第4話 青い薔薇と王子
(……どうして、こんなところにいるのかしら)
しばらく会っていなかったけれど、それでも……忘れるはずがない。
二年前の夏の頃とは違って、すらりと伸びた背丈に、前の人生の面影を宿した彼の腕には、一振りの剣が大事そうに抱えられていた。
「お嬢様、いったい……どこを見ているのですか?」
「どこって、ほら、あそこよ。懐かしい姿が見えると思わない?」
「懐かしい……ですか?」
私の視線の先を確かめるように、リゼが目を凝らす。
すると、彼女も彼の姿に気づいたのか、驚いたようにこちらに振り返る。
「あそこに見えるのは、アルフォンス殿下ですよね? お嬢様、どうして……ここにいるんでしょう?」
「それはわからないわ。けれど……そう、大きくなったわね」
彼とは対照的に、私の容姿は……二年前とあまり変わっていない。
以前の私なら、十二歳の頃には同年代の令嬢たちの中でも背丈が大きい方だった。
けれど、今の私は、年頃の乙女として見ても、だいぶ低い方だと……言ってもいい。
(青薔薇の毒への適応を急ぎすぎた弊害……なのかも、しれないわね)
きっと、今の私は……これから成長を続けたとしても、背丈はさほど変わりはしないだろう。
これだとまるで、私だけが周囲から置いていかれてしまったようで、複雑な思いになるけれど、自分で選んだのだから……後悔はない。
「大きくなったって、お嬢様? それだとまるで、アルフォンス殿下のお母様みたいですよ?」
「……お母様って、リゼ? 年頃の乙女には言っていいことと、いけないことがあるわよ?」
「ふふ、でも、なんだか微笑ましくて、やっと……大好きな人に会えましたね?」
「……大好きってあなたね。そういう冗談はよしてちょうだい」
アルフォンスに対して、異性としての好意を抱いているかどうかは……手紙のやり取りを繰り返してきたけれど、自分ではよくわかってはいない。
ただ……こうして彼を見て思うけれど、懐かしい姿に安心感を覚える辺り、少なからず、好意はあるのだと思う。
「……あ」
そんなことを考えているうちに、こちらの視線に気づいたのか……アルフォンスと目が合った。
咄嗟にリゼの後ろに隠れてしまったけれど、これではまるで、私が彼と会いたくないみたいで、なんだか……気まずい。
(……ダメね。アルフォンスと何を話したらいいのか、全然わからないわ)
けれど、そんな私の気持ちも知らずに、アルフォンスが誰かと一言二言、言葉を交わし、こちらに歩いてくるのを見る限り、もう……逃げられそうにない。
「フィーちゃん、リゼちゃん! 休める場所を聞いてきた……っす、よ?」
「……えっと、君は?」
「ちょ、嘘でしょ? せっかく逃げてきたのに……なんでここにいるのさ」
サフィーラが咄嗟に私たちの前に出ると、守るように両手を広げる。
「フィーちゃんに、リゼ……ちゃん? そこにいるのはオフィーリアで、それに君は顔がよく見えないけれど……リゼットさんだよね?」
「……白々しいっすね。こんなところで剣なんか持って、暴力で女に言うことを聞かせることしかできないんですかね」
「君は、俺を誰かと勘違いしていないか? それに、逃げてきたって言うけれど、兄……いや、何があったのか、教えてもらえないかな」
「あんた、いや……よく見ると、なんか雰囲気が違う? ねぇ、フィーちゃん。この人は誰っすか?」
サフィーラの目の前にいるのが、レクトールではなく……アルフォンスだと言いたい。
けれど……今はそれ以上に、相手が王家の人間だというのに、あまりにも危険な物言いに、思わず言葉が詰まってしまう。
「サフィーラ様、この方は……アルフォンス殿下ですよ。そうですよね? お嬢様」
「え、えぇ……だから、サフィー、大丈夫よ?」
「あぁ、そういえば……グランツェルの第一王子と第二王子は、双子の太陽と言われてたっすね」
「……双子の太陽、か。まぁ……うん、それであってるよ。でも、そうだね……サフィーラ嬢って、我が国の辺境を守ってくれている。ソルライト辺境伯家の?」
困惑の色を表情に浮かべながらも、アルフォンスは抱えていた剣を腰のベルトに差し、サフィーラへと問いかける。
そして、彼女も警戒が解けたのか、スカートの中へ伸ばしかけていた手を腰に当て、笑みを浮かべた。
