第9話 青薔薇と少年
目の前にいる彼に対して、どんな声をかけるべきなのだろうか。
レクトール派だと思った相手が、実はアルフォンス派で、グロリアンサ侯爵家とは敵対する側だったことを慰める?
それとも、サフィーには悪いけれど、乙女と馬車で二人になったことを改めて、叱責するべきだろうか。
(そもそも、目の前で男の人に泣かれたことなんて、今までなかったから……どうすればいいのかなんて、わからないわよ)
涙目になられるだけでもしんどいのに、ここまで弱みを見せられること自体、私にはもう、未知の領域だ。
こういう時、レクトールだったらきっと、綺麗な言葉でルシアンに寄り添うのだろう。
けれど、私は……恋焦がれ、尽くしたことはあれど、同年代の誰かに寄り添われたことはない。
(いや、アルフォンスにだけは、思われていたわね)
前の人生よりも、今の人生の方が……正直、恵まれていることが多すぎて、少しだけ当時のことが薄れていた。
これでは、私があの時に抱いたほの暗い気持ちも、いつかは……思い出へと消えてしまうのだろうか。
いや……それでもレクトールへの感情は消えてはいない、私の選ぶ行動の意味も、忘れてはいない。
「……あなたね。友人が欲しいなら私ではなくて、同性のお友達を作ればいいじゃない」
「あの、ほら……五大貴族の生まれってなると、どうしても交友関係を築くのが難しくて」
「それなら、あなたと同列にあるグランツェルが誇る五大貴族の一柱、騎士侯爵……忠剣のナイトロードと仲良くすればいいじゃない」
「いやぁ、ナイトロード侯爵家とグロリアンサ侯爵家は、国の内側と外側と向いている方向が違うから、どうしても……家柄的に関わりづらくて」
そんなことを言われても、どう言葉を返せばいいのか。
(私も友人は多くないから、作り方なんて……わからないわよ)
そう思うと、サフィーはよく……私なんかと友人になってくれたとは思う。
自分で言うのもよくないとは思うけれど、お世辞にも性格はいい方ではない。
「だからって、あなたね。この状況……わかっているの? 年頃の男女が馬車で二人きりなのよ」
「お互いに婚約者がいると思っていたから、大丈夫かなって……思ったんだ」
「けれど、実際には?」
「レクトール殿下とは婚約していないと、これは……まずいね」
「これは、じゃないわよ。状況を考えれば……すぐにわかるでしょう? あなた、グロリアンサ侯爵家から、どんな教育をされてきたのよ」
話を聞けば聞くほど、目の前にいるこの少年が、本当に貴族なのか疑わしく感じる。
これではまるで、レクトールとは違う意味で表面を繕っている……張りぼての牙城だ。
「どんなって言われても、グロリアンサ侯爵家は実子関係よりも能力を重視する家門だからね。次期グロリアンサ侯爵と持て囃されて、小侯爵なんて言われても、貴族としての教育なんて、まだ……数年しか受けてないんだよ」
「……なんか、知ってはいけないことを聞いてしまった気がするわね」
「いや、構わないよ。僕なんて、グロリアンサ侯爵家に連なる者のなかで、たまたま魔力が高くて、素質があっただけなんだから」
「馬鹿ね、初対面の相手に言うのは貴族として失格よ? そういう大事なことは、サフィー……私の親友に伝えるべきよ」
「……あぁ、うん」
この返事、はたして……本当にわかっているのか。
それとも何もわかっていないのか、どちらにせよ私の言葉が、しっかりと伝わっているとは思えない。
「けど、僕の婚約者の親友なら知っててもいいと思ってさ」
「……それで? 話を聞いている限りだと、あなたは小侯爵になるまでは、どのような暮らしをしてきたのかしら?」
「うん、僕は……グロリアンサ侯爵領で、庶民同然の暮らしをしていたかな。あそこでは、当主以外は貴族の血筋でも、次期侯爵に選ばれるまでは外交の道具でしかないからね」
「まぁ、それは大変なのね」
「……そうなんだ。グロリアンサ侯爵家の魔法は、外に出すには危険で代償も大きいからね。侯爵や小侯爵以外は、消耗品なんだよ」
ここまで情報を渡してしまったら、グロリアンサ侯爵家の内情は……嫌でもわかる。
それに……侯爵とルシアンが、同じ装飾のモノクルをつけているあたり、これが選ばれた人間の証なのだろう。
「……それで? あなたが今、手に持っているモノクルは何なの?」
「これかい? これはグロリアンサ侯爵家の当主と次期侯爵に選ばれた人だけがつけられる特別な物だよ」
「へぇ、そうなの?」
「これをつけてると、グロリアンサ侯爵家の魔法の代償を、血縁の皆に押し付けることができるんだ」
さすがに、庶民同然の暮らしをしていたとしても、他門の人間に秘密を話しすぎだ。
いくら素質で選ばれたとはいえ、あまりにも危なっかしい。
(サフィーには悪いけれど、私はこの男が嫌い、いや……苦手だわ)
前の人生で私に見せたあの冷たい眼差し、そして冷徹な態度を取っていた時の方が、貴族然としていた。
