第24話 理解者の指先
レクトールがもっとも欲しているのは、私が隣にいるということ。
けれど……今の彼にはわからない、その歪んだ独占と支配欲の正体を。
人の気持ちを理解できないあの人には、理解することができない。
(……一度歪んでしまったら、二度と後戻りができないことを)
彼の全てを肯定し、求める答えを出し続け、完璧な人形のようにそこにいる。
そのうえで、彼が笑えと言えば笑顔を浮かべ、してほしいことがあると乞われたら、否定してはいけない。
「——面白いとは思うけど、あのレクトールがそこまでオフィーリア、君に執着をすると思うのかい?」
「当然よ。だって私は……」
「……私は?」
「彼の理解者だもの」
レクトールが盤上に駒を配置して動かす癖。
彼が好む紅茶に詩集、何をすれば喜び、笑うのかも知っている。
それだけの時間を……以前の人生で過ごしてきたのだから。
(……けれど、本当に理解者であれたなら、レクトールのあの行動の意味も理解できたのでしょうね)
ただ——今でも、どうして偽物を隣において、私を最後に切り捨てたのか。
それだけはわからない、いや……わかりたくない。
理解してしまったら、あの時間を生きた私の全て。
今の自分へと引き継がれたこの思いや感情、築いた関係を否定することになってしまう。
「君が過去、レクトールとの間に何があったのかはわからない。グロリアンサ侯爵家の魔法では先を視ることができても、それに至るまでにあった感情までは……ね」
「けれど、私の言葉から可能性は見えたから、こうして話してくれているのでしょう?」
「そうだね。……まぁ、二重間者になる僕が言うのはどうかと思うけど、あんなに可愛らしい専属さんがいるのだから、自分のことを大事にしたほうがいいよ」
「……何を見たの?」
「それは秘密かな。今ここで僕が言っても響かないし、何よりも自分で気付かないと……だからね。けど、うん……敢えて言うとしたら、もう少し大事な人には素直になれるといいね」
いきなり素直になれと言われても、今さらどうすればいいのかわからない。
年ごろの少女のように純粋になることもできなければ、必要以上に誰かに甘えるのも難しい。
「……そう、なれたらいいわね」
「なれるさ。僕にはそうしてあげることはできないけれど、彼なら……ね」
「その人が誰かは敢えて言わないけれど、その時を期待しているわ」
ルシアンがどのような未来を視たのか知らないけれど、きっと……私にはできない。
その甘えは依存になってしまうし、何よりも以前の人生のように、盲目に誰かのために尽くして使われたくない……いや、違う。
これは……私の中に生まれた歪み、あの頃のレクトールが私の心に残した善意を模した太陽の悪意だ。
「……言葉と思いがバラバラだね。まぁ、深くは触れる気はないけど、僕には僕のやるべきことがあるからね。心の整理は早いうちに済ませておきなよ?」
「……その気遣いはいらないわよ?」
「なら、その癖はやめたほうがいい。君はどうやら……何か深い悩みがあるときに、人差し指を強く噛むみたいだからね」
「……え?」
「無意識の自傷は早めに直さないと、かわいい専属さんやアルフォンス殿下に心配されてしまうよ? 今まで指摘されなかったのかい?」
誰かに言われたこともなければ、指摘されるまで気付いてすらいなかった。
(……リゼのことだから、気付いても触れずにおいてくれたのかしら)
「君の言葉を聞いて視えた先で、君はいつも左手の人差し指を強く噛んでいたね。時には血がにじむほどにさ」
「……嫌なところまで視るのね」
「だから僕は、この魔法が嫌いなんだ。けど……君の下につくと決めた以上は、そんなこと言ってられないだろ?」
「同意を求められても困るけれど……えぇ、すごさがわかったから頼りにはしてるわ」
「そう、それはよかった。なら……そろそろ本題に戻ろうか、君が僕に渡した偽の情報に関して——」
ルシアンがティーカップの底に残った、甘ったるい紅茶を飲み干した瞬間。
ノックされることなく、扉が勢いよく開かれる。
「ちょ、ちょっとフィー? あんた、リゼちゃん……が?」
「……サフィーラ? ちょっと、君がなんでここに?」
「バッカ、それはこっちの言葉だよ。なんであんたがここにいるのさ……まさか、うちという婚約者がいるくせに、フィーに手を出して?」
「バカは君だよ。昨日話したことを今、オフィーリアに伝えてただけで、やましいところは何一つとしてないよ」
部屋に入ってくるのは構わないけれど、いきなり目の前で痴話喧嘩を始められても反応に困る。
できれば……私を巻き込まずに、二人の世界が完結しておいてくれないものか。
見せつけられている側はただでさえ気まずいというのに……。
「……それで? サフィー、私のかわいいリゼがどうしたのかしら?」
「どうしたもこうしたも、うちがアルフォンスに話があって、早朝から部屋に行ってたら……急にリゼちゃんが来たんすよ」
「オフィーリアが、かわ……失礼、専属さんをアルフォンス殿下の元へ送ったからね。けど、それがどうしたんだい?」
「どうしたっていうか、あれっすよ。入って初めの言葉が……『アルフォンス殿下、あの……ルシアン様からよろしくって言われました!』っすよ? もう、話どころじゃないって!」
サフィーの言葉に、飲み干した紅茶を吹き出しそうになったのか……ルシアンが、口元を押さえてむせ始める。
「……ふふ、やっぱりリゼは私の期待を裏切らないわね」
「う、裏切らないってオフィーリア、わかっていたなら、どうして止めてくれなかったんだ?」
「そんなの簡単な理由よ? だって……その方が面白いでしょう?」
「……僕は、君のそういうところが嫌いになりそうだよ」
呆れたように笑うルシアンを横目に、アルフォンスの部屋へと向かったリゼの姿を思い浮かべる。
きっと……今までここで話していた内容以上に、面白い状況だったことを想像すると、見られなかったのが残念だ。
「いや、それ以上にやばいのはあれっすよ。そう言った後に、アルフォンスが反応に困るのは当然なんすけど、部屋に置いてあったお菓子を食べ始めて、これが用事ですって、何がどうなってるのかわからないって!」
「あぁ……それのこと、用事であってるわよ? 昨晩、アルフォンス殿下の元へ行って帰り際に、残ったお菓子を食べに来ていいって話をして、ここに泊まったのだもの」
「……そんなの、めちゃくちゃじゃないか」
「けれど、面白いでしょう? だって……私のかわいくて、とても自慢の専属だもの」
「……かわいいのはいいんすけど、それ以前にうちさ。フィーがアルフォンスのところに昨晩いたってことのほうが、もう気になってしょうがないんすけど?」
そう言いながら、椅子に腰かけようとしていたサフィーが、空になっている私たちのティーカップを見て動きを止める。
「ねぇフィー? ここって紅茶の葉はどこにあるんすか?」
「……それなら、そこの戸棚からリゼが探して使ってたわよ」
「どれどれぇ……あ、これっすね。じゃあ私のと合わせて淹れてくるから、そうしたら……詳しく聞かせてくれる?」
「もう、しょうがないわね。けど……あなた、紅茶を淹れられるの?」
「当たり前じゃないっすか。辺境は忙しいからね、なんでも使用人任せにはいかないんすよ」
独特な鼻歌交じりに紅茶の茶葉と、新しい人数分のティーカップを手に、まだわずかに熱を残したティーポットを、スカートの中から取り出した道具を使って――。
「サフィーラ……君、今どこから出した?」
「そんなの、スカートの中にあるポケットに決まってるじゃないっすか」
「……僕の常識が崩れそうだ」
ゆっくりと温め始めた。




