リューネベルク公爵家の使用人を、あまりいじめないでくださりませんこと?」
「いじめているつもりはなかったんだけどね。ただ……彼女の目に、私たちがどう映ったのか、少し気になっただけだよ」
嘘だ。
あなたはそうやって、相手の内側に入り込み……少しずつ侵食していく。
「兄上、それは——」
「確か……君は、リゼットだったね。不快な思いをさせてしまったなら、大変申し訳ない。どうか許してもらえないだろうか」
「不快だなんて……えっと、とっても可愛らしくて素敵だと思います。下町の子たちを思い出して、微笑ましいです」
「君は……変わった人だね。オフィーリア嬢、リューネベルク公爵家は個性を重んじる、素晴らしい環境のようだ。私は心の底から感心したよ」
「……そうね」
リゼへの興味を失ったように、レクトールが私から手を離すと、庭園の奥へと一人で歩いていく。
「兄上、お一人で勝手なことは……俺も一緒に行きます!」
「アルフォンス、君はリゼットと仲良く話をしておいてくれないかな。私はこの青い薔薇をオフィーリア嬢と二人で、ゆっくりと眺めていたい気分でね」
「……あら? 私は一度もあなたと二人きりで薔薇を見たいなんて、言っていないわよ?」
「君は、私たちの案内をリューネベルク公爵から任されているのではなかったかい?」
「そうね。けれど私は、アルフォンス殿下とも一緒に回りたいもの。レクトール殿下は……嫌なのかしら?」
レクトールは困ったように、口元だけで笑みを浮かべると……青い薔薇へと手を伸ばして触れる。
(……随分と余裕がなさそうね。これではまるで、本当に子供みたいだわ)
これがリューネベルクの青い薔薇なら、触れる前に止めるべきだろう。
「噂以上に、とてもいい香りだね」
「……褒めてもらえるのは嬉しいけど、次からは勝手なことはしないでくださらないかしら?」
「おや、青い薔薇に触れることすら、オフィーリア嬢は許してくれないのかな?」
「それは違うわね。せっかく庭師が整えてくれた青薔薇の庭園よ? 我が家の使用人たちの努力を無駄にしたくないもの」
「……それは、申し訳ないことをしたね。謝罪させてほしい」
庭園の青い薔薇は、毒を持たないよう改良された観賞用の品種だ。
リューネベルクを象徴する毒を宿した青い薔薇は、屋敷の地下で栽培されている。
そこに足を踏み入れることが許されるのは、現領主と、私を含めた……限られた者たちだけ。
「……今回だけは特別に許してあげるわ」
「寛大な心に感謝いたします」
レクトールは胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「はわぁ……本物の王子さまって、一挙手一投足まで優雅なんですねぇ」
「君はもう少し、いや……オフィーリア嬢。リゼットにはお茶会の準備に集中してもらった方がいいんじゃないかな?」
私はわざとらしく首を傾げ、口元に指を添えるとアルフォンスへと視線を向ける。
「どこか……不快に思うところでもあったのかしら? アルフォンス殿下は、どう?」
「わ、私ですか? あぁ……えっと、俺からしたら、ちょうどいい距離感なので、いいと思う、かな」
「でしょう? けど、そうね。リゼット、いつまでもお喋りをしてないで、お茶会の準備をしてくださらない? もちろん、王家のご子息方が満足できるように……頼んだわよ?」
「は、はい! お嬢様……お任せくださいっ!」
リゼはぺこりと頭を下げると、少し離れた場所に用意された白いクロスのテーブルへ、小走りで向かっていく。
「感謝するよ、オフィーリア嬢。ところで……この庭園は実に素晴らしいね。外だというのに、とても暖かくて、心が安らぐよ」
「……そう? お父様が聞いたら喜ぶわね。リューネベルクが誇る魔法だもの」
「本当にすごいよ。過酷な領地を治めるために、領内の村や街にも……リューネベルク公爵様が、貴重な魔法の恩恵が行き届くようにしてくれてるらしいし。俺、ここに来る前にちょっとだけ調べたけど、尊敬できる人だよね」
