第4話 私の専属
自室に戻ると、メイドの手を借りて、王家のご子息方を迎えるための湯浴みを始める。
(……安心する香りね)
湯気の向こうで、純白の手袋を身に着けたメイドが私の髪を梳いていく。
肩に落ちる銀の髪も、湯に沈む細い指先も、すべてが幼い。
「……お嬢様、聞きましたか? レクトール様は貴族、平民を問わず誰にでも優しく、平等に接してくれるそうですよ?」
「へぇ、そうなの?」
「はい。それに比べて……アルフォンス様は、剣のお稽古ばかりで、暇があれば棒を振っているらしいです。双子なのに、随分と違いますよね」
聞き覚えのある言葉。
当時の私は、メイドにどう答えたのか……思い出せない。
けど、過去も今も、私なら、こう答えるはず。
「……それは素敵ね。あなたはどっちのご子息が、私に合うと思うかしら?」
「それでしたらもちろん、レクトール様ですね。頭脳明晰で誰にでも優しいだなんて、理想の王子様じゃないですか? お嬢様は公爵令嬢という立場もありますし、未来の王妃も夢じゃないと思います」
「そう。私は、アルフォンス……の方が合っていると思うわよ?」
(以前の私だったら、レクトールに興味を持っていたわね)
けど、今の私は違う。
彼の優しさの裏には、影があることを知っている。
「……お嬢様?」
髪を梳くメイドの手が止まる。
何事かと、彼女の方に視線を向けると、リューネベルクのメイドにしては珍しく、困惑した表情を浮かべていた。
「今日のお嬢様は、ずいぶんと大人びて見えますね」
「あら、いつもは幼いってことかしら?」
「い、いえ……そういう意味では。ただ……いつも理想の貴族に憧れておりましたから、レクトール様に興味がおありなのかと」
「……そう」
レクトールに興味がないと言えば嘘になる。
彼ではなく、アルフォンスを選んだら……彼はどのような未来を歩むのか。
私という毒を使わずに、王太子になることができるのだろうか。
(……その場合、初めからあなたの隣にいるのはあの偽物?)
そう思うと、過去の私をすべて否定するような気がして、胸が痛む。
「人の考えは変わるものよ? それに……あなた、考えてみて? この私が、王妃程度に留まると思うのかしら?」
「えっと、さすがお嬢様です」
「あなた、本当にわかっているのかしら?」
「は、はい。アルフォンス様を公爵家に迎え入れて、勢力を整えたのちに……この国の太陽を落とす。という……こと、ですよね?」
……このメイドは、何を言っているのだろうか。
アルフォンスは確かに、性格的にも政には向いていない。
そんな彼を旗印にして、グランツェル王国の王にしたとしても、アルフォンスには、レクトールほどの学がない以上、何年も続かないだろう。
(とはいえ、天性ともいえる人に好かれやすい性格に、努力を続けられる才能。そして……人に手を差し伸べられる優しさ。これは一種のカリスマとも言えるわね)
けどそれは、人としての魅力であって、王としての器とは違う。
いざという時に非情で、冷酷な判断もできなければ、民は飢え、国も滅ぶかもしれない。
……そういう意味では、レクトールは王太子として、うまくやっていたのかもしれない。
ただ、私をあの場で殺したのだけは、失敗だったと思う。
(お父様が死んで、代官をリューネベルク領に送ったのはいいと思うけど、私無しで、どうやって弟にリューネベルクの教育を施すつもりだったのかしらね)
過ぎ去った未来のこととはいえ、あの後……つまらない三文芝居を描いたあなたの台本が、どこで破綻したのか。
幕が下りるところまで見届けることができなかったのが、残念でならない。
「……お嬢様?」
「あなた……アルフォンス様の噂を聞く限り、どう見ても王の器には向いていないのに、随分と物騒なことを考えるのね」
「え、あ……も、申し訳ございません!」
「謝らなくてもいいわ。ただ……面白い考え方をすると思っただけよ?」
昔の私は、屋敷の使用人たちの名前を覚える必要はないと思っていた。
けど……これから私の人生を生きるのなら、数多にいるメイドの一人であっても、気になった相手の名くらい、覚えておいてもいい。
「ねぇ……あなた。名を聞かせてくれないかしら」
「そ、そんな、お嬢様に名乗るだなんて……恐れ多いです!」
「この私が知りたいって言ってるのよ? それに、リューネベルクの屋敷に来てから何年経ったのかしら?」
「ま、まだ一年です。仕えるための毒慣らしも未熟で、あの……その」
そんなに怯えられると、悪いことをしてしまった気になる。
私のことが怖いのだろうか。
それとも……青い薔薇の毒のせい?
