第7話 青薔薇と翠玉の天秤
——月日が流れ、貴族学校への入学の日が来た。
(……レクトールと会うことなく、この日が来るとは思わなかったわね)
以前の人生とは明らかに違う。
この前の馬車のことも、あの時にサフィーラが見たレクトールの姿も。
どうやら、迎えに来たのはいいけれど、屋敷から離れていた私に会えず、思惑通りにいかなかったことが原因だったようだ。
(それにしても、リゼがここにいるのは嬉しいけれど、違和感も……すごいわね)
貴族学校には、自身が最も信頼する従者を一人だけ選び、学内に連れていくことができる。
そして、自らの主人に恥じないよう、高度な教育を受けさせることができるのが、グランツェルが誇る学び舎の特徴だ。
「……すっごい大きい建物ですね。リューネベルク公爵領のお屋敷よりも大きいんじゃないですか?」
「そうね。けれど、リゼ? あなた……本当に大丈夫なの? 無理に貴族学校に入らなくてもいいのよ?」
「そんな、無理だなんて……私はお嬢様の専属として、これからもずっと一緒にいるんですよ? だから、これは必要なことなんです!」
「……気持ちは嬉しいけれど、ここで大きい声はだめよ?」
貴族学校の入り口で、リゼがいつものように元気な声を出すけれど……ここからは、そうはいかない。
感情を優先しすぎては、貴族の従者としてよく見られることはなく、かといって、思いを蔑ろにしてしまっては、主人に対する忠義が疑われてしまう。
(そう考えると、貴族の世界よりも……従者の在り方の方が、めんどくさいのかもしれないわね)
「そ、そうでしたよね。わ、わたくし、頑張りますわ、オフィーリアお嬢様の専属として……なれるよう、心掛けていきますわよ?」
「……無理に私の真似をしても、何を言っているのかが逆にわからないわよ?」
「は、はい、そう……ですよね。よし! 私は私らしく頑張ります!」
「あなた……いえ、そうね。リゼ、応援しているわよ?」
何度も大きな声を出しているせいで、周囲の視線を集めてしまった。
けれど、これはこれで嫌じゃない、以前との違いを感じられて新鮮だ……と思う。
(それに多少の礼儀作法のズレや、周囲からの評価程度、いざとなったら……私が介入すればいいだけだもの)
他の貴族なら無理だとしても、グランツェルの月であるリューネベルク公爵家や、この国の柱である五大貴族ならそれができる。
とはいえ……あまりにも、権力をかさに着る行動をしてしまうと、私たちだとしても貴族として落第だと評価されてしまう。
「君たち、正門の前で何を騒いでいるんだい?」
「……あ、ご、ごめんなさい!」
声がした方向に振り向いた先には、金の髪に翠玉の瞳、そしてモノクルを着けた落ち着いた雰囲気の——。
(……ルシアン・ペテルギア・フォン・グロリアンサ)
いや、私が過去に滅ぼした家門の跡取りが、そこにいた。
「まったく、それだと主人の評価を下げてしまうから気をつけないとダメだ……よ?」
あの目だ。
リゼの声を聞いた瞬間、モノクルの裏に隠されたまぶたが細められる。
(……視られたわね。リゼの言葉から私たちのことを)
「……あら、あなたは?」
「こ、これは失礼いたしました。我が国の月であらせられるリューネベルク公爵家の青薔薇のご令嬢にご挨拶を申し上げます……恐れ入りますが、名を名乗る許可をいただけますでしょうか」
「許可するわ。グランツェルの柱の名を冠する、我が国の外交侯爵家の翠玉のご令息、あなたのお名前を聞かせていただけないかしら?」
「……今のやり取りで見抜くとは、さすがリューネベルク公爵家のご令嬢です。私はグロリアンサ侯爵家の跡取りとして生を受けた、ルシアン・ペテルギア・フォン・グロリアンサと申します」
リゼの言葉一つから、ここまで先を読まれてしまうのなら……これ以上、余計なことを口にするのは危険だ。
そう思って、彼女に予め決めていた目線での合図で、静かにするように指示を出したけれど……大丈夫だろうか。
(……問題ないみたいね)
反応が返ってきたのを見る限り、こちらの意図がわかったようで安心する。
なら、あとは……私にできることをするだけだ。