けれど、目の前にいるコレはなんだ……貴族の教育を受けているとはいえ、私とは明らかに違う、別の生き物だ。
(けれど、今はこんな彼が将来、あのようになるだなんて……全然、予想もできないわ)
「それで――」
「これ以上、グロリアンサ侯爵家のことを話すのはやめなさい」
「……え?」
「あなたが話していることは、同じグランツェルの貴族といえど……敵に情報を売るようなものよ? 私はアルフォンス派で、グロリアンサはレクトール派なのに……なにをしているの?」
「……たしかに」
本当にルシアンを、アルフォンスの味方として……こちら側に引き入れるべきなのか。
「少し前に自分で口にしたわよね? これ以上、こちらの情報を渡すわけにはいかないって、それなのに私がサフィーラの親友だとわかった瞬間に、警戒することもなく話すだなんて……節操がないにもほどがあるわ」
いや、どう見ても……今の彼では危険だ。
それならば、私とサフィーの二人で彼を育て上げればいい。
(そうしないと、味方にしたとしても……こちら側の情報がすべて、レクトールに筒抜けになってしまうもの)
今のままでも、うまく飼いならして、表向きはレクトール派として行動してもらって、情報を流してもらうこともできるだろう。
けれど、聡いレクトールのことだ……こうして私たちが、馬車で二人きりになっていることも、近いうちに知ることになる。
そうなった時に、今の彼なら――太陽に焼き尽くされて灰になるだけだ。
「ご、ごめん」
「……それで、こんなにも……たぁくさん、家門の話をして? あなたの気持ちは済んだかしら?」
「そ、そんなつもりで話したんじゃなくて……いや、でも、そうなるのか」
「わかったのならいいわ。けれど……一つ、あなたに確認しなければならないことがあるの」
本来ならば、ルシアンに対して……お喋りになるくらいなら、黙ることを覚えた方がいいと言うべきだろうけれど、私のやるべきことではない。
そういうことは、婚約者のサフィーがやるべきだろうし、何よりも人の人生に対して……責任を取れる自信が今の私にはない。
(……アルフォンスを王にしようとしているのに、ずいぶんと矛盾した思考よね)
「聞きたいことって? 僕に話せることならいいんだけど」
「これくらい話せなかったら、反応に困るわよ。……あなた個人は、レクトール側なの? それとも、アルフォンス側?」
「き、君、殿下が抜けて——」
「ここは非公式な場でしょう? あなたも失礼な態度をとっているのだから、こちらも同じようにしても、構わないわよね? ……それとも、私はダメだとでも言うの?」
「……そうだね。でも、君の期待を裏切るようで悪いけど、僕はレクトール殿下の派閥だよ」
私の知っている……あの頃のルシアンだったら、王家に対して信頼を寄せてはいなかったけれど、今は違う。
当時の彼が何を考えていたかはわからない。
現に、目の前にいる彼は……自らレクトール側の人間だと口にしたのだから。
「これにはちゃんと理由があって、僕はさ……今のグロリアンサ侯爵家を変えたいと思っているんだ。誰かを犠牲にしなければ、家門の魔法を使えないだなんて、嫌だからね」
「……それと、レクトール側であることに、何の繋がりがあるの?」
「もちろん、ちゃんと理由はあるよ。去年、レクトール殿下がグロリアンサ侯爵家の屋敷を訪ねてきて、話を聞いてくれたんだ……それで——」
ルシアンの思いに賛同して、グロリアンサ侯爵家を共に変えていこうと約束してくれた。
そう笑顔で、嬉しそうに笑う彼を見ていると、今世で行きつく先を見てしまったようで心が苦しくなる。
(……バカね。それはただ、利用されているだけよ?)
敢えて今は言葉にはしない。
ここで私が否定してしまったら、彼と繋がったばかりの縁が……切れてしまう。
だから——
「……き、君、どうしたの?」
「あなたの気持ちはわかったわ。だから……これくらいにしましょう」
静かに立ち上がると、馬車のドアを開けて外に出る。
決して、彼を見限ったわけではない。
ただ……今はまだ、味方に引き入れるにしても、お互いに距離を縮めすぎるのは危険だ。
「ま、待って! 君もレクトール殿下の言葉を聞けば、きっと……信じられると思うから!」
「……そう? なら今度、本人と直接話すわ」
貴族学校へ向けて足早に歩き出した私を追いかけるために、馬車から飛び降りて、小走りに近づいて来る彼に目もくれず、前だけを見る。
すると——
「あっ! フィーちゃんじゃないっすか。久しぶり……す? って、あんた何やってんだ?」
「君……あ、あなたは? それにフィーちゃんって、ずいぶんと失礼だね。彼女が誰か……わかっているのかい?」
見覚えのある赤銅色の髪色に、黒曜石のように輝く美しい瞳。
そして……特徴的なドレスを着たサフィーラが、私とルシアンの間に立ち、彼の行く手を阻んだ。