「リ、リゼット……です」
「そう……いい名前ね。覚えたわ、リゼ」
「リ、リゼ?」
「あなたとは仲良くなりたいって思ったの。だから、愛称で呼ばせてもらうわよ?」
怯えていたはずのリゼが、湯気の向こうで、頬をほんのりと赤く染め、小さく目を瞬かせた……気がした。
「……あ、ありがとう……ございます」
「あら、素直でいい子ね。ねぇ、リゼ? そろそろ湯船から出たいわ。体を拭いて服を着せて頂戴」
「は、はい!」
リゼに手を取ってもらい、湯船を出る。
体を拭かれ、服を着せられる頃には、浴室に満ちていた、毒を鎮めるための甘い薬液の香りも薄れていた。
「それで、リゼ? 王家のご子息方がリューネベルクの屋敷に着く前に、私の考えを教えてあげるわ」
「……私のような、一介のメイドが聞いていいのですか?」
「当然よ。私はあなたのことが気に入ったの……だから、聞く権利があるわ」
「……ありがとう、ございます」
踏み台がないと届かない自室の椅子へ、リゼの手を借りて腰かける。
こんな身体で偉そうに語る自分は滑稽で、でも……誰かに触れられるのは、思ったより温かい。
「もし……私がアルフォンス様を選ぶのなら、そうね。王妃として彼を支えるのではなくて、彼に私を支えてもらうわ」
「さ、支えてもらう……ですか?」
「そうよ? 月が太陽を支えて、沈まないように引き留めたところで、待っているのは夕暮れだけ。逆なら……太陽に引かれる月は、朝焼けになると思わない?」
「……すみません。わ、私はそういう、詩的な表現はよくわからないのですが……でも、素敵だと思います」
「ふふ、ありがとう。夕暮れは優しいけど本質は冷たくて、朝焼けは一番寒いけど、心は温かいのよ?」
少し意地悪が過ぎただろうか。
リゼは困ったように、考え込むように首をかしげてしまった。
「えっと……アルフォンス様は、優しくて……心が温かい方、ってことですか?」
「それは会ってみないとわからないわ。けど、そうね……剣のお稽古ばかりで、暇があれば棒を振っていると噂になるくらいなのだから、真っ直ぐな人……だとは思うわよ?」
「な、なるほど……そういう見方も、あるのですね」
「でしょう? 彼の性格に惹かれて集まる人もいると思うわ。でも、集まった人材を見極め、束ねるのは私の役目でしょう? ……まぁ、私がアルフォンス様に気に入られない限りは、その役目すら、選べないのだけど」
「そ、そんなことありません!」
肩に、リゼの手が優しく添えられる。
そのまま座っている私に、真剣な表情で視線を合わせると……。
「安心してください、お嬢様なら大丈夫ですよ!」
「……え?」
「綺麗な銀色の髪に、宝石のような薔薇色の瞳、それに……お人形のように白くて綺麗な肌、絶対に選ばれます!」
「そ、そう? ありがとう、リゼ」
「はい! それに、もし選ばれなかったとしても、お嬢様はお顔もかわいらしいので、他の貴族様も、放っておいてはくれませんよ?」
少し、いえ……だいぶ失礼なことを言われている気もするけれど、ここまで素直に言われると、面白い。
リゼのようなメイドが、以前の私の側にいたら運命は少しだけ……変わっていたかもしれない。
「ふふ、リゼ。私……あなたのことが気に入ったわ」
「……え? お、お嬢様?」
「後でお父様にお願いして、あなたを私の専属にしてあげる。側にずっといてちょうだい? あなたのその、残念なくらいに素直なところが好きよ?」
「せ、専属……私が、お嬢様の……?」
「そうよ? もちろん、断らないわよね?」
専属とは言ったけれど、役目の名など、どうでもいい。
今はただ、この子を私の側に置きたいと思った。
周りの使用人たちを納得させるためなら、メイドと侍女の両方をやらせればいい。
そうすれば、私のお気に入りに手を出させはしないのだから。
「え、えぇ!?」
私の言葉を理解した途端、リゼの悲鳴にも似た声が、室内に響きわたった。
「それじゃあ、よろしくね? 私の専属になったリゼ?」
「え、あ、はい……よろしくお願い……します」
まだ夢でも見ているような顔で、リゼはぎこちなく頭を下げた。
その姿に微笑ましさを感じていると、不意にドアがノックされる。
「オフィーリアお嬢様。王家のご子息方がお見えになりましたので、広間までお越しください」
冷たい執事の声が、扉越しに聞こえてきた。




