第22話 早朝の来訪者
寮に用意されていた室内は、思っていた以上に豪華だった。
とはいえ……リューネベルク公爵家の屋敷ほどとは言えないけれど、過ごす分には十分——だったと思う。
「——というわけで、僕はレクトール殿下の言葉を聞いて思ったんだ」
早朝に、部屋から出て息抜きに外の空気を吸おうとしたところまではよかった。
けど、問題は……この人、私のために用意された部屋の中で、椅子に腰掛け、リゼの淹れてくれた紅茶を飲みながら、話をしているルシアン。
(……良い夢を見られたとしても、穏やかな朝は来なかったわね)
公爵家と五大貴族の部屋が同じ階にあることを知らなかった。
以前は、王家と同じ最上階を使っていたとはいえ、当時の自分がどれだけ周りのことが見えていなかったのかがわかる。
とはいえ、部屋から出てすぐに出くわしたからと、私の部屋に押しかけてくるのは貴族としてはどうなのだろうか。
「いきなり来て、あなたのことを話されても……今は早朝なのよ? さすがに失礼だと思わないのかしら?」
「……あぁ、たしかに本来であれば、婚約者がいる僕がオフィーリアの部屋を訪ねること自体、あってはならないことだと思う。けれど……君は僕の秘密を知っているからね、気にしないことにしたんだ」
「あなた、貴族や庶民を越えたおバカじゃないの? グロリアンサ侯爵領での暮らしは聞いたけれど、常識をかなぐり捨てる愚か者はどこにもいやしないわよ」
さすがに通路で話しているわけにはいかないから、室内に招き入れたまではいいけれど、現状として特に中身のない会話をしている。
「あの……ルシアン様? それで、レクトール殿下の話を聞いてどう思ったのですか?」
「ん? あ、あぁそうだったね。中庭でレクトール殿下の話を聞いて、ありえざる真実を知ってしまった僕は……逃げてしまった。そのことについてはまず、謝罪しようと思う」
「……別に、そこはもういいわよ」
(ルシアンのズレているところをいちいち指摘していたら、それこそ……胃に穴が開いてしまいそう)
相手の礼儀を正すのなら、招き入れたとはいえ……まずは早朝から部屋に入ったことからだ。
そこから、昨日の非礼を詫びるという順番を守れたなら、それで帳消しと言ってもいい。
けれど、それは私がやるべきことじゃないし……ルシアンの教育は、婚約者のサフィーに任せてしまえばいい。
「リゼ、悪いのだけれど、少しだけ……いや、しばらくの間、アルフォンス殿下のところに行ってもらっていいかしら? ほら、約束があるでしょう?」
「……約束。あぁ、あれですね! はい、ルシアン様……申し訳ないのですが、失礼させていただきますね」
「あ、あぁ……アルフォンス殿下と何の約束があるのかわからないけれど、よろしく伝えておいてくれないかな」
「よろしく……ですか? あ、えぇっと……はい。わかりました」
たぶん、このままリゼがアルフォンスの元へ行ったら、「ルシアン様がよろしくって言ってました!」と元気に言いそうだ。
けれど、それはそれで面白そうだから、何も言わずに部屋を出ていく彼女の背中を見送る。
「ルシアン、ごめんなさいね。リゼは……あなたに話したありえざる真実については、何も知らないの」
「なるほど、それなら外に出したほうがいいね」
「……そういうところは物分かりがいいのね」
「交渉ごとには必要な技能だからね」
「そんなところで有能なふりをしたところで、普段が残念じゃあ……説得力を微塵も感じられないわよ」
計算高いのは構わないけれど、少しは場所を選んでほしい。
そう思いながら、香りが薄くなってきた紅茶を口へと運ぶ。
「……本当に辛辣だね。けどまぁ、そうじゃなかったら、あんなことを言わないか」
「それで? 私の話を聞いて何をどう思ったのかしら」
「失礼、本題からだいぶズレてしまったね。思ったことなのだけれど、僕は君の話を聞いて、レクトール殿下……いや、レクトールの側にいようと思ったんだ」
「……それは、どういうことかしら?」
どうして、あの状況でレクトールの側にいようと思えるのだろうか。
利用されて……滅びるというのに、怖くないのだろうか。
「どういうことも何も、言葉のままだよ。レクトールの演説は先を見なくても、どうかと思う部分はあったけれど、それでも正しいと感じるところもあった」
「つまり、あなたは……その正しいと感じたところを信じて、レクトールについていくというの? 自らの家門が滅ぶと知ったのに?」
「知ったからこそ、あえてそこに飛び込むのさ……。これに関しては、僕を追いかけて、落ち着くまで側にいてくれたサフィーラも説得済みだよ」
けれど、サフィーを説得したという以上、ルシアンなりに考えがあってのことなのかもしれない。
「……理解できないわね。どうして、自ら破滅に向かおうとしているの?」
「誰も滅びようだなんて思っていないさ。今の僕は……レクトール側でも、アルフォンス殿下側でもない」
「なら、なおのこと、大人しくしていればいいのに」
「……大人しく滅びを待つくらいなら、最後まで抗うさ」
「抗って、それでもダメだとしたら? それなら初めから私たちの側にいた方がいいとは思わない?」
どうして、そこまで一人で動くことに拘るのかが、私にはわからない。
けれど……私の知っているルシアンなら、間違いなく言葉の中に裏がある。
「本来なら、それが正しいのだろうね。けどね……僕はアルフォンス殿下をグロリアンサ侯爵家が忠誠を誓うべき相手だと思えない」
「……アルフォンス殿下は、信用するに値しないって言いたいのかしら?」
「それ以外にもあるさ。僕が君たちの側につくために交渉を行おうにも……君ならともかく、殿下の甘さでは感情が邪魔をして精確さに欠けるだろう?」
今の彼は間違いなく、グロリアンサ侯爵家の小侯爵としてここに立っている。
アルフォンスのことに関してもそう、ルシアンはまだ……深くかかわったことがないはずなのに、彼の欠点を交渉の材料として使ってきた。
(……グロリアンサの魔法で、私の言葉から見てきたわね?)
「オフィーリア。僕はね……頼りないかもしれないけれど、グロリアンサ侯爵家の次期当主だ。常に先を見据えて、グランツェルの未来を守るために翠玉の天秤を掲げなければならない」
「……そのために、あなたの血縁が犠牲になったとしても、茨の道を進むというの?」
「君には理解ができないかもしれない、けれど……僕たちは納得したうえで、眼を捧げているんだ。モノクルの力で代償を血縁に押し付ける残酷な現実を変えたいという思いは変わらない、けど……それは、今じゃない」
ルシアンがおもむろに、自らの紅茶に砂糖を入れると、混ぜることなく飲み干す。
「ティーカップの底に残った、甘い砂糖のような嘘や気遣いはいらない。だから、リューネベルク公爵家とグロリアンサ侯爵家の人間として……交渉を始めようか」
モノクルの裏に隠された翠玉の瞳が、怪しく魔力の光を灯す。
ここから先の言葉すべてが、私にとって致命になり、ルシアンにとっての毒になる。
逃げ場のない翠玉の天秤が……今、平等に傾いた。




