第3話 懐かしい背中
紅茶を飲み終える頃、部屋を訪ねてきた執事に促され、私は屋敷のテラスへ向かった。
外へ出ると、凍てついた風が頬を撫でる。
(……この寒さ、懐かしいわ)
眼下に広がるのは、記憶と何ひとつ変わらないリューネベルクの雪景色。
白い世界を背にして、もう二度と……会えないと思っていた人が立っていた。
落ちくぼんだ瞳に、死人のような肌。
そして、私と同じ髪の色と、薔薇色の瞳。
私が見間違えるはずがない。
【骸公爵】と呼ばれ、リューネベルクの領主としての権勢をほしいままにした、私の——。
「……お父様」
思わず漏れた言葉を背で受け止めたまま、白い世界を眺めているお父様が、今何を考えているのか。
以前はわからなかった。
けど、今ならわかる……誰よりもリューネベルクであろうとした、お父様だから。
「——オフィーリア。まもなく、リューネベルク領に王家のご子息方が来訪する。準備をするように……どうした?」
「え? あ……な、なんでもないですわ」
「なんでもないと言って泣く奴がいるわけがないだろう?」
「いえ、ただ……雪から照り返される光が、目にまぶしかっただけ、ですのよ?」
「……暦では夏だというのに、今日は一段と冷えるからな。肌を刺す痛みのせい、か」
その言葉に無言で頷き、お父様の隣に並んで雪景色を眺める。
死に戻り前、レクトールが王太子になることに最後まで反対し、私が……命を奪った人。
リューネベルクの毒など効くはずもないのに、最期まで抵抗をしなかったお父様を、あの時の私は愚かな親だと思っていた。
けど……違う。
本当に愚かだったのは、レクトールを信じた私の方だ。
「オフィーリア。以前にも問うたことだが、無理にリューネベルクの責務を負う必要はないのだぞ? 待望の嫡男が生まれたのだからな」
「何度も仰らなくて結構ですわ。いきなり跡取りが生まれたからって、リューネベルクの女が、今さらただの貴族の女として生きることなんて無理ですもの」
「……そうか」
以前の私と同じ言葉を、なぞるように口にする。
あの時は、もう私は必要とされていないのだと思って……心に壁を作ってしまった。
娘を想う、あまりにも不器用な親心であったことも知らず。
愛されていたことも理解しようとせず、その手を振り払ってしまった。
(……もし、ここでお父様の気持ちに気付いていたら、私の人生は変わっていたのかしら)
とはいえ、リューネベルクの責務から降りても、青薔薇の毒を摂取し続ける日々が変わることはない。
王家の影として、守るべき秘密がある以上……領内で多少の自由を得たとしても、この厳しい地から出ることはできないだろう。
それに……成人したら領地の一部を任されて、他領から婿を招き、毒慣らしの儀を行い、リューネベルクの血が途絶えないように、子供を産まなければならない。
「そういえば、執事から聞いているぞ。もうすぐ二枚目の花弁にも手が届きそうだとな。……誇らしいな」
「いえ、私なんて、まだ未熟ですわ。お父様は……私くらいの頃には、一輪の薔薇に耐えていたって聞きましたわよ?」
青薔薇の花弁一枚と、一輪の薔薇では意味が違う。
花弁、棘、茎——そのすべてに毒を宿す青薔薇を、一輪丸ごと受け入れるということなのだから。
私では、生涯を賭けたとしても、指先すら届かないだろう。
「……余計なことは聞かなくていい。私とオフィーリア……おまえは違うのだ」
「私は、リューネベルクとして誇らしくありたいのです」
「随分と……大人びたことを言うようになったのだな。やはり……先ほどの涙もそうだが、ひと月も会わない間に、何かあったのではないか?」
「いえ……ただ、私なりに考えただけですわ。必要とされていない、愛されていないのではなくて、これが……お父様なりの不器用な愛なのかもしれないと」
「……そうか」
私が女である以上、どれほど青薔薇への耐性がついたとしても、いずれ【月籠り】を迎えなければならなくなる。
その間は、流れる毒血を鎮めるため、青薔薇の毒を摂取することはできず、一時的に耐性も落ちてしまう。
(けど、私は……私のために、毒を手放したくない)
領内の血縁の中で、最も秀でた耐性を持って嫁入りしてきたお母様ですら、再び元の耐性を取り戻すまで半月もの時間を要したのだから、私は……死に戻り前の人生を考えたら、どれほど努力しても五枚の花弁が限界だろう。
「……そろそろ、部屋に戻れ」
「お父様?」
「おまえにはまだ見えないだろうが、王家のご子息方を乗せた馬車が遠くに見える。……この国の太陽を迎える準備を、してあげなさい」
「ええ、お父様。精一杯、もてなしてさしあげますわ」
レクトールに再び会うと思うと、気が重くなる。
けど……アルフォンスとまた会えると思うと、不思議と気が楽になってきた。
「オフィーリア、今のおまえなら問題ないと思うが……これだけは言わせてほしい」
「……なにかしら?」
「この国の太陽――いや、レクトール。あれとは決して、交わってはならない。幼いながらに聡い子だ。喰われるぞ?」
「言われなくてもわかってますわよ?」
「……本当に大人びたのだな。以前なら、私の言葉に反抗していたというのに。不思議なものだ」
そうして、何も言わなくなったお父様に背を向けて、テラスから屋敷の中へ戻る。
(アルフォンス。早くあなたに会いたい……って、思うのはおこがましいかしら)
レクトールに再び利用される気はない。
ただ、私は……私のために、あなたたちに会う。
たとえそれが、まだ何も知らない幼い子供たちだったとしても……。