「……そうっすよ? けど、アルフォンス殿下が、うちのことを知ってるだなんて意外っすね」
「意外って……俺たちがまだ小さい頃に、会ったことがあるじゃないか」
「……覚えてないっすね。んー、それってどのくらいの時?」
「たしか、俺たちがまだ五歳になるか、ならないかの時くらいだったかな」
「あ、あぁ……うん、そういえば、小さい頃に気に入らない奴がいて、突き倒した記憶があるっすね」
突き倒したって、サフィーラ……彼女は、いったい何をしているのだろうか。
いくら過去のこととはいえ、私の知っているレクトールは、一度でも無礼なことをされたら……例え、謝罪をされたとしても忘れることはない。
「はは……そこは覚えてるんだね。君が突き倒したのは、俺の兄上……レクトールだよ」
「あ、あぁ……それは、うん。アルフォンス殿下にご挨拶を申し上げますわ。私はソルライト辺境伯家の令嬢、サフィーラ・マリーネ・フォン・ソルライトと申します。過去のこととはいえ、非礼をお詫びしたく——」
「い、いや、過ぎたことだから謝罪はいらないよ。それに……やられたのは俺じゃないからね」
それにしても、王家の人間が庶民街にいるというのに、あまりにも周囲が馴染んでいる。
本来なら、この場で話をしているだけでも周囲の注目を集めるはずなのに、どうにも違和感を覚えてしまう。
「ねぇ、アルフォンス? 一つ気になることがあるのだけれど、聞いてもいいかしら?」
「君に名前で呼ばれるのも懐かしいね……うん、構わないよ」
「ふふ、ありがとう。なら……どうして、王家の人間が庶民街にいるのに、こんなにも周囲に馴染んでいるのかしら?」
「あぁ、それなら……俺がここによく来ているからだよ。この剣のこと、覚えてるよね?」
アルフォンスが腰に差している剣に触れ、懐かしげに目を細める。
(あぁ……あの時の剣ね)
二年前、ローゼンヴァルトで起きた誘拐事件で、アルフォンスが対峙した相手から受け継いだ。
商人に偽装していた男が持っていた、一振りの剣。
「あれ以来、ずっと……その剣を使っているの?」
「……そうだね。彼からは俺にはない大事なことを教えてもらったから、真剣での訓練の時も、常に使っているよ」
「それだと刃こぼれしたり、刀身が傷んで使い物にならなくなってしまうのではなくて?」
「うん、だから……この庶民街にいる。元城勤めの鍛冶師に頼んで手入れしてもらってるんだ。もう城勤めは退いた人だけど、腕は健在だからね」
アルフォンスの言うように、腰に差している剣は、鞘も柄もだいぶ傷んでいるように見える。
これでは、いくら彼にとって大事なものだったとしても……長くは保たないだろう。
「んー、人前で剣の話をするのは別にいいんすけど、アルフォンス殿下? フィーちゃんを早く休ませてあげたいんで、もう行っていいっすかね」
「アルフォンスで構わないよ。そういえば……休める場所を聞いてきたって、言っていたね」
「いえ、私は大丈夫――」
「オフィーリア……君は手紙でも、大丈夫という言葉をよく使っていたけれど、そういう時は何か隠してることが多いじゃないか。サフィーラ嬢、リゼットさん、彼女のことを頼めるかな?」
アルフォンスの顔が、一緒について行きたいと語っているけれど……きっと、これから何らかの用事があるのだろう。
(……できれば、もう少しゆっくりと話がしたかったわね)
けれど、ここで私が一緒に来てほしいと言ったら、彼はどうするのだろうか。
いや……そんなわがままを口にしても、困らせてしまうだけだから、ここは一歩引いた方がいい。
「へぇ、フィーちゃんって……そういう?」
「……え?」
「いや、なんでもないっすよ? じゃあ、アルフォンス殿……アルフォンス、うちらはこれで失礼するっすよ」
「うん、オフィーリア……また、今度は貴族学校で会える日を楽しみにしてるよ。リゼットさんも、今日は会えて嬉しかったよ」
「えぇ、私こそ、今度はお嬢様とゆっくり話せるように、場を整えさせていただきますね」
こちらに手を振りながら、道を行く民衆の間に紛れていくアルフォンスの姿を見送る。
そして……この場に残された私たちは、サフィーラが聞いてきてくれた休憩場所へと向かって歩き出した。