「どうか……この私に、あなたの名前を聞く許可をいただけないでしょうか」
「許可するわ。私の名前はオフィーリア・ローゼ・フォン・リューネベルク。あなたが読んだように、グランツェルの月よ」
「……読んだ、とは? まるで私が何かしたような物言いですね」
「先ほどから人の言葉を聞くたびに、右目が動いているのは……魔法を使っているのではなくて?」
私の言葉を聞いた瞬間、ルシアンの瞳から、一瞬だけ余裕の色が消える。
一瞬、その口元から余裕の笑みが消えたけれど、それも……瞬きの間だけ、直ぐに戻ってしまう。
「……困りましたね。ここでそのようなことを言われてしまうと、新入生だというのに悪い噂が立ってしまう。オフィーリア様、従者の方と共に私の馬車までご足労いただけませんか?」
「あら、私をあなたの馬車に連れ込もうとするだなんて、あなたの婚約者に悪いわ」
「お気遣いに感謝いたします。ですが、此度の件と婚約者は関係ありませんので、ぜひ……私の願いを聞き入れてもらえないでしょうか」
「そう? なら、リゼ。あなたは先に学内に入って、私とルシアンが遅れるかもしれないことを伝えてもらえる?」
返事をする代わりに小さく頷いたリゼが、小走りに正門を抜けて広い庭へと消えていく。
「オフィーリア様、私は従者の方も馬車に招待したつもり……だったのですが?」
「……そうね。悪いとは思うけれど、あの子は庶民で、あなたのような生粋の貴族とは違うの。慣れないことをさせたくはないわ」
「どうにも、あなたの行動は読みづらいですね。まるで、レクトール殿下を見ているみたいですよ」
「あら、そう? この国の双子の太陽と同じ評価をいただけるだなんて、とても光栄だわ。……さぁ、あなたの馬車まで連れていってちょうだい?」
レクトールと同列に見られるのは、いささか癪に障るけれど……今はそこまで気にする必要はない。
むしろ、ルシアンが魔法で見られる範囲にも、限界があることがわかっただけ、今はこちらが有利に立ったと見た方がいいだろう。
(……とはいえ、二人きりになった時に手を出されたら、私ではどうしようもないわね)
五大貴族なら、ソルライト辺境伯家の情報網然り、相手の魔法に関して、調べる伝手を持っている筈。
そうなると、リューネベルク公爵家の魔法にも、ある程度は知識を持っていてもおかしくはない。
「えぇ、我が国の月、青薔薇の令嬢をエスコートできる光栄をいただけたこと、心からの感謝をいたします」
ルシアンが差し出した細い手に、そっと指先だけを重ねて、正門とは逆の方向に歩き出す。
ここから先は私にとっては敵地、とはいえ……前世で壊した五大貴族の一角を、味方にするためには、避けては通れない道だ。
「まるで、私のことを一輪の花のように扱ってくれるのね?」
「もちろんです。オフィーリア様とは初対面ですが、ここまで完成された人形のような容姿に心奪われない貴族がいると思われますか?」
「……社交辞令はやめたらどう? その言葉は、婚約者がいるあなたの立場を悪くするのではなくて?」
「それはたしかに、軽薄な言葉を指摘していただけたことに……感謝いたします」
話しているうちに、グロリアンサ侯爵家の馬車が見えてくる。
(話していて、レクトールのように綺麗な言葉をならべているような気がしない辺り……本心なのでしょうね)
近づいて行くにつれ、磨き抜かれた翠玉の天秤の紋章が、視界に浮かび上がっていく。
「さぁ、お嬢様。私がお手をお貸しいたしますので、馬車へとお入りいただけますか?」
「ふふ、紳士なのね。けれど……その手は、私のものではないでしょう? 私は一人で上がれるわ」
「……ですが、それだとドレスからおみ足が見えてしまいますよ?」
「あら、それがどうしたというの?」
「それは——」
なにかを言おうとしているルシアンを無視して、馬車のステップに足を掛ける。
すると、こちらを見ないようにしているのか顔を背けて、目を閉じた彼の姿にどこか面白さを感じて、僅かに笑みを零してしまう。
(……サフィーには悪いけど、試させてもらうわよ?)
馬車のドアを開けて中に入ると、静かにシートへと腰かけ、遅れて入ってくるルシアンの姿を、薔薇色の瞳にしかと映し込んだ。