骸公爵として他領から恐れられている人だからこそ、お父様を尊敬してもらえるのは……胸が少しだけ、温かくなる。
「君の父上は実に優れた方だと、私も心からそう感じて、尊敬しているよ」
その言葉が、たとえレクトールからであったとしても、お父様を恐れずに見てくれていたことだけは……嬉しかった。
(この時のあなたは、お父様を恐れずに見てくれていたのね)
もしかしたら……当時の私は、そんなあなたの姿にも惹かれたのかもしれない。
けど、今は……無邪気な笑みを浮かべながら、お父様に尊敬の眼差しを向けるアルフォンスの姿に、安心している自分がいる。
「俺もさ。王都では恐ろしい人だって、父上から聞いていたけど……ちゃんと知りたいって、思っていろんな人に聞いたんだ」
「アルフォンス。なんでも素直に言うのは、王家としての品格に関わると……この前、言ったはずだよ?」
「ご、ごめん、兄上。けど……こういう言葉しか、俺、思いつかなくてさ」
レクトールの言っていることは、たしかに正しい。
けど、綺麗に整えられすぎた言葉ほど、今の私には遠く感じる。
アルフォンスの言葉は、危なっかしいけれど……安心できて、嫌ではない。
不器用ながらも、一生懸命な姿を不快に思うことなどないのだから。
「そうかしら? 私は……綺麗に着飾った言葉よりも、思ったままの言葉の方が、ずっと安心できるし、素敵だと思うわよ?」
「……つまり、アルフォンスのようになれば、私のことを見てくれるのですか?」
「ふふ、さぁ、どうかしらね? けど、そうねぇ……レクトール殿下は、本心を隠すのがお上手みたいですから、素直になるのはいいかもしれなくてよ?」
レクトールの微笑みが、ほんのわずかに固まった。
何かを言い返そうとしたように見えたけれど、先に声を上げたのは、彼ではなかった。
アルフォンスが兄をかばうように私たちの間へ入ると、両手を広げて必死な顔で私を見上げる。
「オフィーリア嬢、兄上のことをよく知らずに、そんなことを言わないでくだ……ください!」
「……え?」
「兄上は、剣を持つことしか才能がない俺とは違って、頭がいいし、それに……双子だからって、なにかと周りから比べられて、大変だけど、本当は優しいんだ」
「……アルフォンス。黙れ」
「けど、兄上!」
二人のあいだに、そんな歪みがあるだなんて……知らなかった。
いや、違う。
過去の私は、気付いていても……知らなかったフリをしていただけだ。
「黙れと言っているんだ! 僕は、君のその誰にでも寄り添う姿を見ていると……僕は……いや、なんでもない。オフィーリア嬢、気にしないでくれ」
「あ……ご、ごめん。兄上」
「いや、私こそ……急に声を荒げてすまなかった」
その先の言葉を、レクトールは飲み込んで、再び綺麗な言葉で蓋をした。
けど、何故だか……その続きが、私にはわかった気がした。
(どうして今のあなたが、あの未来で……あんな人になってしまったのかしらね)
もしかしたら、今のあなたならまだ、道を踏み外さずにいられたのかもしれない。
けど、私はもう……あなたを選びたくはない。
「……えぇ。お気になさらないでくださいませ」
だから私は、ただ微笑んだ。
「ありがとう。オフィーリア嬢……その、君さえよかったら、私たちを殿下ではなく、名前で呼んでもらえないかな。さっきのお詫び、ということにして……君だけ特別に」
「えぇ、それならありがたく。アルフォンス様、レクトール様。……私のことも、オフィーリアと呼んでいただけるかしら?」
「わかったよ、オフィーリア。さっきは酷いことを言ってごめん。これからは……俺たち、友達になれるかな」
「えぇ、アルフォンス様。私としても歓迎いたしますわ」
あの時とは違い、この瞳には二人の姿が映っている。
私が選ぶべき道は、もう心の中で決まっているけど、今は難しいことを考えるのはやめよう。
この場を和ませようとしてくれたアルフォンスのために、ひと時であれど、今だけはレクトールへの恨みを脇に置いてもいいと、そう思った。




